「広告サミット2005 糸井重里×佐藤可士和」佐藤可士和くんから、
「ほぼ日」の「デザイン論」の対談が
おもしろかったから、そのつづきを話しませんか?
とさそわれて実現した企画を、
広告サミット運営委員会さんのご厚意により、
「ほぼ日」で、ほとんどまるごと、おとどけしますね。


第3回 人にものを伝えるということ



佐藤 コミュニケーションって、
結局は、
「距離をはかる」ということですよね。
敵か、獲物か、仲間かで、
距離感がぜんぶ変わってきますから。
糸井 フランスの
カフェの椅子の並べかたというのは、
椅子と椅子のあいだが、とても近いですよね。

フランス人って、それが平気な人たちなんです。
日本人は、酒の入る場所は別かもしれないけど、
電車の席の埋まりかたなんかにしても、
隣あわせにつめていくなんてこと、絶対ないし。

そういう距離感を持っている日本人に向けては、
どういうふうにコミュニケーションをするのか。
「人にものを伝えること」は、
そこを考えると
つかめるんじゃないかな、
と思ったりするんですね。



佐藤 距離と言えば、
糸井さんは、京都に住まわれるんですよね。
糸井 はい。
住むということは
どうも無理なんですけど、
月のうちの1週間ぐらいを
東京じゃない場所に
いようと思っていたんです。

1週間、京都にいて、
3週間、東京にいて、というのを
じょうずに、くりかえせないかな、
と思っているんです。
佐藤 そうやろうとしているのは、
距離感が変わったからなんですか。
糸井 どの場所も
近いような気がしていること自体が、
ヘンだと思っていたんです。

「あなたは部屋から一歩も出ずに、
 あらゆるたのしみを得られますよ」

という商売が増えてきているわけだし、
自分もアマゾンで本を買っているから、
さんざん、その便利さを享受しているけど、
よくよく考えてみると、それは実際には、
病人とか囚人とかの暮らしに近いですよね。
佐藤 そうですね。
糸井 「一歩も外に出なくてもいい」
というのは、言いかたを変えれば、
「あなたを監獄におしこめる」
ということでもあるわけで、
そんなこと、人間がうれしいはずがないな、
と思ったんです。

インターネットに入りこめば入りこむほど、
監獄に入ってしまうような気持ちもあって、
「どれだけ出ていくか」によって
自分の情報があたらしくなるわけですから、
仕事で、インターネットを扱えば扱うほど、
自分は、距離を自分のものにしていかないと。
佐藤 なるほど。
糸井 インターネットをやっているときって、
部屋の中に閉じこもっているにもかかわらず、
自分のいる世間が広いような気になりますから。
佐藤 なんでも知ってるような気になりますよね。
糸井 調べれば、なんでも
調べられるような気になるんだけど、
そういう世界観は、ヘンですよね。
脳だけで生きている人間になってしまう。

ぼくは、事実上、ふつうにしてたら
家と会社を往復しているだけなんです。

人に会うとか、出かけるとか、
いる場所を変えるとかいうことを
時間がムダになってもいいから
積極的にやらなきゃいけないな、
と思いまして。

東京とは
真逆の時間を売りものにしている場所が、
京都だと思ったんです。
(明日に、つづきます)

2006-01-26-THU