タモリ先生の午後2006。
去年と今年と、昭和と平成。
第1回 寿命、考えますよ……
今日、タモリさんと、
2005年になにがあって、
2006年になにがあるだろうか、
という対談をやろうと思っています。
はい。
それでは、ぼくのほうから
2005年に発見したことをまず言いますと……
「寿命があるんだ」
ということに気づきました。
ほう?
若い時って、若い人どうしでは、
「いつ死んでもいい」
みたいな話をしたがるものですよね。

ぼくは、もともと、
そういうことに対しては、

「そう言いたがる気持ちは
 わかるけども、
 オレはそれはイヤだ。
 だらだらと、イヤがられるほど
 長生きをしてみたい」
 
と、よく言ってたんです。
うん。
まぁ、
敢えて長生きをしたい、
と言うこと自体が、
自分なりの反逆的姿勢、
ロックンロールみたいなものだった、
ということもあるんですが、
これが、言っているうちに、
「自分は長生きするもんなんだ」
と思いこんでしまったんですね。
  あぁー、なるほど。 
それで、ようやく
2005年に気づきました。

「長生きをするほうがいい」
と主張していたからと言って、
実際に長生きをするわけではない、と。

ほんとに、はじめて知ったんですよ。

つまり、
「俺は100歳までも
 120歳までも生きてやる」
と言う人が生きてるわけじゃなくて、
言った、言わないとは関係なく、
長生きの人は、長生きなわけで……。
そうですよ!
「俺は早死にする」
と言っていた人が、
長生きするかもしれないし。

これに気づくと、
自分の予定では、
100歳でも120歳でもいい、
と言ってはいたものの、
ずっと、そういうつもりで
生きてるわけにはいかないな、と。
こういうことに、2005年に、
はじめて気がついたんです。
それは……結婚式の数より
葬式の数が多くなると、
だいたい、そう思うもんなんですよ。
(笑)あはははは、そうかぁ。
タモリさんの場合、いつでしたか?
やっぱり、
この5〜6年ですね。

結婚式の数より葬式の数が多くなれば、
「そうだよなぁ。やっぱり、世代交代なんだ」
そう、思うじゃないですか。

「自分の上の世代が死ぬ」
というのは当然だなとは思うけれども、
自分よりも年下も
死んだりするんですよね。
事故じゃなくて、ですよ?
混じりますね。
そうすると、
やっぱり考えざるをえないですよ。
タモリさんですら、そうなんだ……。
考える、と。
うん。
明日に、続きます

2006-01-17-TUE