絵本『生きているのはなぜだろう。』
発売記念インタビュー
コンセプトアーティスト
田島光二さん
ふつうの絵を描いていた少年が、ルーカスフィルムに呼ばれてハリウッドで活躍するまでの話。

ほぼ日の絵本プロジェクト第二弾
『生きているのはなぜだろう。』の作画は、
カナダ在住の田島光二さんです。
ハリウッドの映画業界で活躍する
コンセプトアーティストの田島さんは、
『ブレードランナー2049』『ヴェノム』など、
VFX技術をつかった最新作品の多くに関わる
若手トップアーティストのひとり。
ポケモンやワンピースの絵を描き、
マンガ家に憧れていた日本の少年は、
いかにしてハリウッドで活躍する
コンセプトアーティストになっていったのか? 
絵本の発売を記念して、
たっぷりとインタビューしました。

(取材・永田泰大 編集・稲崎吾郎)

第1回少年の記憶

──よろしくお願いします。

田島はい、よろしくお願いします。

──今日は、
いつもの絵本の打ち合わせではなくて、
田島さん個人へのインタビューです。

田島はい、緊張するなぁ‥‥。

──何年もスカイプでしゃべってるのに(笑)。

田島はい(笑)。

──ちょっと調べてみたら、
いっしょに絵本をつくりはじめたのが、
なんと2015年12月。

田島3年以上前? はやいなぁ。

──はやいですねぇ。
で、今日は、3年以上かけて、
『生きているのはなぜだろう。』の
絵を描いてくださった田島光二という人のことを
知ってもらうための取材です。
まず、田島さんは正式な肩書としては、
どういう言い方になるんですか?

田島コンセプトアーティストですね。

──その仕事を簡単に説明すると?

田島映画のなかの存在しない生き物とか街とか、
そういうのをCGをつかって
視覚的にデザインする仕事です。

──たとえば『ブレードランナー2049』の
主人公が乗っている空飛ぶ車とか、
『ヴェノム』の怖い人とか、
ティム・バートン監督の
『ミス・ペレグリンと奇妙な子供たち』のガイコツとか、
そういうデザインをしている。
モデリングではなくて、
いちからあれを発想して絵とか映像にしている。

田島そうですね。

© Denis Villeneuve | Sony Pictures.
© Tim Burton | 20th Century Fox.
© J. K. Rowling | Warner Bros.

──『ブレードランナー2049』は
アカデミーの視覚効果賞をとりました。
つまり、田島さんがオスカーをとった、
といえるわけですよね。

田島まぁ、ぼくだけじゃないですけど(笑)。
でも、オスカー像のところで記念撮影はしました。

──すごい。そんな28歳。
ちなみに、いまの所属は?

田島ルーカスフィルムの
VFX部門を担当する「ILM」という会社の
専属アーティスト、ということになります。

──お住まいは。

田島カナダに住んでいます。

──ばりばり世界の最前線で活躍中。
そんな、田島さんにぼくが聞きたいことは、
わかりやすくいえばひとつだけです。

田島はい。

──以前、ネットで、
田島さんが小学生くらいの頃に
はじめてPCで描いたという
絵を見たことがあるんですよ。

田島ああ、はい(笑)。

──それが、こちらです。

田島さん10歳(2000年)、12歳(2002年)のときに描いた絵。

田島うん(笑)。

──それが、だいたい10年後には、
こんなことになったり‥‥。

田島さんが23歳(2013年)のときに描いた作品。

田島はははは。

── こんなことになったりしている。

田島そうですね(笑)。

──言ってみれば、絵が好きで、
でも、失礼ながら、
こどものときはものすごく上手だった、
というわけでもなさそうな‥‥。

田島ぜんぜん。ふつうです。

──そういう、ふつうの絵を描いていた青年‥‥
というよりは少年が、
どうやってすごいものをつくるようになって、
しかも、ハリウッドの最先端で
ものをつくっている映像集団に引き抜かれて、
オスカーをとるに至ったのかということを、
こってりと訊いていきたいなぁと。

田島ああ、はい、わかりました。

──なにしろこれですから。

田島はははははは。

──急にどうした、ということを、
じっくり訊いていきたいと思います。
じゃあ、さっそくはじめましょう。
まず田島少年の「いちばん古い絵の記憶」は?

田島そこから(笑)?

──そこからやらないと意味がないですよ。

田島うーん、いちばん古い記憶‥‥。
保育園くらいかな。
ぼく、3人兄弟のまんなかなんですけど、
兄弟みんな絵を描くのが好きで、
カレンダーの裏とかによく描いてました。

──絵はそのころから上手だった?

田島いやいや、ぜんぜん。
「描くのが好き」くらいです。
うまいという感じではない。

──ご兄弟は上手でした?

田島みんな好きでしたね。
兄はぼくと似たような仕事をしてますよ。
おもに2Dですけど。日本で。

──ああ、そうなんですね。
え、じゃあ、ご両親は?

田島お母さんは、めちゃめちゃうまいです。
まあ、昔、イラストレーターをしていたので。

──ああ、やっぱり。お父さんは?

田島マンガ家を目指してたことも
あったみたいですが、
いまは絵とは関係ない仕事です。

──じゃあ、家中で絵を描く環境ではあった?

田島絵を描くのはすごく自然なことでしたね。
でも、だからといって
特別うまいわけじゃなかったけど。

──絵画教室に通ったりは?

田島一度もないです。

──ご両親から教えてもらうことは?

田島うーん‥‥それもなかったですね。
描いたのを見せて「上手だねぇ」って
褒めてもらうくらい。
「ここ、どうしたらいい?」って聞いても
「どうしたらいいかねぇ」みたいな感じなので。

──その頃ってどんな絵を描いてたんですか?

田島ええとね、保育園の頃のことで、
すごくよく覚えているのは、
あの、「たまごっち」がすごく欲しかったんだけど、
ぜんぜん買ってもらえなくて。

──あぁー、大人気でしたからね、当時。

田島なので公園の石に
「たまごっち」の絵を描いて、
それで遊んでました。

──クリエイティブ(笑)。

田島まわりから見たら、
ただの寂しいこどもです(笑)。

──でも、子どもってそういうことしますよね。
ゲーム買えないとゲームの絵を描いたり。

田島そうそう、
ぼくもミニ四駆の絵を描いたり、
段ボールでゲームボーイつくったり、
兄弟でポケモンの絵とか
たくさん描いてましたね。
小さいときは兄弟3人で
「お絵描き対決」ばかりしてました。

──「お絵描き対決」?

田島お題をお母さんかお父さんからもらって、
3人のなかでだれの絵が
一番うまいか選んでもらうんです。
家での遊びはだいたいそれでしたね。
ぼくたちは「お題対決」って呼んでました。

──じゃあ、やっぱり、
うまいかどうかはさておき、
しょっちゅう絵は描いてたんだね。

田島そうですね。
絵を描くのはずっと好きでしたね。

──でも、ふつう?

田島 もう、ふつうです。
ふつうのこどもが描くふつうの絵。

田島さんが6歳くらいのときに描いた絵。

──とはいえ、クラスだとうまい方?

田島いや、ふつうだと思いますよ。
まぁ、ちょっとだけうまい方?
でしょうか。うーん。

──例えば、美術の時間に、
急に才能が開花したとかは?

田島そういうのはぜんぜん。

──写生大会でなにかの賞を取ったとか。

田島一度もない。

──おかしいなぁ(笑)。
いまのところ、
全然ルーカスフィルムに行きそうにない(笑)。

田島たしかに(笑)。