タモリ先生の午後2006。
去年と今年と、昭和と平成。
第3回 目をつむって、生きていこう
ただ、おもしろいのは、
「死」を意識したからと言っても、
「今日や明日の元気がなくなっちゃう」
という種類の話にはならないんですよ。
そうそう。
それは、だいじょうぶなんです。
そのへんは、
ぜんぜんかまわないんですよね。

ただ、すくなくとも、
「人は思いこみで
 長生きするものではない」
と知ったというのは、
自分なりの2005年のニュースの中では、
かなり上に入るものでした。
そこは、ぼくは、かなり前からですね。

同級生が集まると
定年の話が出てくるでしょ?

定年の話は、けっこうイヤですよ……
校長には定年がありますからね。
タモリさんは、
そういう事実については
イタくもカユくもないんですか?
「イタくもカユくもない」
ということは、ないですよ。

ただ、それには
目をつむって、生きていこうと。
(笑)
ただ、目をつむっても
限りはあると思いますけどね。

「あんなやつが、死んだんだな」
とは思いますから。

「ずっと長生きするだろう」
と、本人も思っていたようなやつが
死ぬのを見ると、今の自分も、
そいつのように思っているんだなと……。
はい。
2005年で、
終戦後60年でしたからね。

ぼくの誕生日は8月22日で、
終戦後1週間で生まれたから。
「戦争が終わって、タモリが生まれた」
って、すごいシンボリックですね。
戦後、1週間ですからね。

1週間ズレていたから、ぎりぎり
「戦争を知らない」と言えるという。

まぁ、ズレてなくても知らないだろうけど。
(笑)無のシンボルみたいな。
戦争の前後1週間以内に生まれた人は、
ぼく、ともだちには、いないんですよ。

だから、ぼくは、
「戦後にいちばん近い」っていう……。

「戦後の象徴的な人物だ」
と、自分では思っているんだけど、
ま、誰も、そんなこたぁ、思っちゃいないですね。
(笑)
同時に、
ついこのあいだ、
「昭和の歴史は、どうも
 正しく語られてないんじゃないか」
というような気が、しはじめまして。

戦後はとにかく、

「ごめんなさい」
「すいませんでした」
「軍部独走でしたが、
 悪さをしたことは、もうアレは
 ほんとうに申しわけございませんでした」

そういうことを
外国に言い続けたわけだけど、
それまでの昭和の歴史が、
空白になっているような気がするんですね。

よく考えてみると、
「戦前」というものが
解明されていないんじゃないか。

世界に向けて
「悪うございました」と言うだけで、
日本の国内でも、戦前は
掘りおこされていないという……。

満州、軍部独走、終戦、すいません。
それに尽きてしまうので、
昭和史は
正確にわかられていないんじゃないか。

まぁ、掘り起こすと
問題があるんでしょうね。
「触られたくないこと」も
いっぱいあるんでしょうね。
明日に、続きます

2006-01-19-THU