佐藤 | コミュニケーションって、 結局は、 「距離をはかる」ということですよね。 敵か、獲物か、仲間かで、 距離感がぜんぶ変わってきますから。 |
糸井 | フランスの カフェの椅子の並べかたというのは、 椅子と椅子のあいだが、とても近いですよね。 フランス人って、それが平気な人たちなんです。 日本人は、酒の入る場所は別かもしれないけど、 電車の席の埋まりかたなんかにしても、 隣あわせにつめていくなんてこと、絶対ないし。 そういう距離感を持っている日本人に向けては、 どういうふうにコミュニケーションをするのか。 「人にものを伝えること」は、 そこを考えると つかめるんじゃないかな、 と思ったりするんですね。 |
佐藤 | 距離と言えば、 糸井さんは、京都に住まわれるんですよね。 |
糸井 | はい。 住むということは どうも無理なんですけど、 月のうちの1週間ぐらいを 東京じゃない場所に いようと思っていたんです。 1週間、京都にいて、 3週間、東京にいて、というのを じょうずに、くりかえせないかな、 と思っているんです。 |
佐藤 | そうやろうとしているのは、 距離感が変わったからなんですか。 |
糸井 | どの場所も 近いような気がしていること自体が、 ヘンだと思っていたんです。 「あなたは部屋から一歩も出ずに、 あらゆるたのしみを得られますよ」 という商売が増えてきているわけだし、 自分もアマゾンで本を買っているから、 さんざん、その便利さを享受しているけど、 よくよく考えてみると、それは実際には、 病人とか囚人とかの暮らしに近いですよね。 |
佐藤 | そうですね。 |
糸井 | 「一歩も外に出なくてもいい」 というのは、言いかたを変えれば、 「あなたを監獄におしこめる」 ということでもあるわけで、 そんなこと、人間がうれしいはずがないな、 と思ったんです。 インターネットに入りこめば入りこむほど、 監獄に入ってしまうような気持ちもあって、 「どれだけ出ていくか」によって 自分の情報があたらしくなるわけですから、 仕事で、インターネットを扱えば扱うほど、 自分は、距離を自分のものにしていかないと。 |
佐藤 | なるほど。 |
糸井 | インターネットをやっているときって、 部屋の中に閉じこもっているにもかかわらず、 自分のいる世間が広いような気になりますから。 |
佐藤 | なんでも知ってるような気になりますよね。 |
糸井 | 調べれば、なんでも 調べられるような気になるんだけど、 そういう世界観は、ヘンですよね。 脳だけで生きている人間になってしまう。 ぼくは、事実上、ふつうにしてたら 家と会社を往復しているだけなんです。 人に会うとか、出かけるとか、 いる場所を変えるとかいうことを 時間がムダになってもいいから 積極的にやらなきゃいけないな、 と思いまして。 東京とは 真逆の時間を売りものにしている場所が、 京都だと思ったんです。 |