yamahon hobonichi branch
「そろそろ いいもの。ギャラリーやまほん ほぼ日支店」でのぼくの役割。
山本忠臣さんインタビュー

ギャラリーやまほんのテーマは「生活工芸」。
生活と切っても切れないすぐれた工芸作品を、
有名・無名をとわず扱っています。
ジャンルは、台所道具からアート作品まで、さまざま。
そのセレクションは、すべて店主である
山本忠臣さんが行なっています。
「ギャラリーやまほん ほぼ日支店」の始動にあたり、
「ほぼ日」は、山本さんに、こんなお願いをしました。
山本さん、「そろそろ いいもの。」を通して、
私たちに、暮らしの道具についての
いろんなことを教えてください、と。
まずは山本さんのことから、伺いました。

山本忠臣さんのプロフィール
伊賀で生まれ、伊賀に住んでいます
ぼくは1974年に伊賀で生まれました。
「ほぼ日」ではおなじみの
「土楽」の福森家とはお互い歩いて行ける距離で、
土楽さんも江戸時代からの窯元、
うちも江戸から続く製陶所です。
山本家の兄弟と福森家の姉妹は、
同じ学校に通っていたこともあって、
学年は違いましたけれど、
子どもの頃から今でもずっと
親しくさせていただいています。
ぼくはもともと建築士です。
設計事務所を運営しながら、
伊賀にギャラリーとカフェを開きました。
それがgallery yamahonとcafe noka
(ギャラリーやまほん/カフェ・ノカ)です。
ギャラリーを始めたきっかけは、
家を離れて建築家の修業していたときに、
両親が体調を崩したのを機に
伊賀に戻り、本業の仕事が減ったことでした。
伊賀では、建築設計の仕事って、
受注がなければ、出来ないんですよ。
実家の製陶所は兄が継いだので、
ぼくは兼業でギャラリーを始めることにしたんです。
建築事務所は閉じずにいました。
あきらめず、いつか仕事があるかもしれないと
思っていたら、徐々に依頼が増えてきて、
年に2、3件、建築の仕事を受けるようになりました。
いまも個人宅、店舗などの設計をしていますし、
よそのギャラリーが展覧会をひらくときに、
建築士とギャラリー運営者の両方の視点での仕事も
いただけるようになっています。
今、仕事の比重は
ギャラリー運営のほうが大きいですね。
ギャラリーやまほんが扱うもの
うちが扱っているものは
ひとことで言えば「生活工芸」です。
みなさんには、あまり馴染みのない言葉でしょうか。
この言葉は、民藝という言葉ができる前の時代に、
東北の農村部で、冬の、農作業ができない時、
わら細工などの日常の道具をつくっていたことを指して
「生活工芸運動」と呼んでいたのが原点です。
生活工芸運動は、
ひとつのムーブメントになる兆しがありましたが、
その後「民藝」が世の中に広まっていくのに対して、
いつの間にか忘れられていったようです。
生活工芸とはなにか
生活工芸と工芸のいちばんの違いはなんでしょうか。
それは、生活のほうが主体だということです。
生活工芸を代表する作家である三谷龍二さんが
「生活と、工芸、どちらが大事ですか」と訊かれたとき、
「それは間違いなく生活です」
とおっしゃったのを聞き、ぼくは本当にびっくりしました。
もちろん「いや、大事なのは工芸です」
という作家もいるでしょう。
じっさいぼくが
「仕事と生活、どっちが大事ですか」
と訊かれたら、
仕事のほうにウエイトを置いている自分がいることは、
疑う余地がありません。
けれども、三谷龍二さんは、
実際、生活のほうにウエイトを置いています。
三谷さんにとっては「生活あっての工芸」なんですね。
ぼくは、それが「生活工芸」の
とても大事な部分だと思っています。
思えば、ぼくは独り立ちしてから20年、
絵画や彫刻こそが崇高な芸術で、
日用品的な陶芸などの工芸は“第二芸術”と言われるような
ヒエラルキーを変えたいと考え、
日常の生活の中からの視点について
ずっと考えてきたのかもしれません。
その翌年、2010年のことでした。
三谷龍二さんを中心に、そして新潮社で
『工芸青花』の編集長をなさっている菅野康晴さんと、
ぼくの3人で、「生活工芸」とは何か、ということを
考え続けていました。
その中でぼくは
作家が自身の生活を感じ
生み出された工芸品を指す言葉だととらえました。
生活の中から生まれた小さな美しいもの。それは、
多くの生活者にも届くだろうと。
ギャラリーやまほんを始めて、10年目のことでした。
生活と工芸が離れるということは、
思考と心が、あるいは心と身体が
離れることに近いと思います。
生活工芸という言葉は、
それをつなぎとめるものじゃないかなと。
ぼくの仕事のしかた
ギャラリーやまほんの企画は、
作家と出会って、作家と話すことからはじまります。
作家には基本、自分から声をかけます。
場所をお貸しするスタイルの展示はしていません。
作家がもともとつくっているものを扱うだけでなく、
いっしょに考え、あたらしい挑戦をしてもらい、
ギャラリーやまほんでの展覧会、
そしてギャラリーに常設する
商品づくりにつなげていきます。
伊賀のほか、2011年に
京都にもギャラリーを立ち上げましたが、
京都ではなるべく若手の作家を
紹介していくことを心がけています。
建築とギャラリー、二足のわらじでよかったと思うのは、
生活工芸を考えるときに、
空間との関係性を意識して、
モノだけじゃなく、行為も含めたところで
考えることができるようになった、ということです。
工芸を使う楽しさって、
生活空間と切っても切れないものですから。
三谷龍二さんに学んだこと
