「広告サミット2005 糸井重里×佐藤可士和」佐藤可士和くんから、
「ほぼ日」の「デザイン論」の対談が
おもしろかったから、そのつづきを話しませんか?
とさそわれて実現した企画を、
広告サミット運営委員会さんのご厚意により、
「ほぼ日」で、ほとんどまるごと、おとどけしますね。


第12回 ほんとにやりたいことだったら



佐藤 矢沢永吉さんも、
クリストのように
「お金をちゃんと考えること」
ができるかたですよね。

莫大な借金も、
ポンとかえしてしまう……。
糸井 そうですよね。
佐藤 先日、矢沢さんの
インターネットサイトの
仕事をやらせてもらいましたが、
ものすごくおもしろかったんです。

糸井さんが
『成りあがり』をつくったときは、
矢沢さんと、何日か、
ずーっとしゃべったんですよね?
糸井 あれこそ、一緒に、旅をしてたんです。

コンサートにずっとついてって、
休みの日には映画観たり、メシ食ったり、
ムダばなしをしたり、買いものに行ったり、
そういうことをくりかえして、
テープにとっているのと
とっていないのとを混ぜて本にしたんです。

あのとき、ぼく自身もヒマだった、
ということも大事なんですよね。
佐藤 ヒマじゃないでしょう?
糸井 ヒマなんです。フリーですから。
今の若い子は、ケチだから、
そういうコストをかけないんだけど、
『成りあがり』の仕事をするきっかけって、
『ローリング・ストーン・ジャパン』
という雑誌に、
ダウンタウン・ブギウギ・バンドの
レポートを書いたことで。
「書いてみたいんだけど、そういうのあり?」
「ありだけど、カネはないよ」
そう言われたときに、
ぼくは自前で沖縄までいって、
ダウンタウン・ブギウギ・バンドが
泊まってるホテルを調べて、
そこの鍵入れのところに手紙を入れて、
「ぼくは『ローリング・ストーン』の
 原稿を書くために来た者ですけども、
 会ってくれませんか」と……。
佐藤 え?



糸井 手紙を入れたんです。

『ローリング・ストーン』っていう雑誌は、
“ジャパン”だとは言え、
ジャニス・ジョップリンだとか、
ザ・フーだとか、
ザ・ローリング・ストーンズとか、
そういう人たちのことを書く
アメリカの雑誌だから、
その波に乗るっていうのは
アーティストにはうれしいはずですよ。

そういう手紙を書いて、
部屋でメシも食わずに待っていたところ、
リーダーの宇崎(竜童)さんが、
コーラを片手にノックして入って来たんです。

アポもない、あてもない。

でも、インタビューがとれた。
沖縄のツアーについてまわって取材して、
前編後編の記事にしたんです。

それを見た編集者が
「あのレポートを書いた糸井くん、
 矢沢永吉の本を作りませんか」と……
「やるよ!」と。

どちらの仕事も、
そんなことをやる余裕があったんです。
カネはないんですけど、
時間があったから、自分を
フル回転してやりたいことに投入できるわけ。
それで、『成りあがり』がはじまったんです。

29歳ぐらいだったと思いますけど、
そのくらいの歳の時って、
自分のために、借金してでも、
ほんとにやりたいことに
「やります」と言わないと、
チャンスが逃げるんですよ。

若い子は、今、
メシを食えなくなることを
おそれすぎているんじゃないかな。
ぼくは、50歳ではじめた
「ほぼ日刊イトイ新聞」でも、
もうあぶないというところまでいきましたから。

でも、そういうことは、
あぶなくても、やんなきゃダメなんですよ。
佐藤くんも、そういう意味での
タダの仕事、しているでしょう?
なんかそれは、見ているとわかりますもん。
(ふたりの対談は、いったん、おわりです。
 ご愛読、どうもありがとうございました)

2006-02-08-WED

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2006-01-26 第3回 人にものを伝えるということ
2006-01-27 第4回 つまらなく変化することもある
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2006-02-01 第7回 ほんとにおいしいものは、なんだ?
2006-02-02 第8回 「ほめられるもの」が売れた時代
2006-02-03 第9回 タダですることの意味が変わる
2006-02-06 第10回 人間には、向いてないんじゃないか
2006-02-07 第11回 環境を考えないことには……


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