思い出すんです。
20代の中頃に松本にお住まいの
三谷龍二さんのところに行ったときのことを。
緑に囲まれた場所にある小さな一軒家で、
パスタを三谷さんがつくってくださって、
庭の葡萄棚の下で食べました。
その記憶が、めちゃくちゃ焼き付いているんです。
ぼくは、そういうところに憧れをもって
ギャラリーを始めたんです。
あの葡萄棚の下のような場所をつくりたいと。
そしていまもそれが続いている。
そういう体験を、多くの人にしてもらったら、
きっと、「こういうことが豊かなんや」って、
分かってもらえるんじゃないかって思います。
でもいま、当時の三谷さんに近い年齢になった自分が、
そんなふうな「葡萄棚」をつくれているかと言ったら、
まったくできていないんですよね。
まだまだ時間がかかるな、と思っています。
やまほん ほぼ日支店でやりたいこと
今回、「ほぼ日」のなかで
「やまほん」をやりませんかとお話をくださったのは、
「生活のたのしみ展」で担当をしてくださった
30代の女性の乗組員のかたでした。
彼女が言うには、結婚生活で料理をしているけれど、
ほとんど百均のお皿を使っていて、
夫婦とも、そこに疑問をもっていなかったと。
それが、ぼくがセレクトして並べた器を見たとき、
「何かが違う」と思ってくれたそうなんです。
それで「こういうものを、私たちは、
知っておいたほうがいいのかもしれない」と思ったと。
彼女の同世代の人たちもそうだと言うんですよ。
20代から30代になって、
ちょっと自分の生活をステップアップしていきたいけれど、
何から触れていいのか分からない。
そういう方たちに向けて、ほぼ日で新しい提案がしたい。
そんなお店の立ち上げを手伝ってください、
ということでした。
それを聞いて、ぼくはとても嬉しかったんです。
コロナ禍が拍車をかけたと思うんですけど、
いまって、人と人とのコミュニケーションが
めちゃくちゃ薄れてきているでしょう。
会ってしゃべったり、いっしょに飲んだり、
洋服屋でいろいろ教えてもらったりっていう感じが
減ってしまったな、と思うんです。
みなさんも「肌感」としてあるのではないでしょうか。
そういう時代に、どこかで教えてもらえたり、
教えたりっていう場が必要だと思いました。
今回、僭越ですけれど、ここをそういう場所にして、
すこしでもお役に立てたら、嬉しいと思います。
自分発信の物差しを持とう
いま、ホテルの仕事をしているんですが、
建築家は別にいるので、今回は設計ではなく、
家具やアートピースを納める仕事なんです。
ところが建築設計を担当した若い建築家が言ったんです、
「なぜ絵を部屋に飾るのか、わかりません」って。
もうぼくもビックリっていうか、
建築家が、ホテルの部屋に絵を飾る意味がわからないって、
どういうことなんだろうと....。
絵に感動したことないのかなあ、
一枚の絵をきっかけに、
人生について思いを巡らせたりしたことが
ないのかなあ、って。
もちろんミニマリズムという考え方もあって、
スッキリするデザインを選びたいから
自分の部屋に絵は掛けない、
ということであればわかるんです。
でも、「そもそも」がなければ、それも違いますよね。
それで、ちょっと思ったのは、
僭越だけれど、長くギャラリーをやってきたぼくに、
伝えられることがあるんじゃないのかなあ?
ということです。
このコンテンツは「そろそろ いいもの。」
というタイトルですが、
そこには「そろそろ、自分の物差しで物を選ぼうよ」
という気持ちが入っています。
もちろん若い人に対して
押しつけがましくなったらダメやけど、
響いてくれたらいいなあって思うんです。
もちろん人それぞれでいいんですよ。
歌舞伎をいいなと思えるようになったのは何歳だったとか、
京都の老舗旅館に泊まってみようと思えたのは
いくつのときのことだったとか、
それが何歳であってもいい。
みんなおしなべて「いっせーの、せ!」じゃなくて、
自分の物差しがあるのが大事です。
だからそれに気付こうよ、ということですね。
だから、僭越だけれど、
ちょっと教えてあげられたら、って思います。
出会いは人それぞれ
料理の好きな知人がいるんですが、
若い頃は食器に興味がなかったというんですよ。
その理由は「いいものは高いから、
知るのが怖かった」そうなんですね。
そうしたらクリエイターのかたに叱られたそうです。
料理がそんなに好きで毎日自分で作っているのに、
お茶碗ひとつ、なぜ、いいものを使わないのかと。
計算してごらんなさい、毎日使う1万円の器を
365日で割ったら1日いくらか。
毎日使うものにはお金をかけていいんだよ....って。
なんとその人はいま、器を扱う仕事をしています。
またある知人は、転勤族でいろんな地方に住み、
お父さまが器好きだということもあって
各地の窯元を訪ねたり、
家の食器は民藝系のものがたくさんあるという
育ち方をしました。ところがそのことが逆に
「子ども心には重苦しかった」と。
そういうものから離れよう、
もっとモダンなものに触れようと上京したのだけれど、
親に紹介されたアルバイト先が作家ものを扱う陶器の店で、
そこでさらにいろんな世界を知るうちに、
いつの間にか、すっかり好きになっていたそうです。
この方もいまは器を扱うお仕事をしているんですよ。
そこまでの影響があるコンテンツになるかどうかは
わかりませんけれども、
ぼくがお手伝いをすることで、
いいものを使うと嬉しくなる。
いいものを使うと美味しそうに見える、
ということが、わかっていただけたら、
ぼくは本望です。
2023-06-19-MON