書くということで、なにか、 過剰に進んじゃったものもありますよね。
その「オーラル」のところに、 標準を持っていれば、 わかりやすくて、知性的な社会に、 なるんじゃないかというか。
……ということを、ぼくは、 インターネットをはじめたときに思ったんです。 つまり、タモリさんから 「原稿を書いていただく」のではなくて 「直にしゃべってもらう」のだとしたら、 そうとうにややこしいことを言っていても 言葉は、通じますよね。 そういうのが、 これからの知性なんじゃないかなと思って。
みんな、どういうわけだか 文字になったものを、ただしいと思うけど…… これは、あぶないから。
「社会の過剰がニートに現出して」 とかいうのは、そのへんに ブラブラしてる若いヤツがいただけだ、 ってことかもしれないもんね。
アメリカのコンピュータ会社に つとめている、まぁまぁの人…… ハーバード大学とかを 出ている人が書いたんですけど。
「人は、何かをしゃべる。 相手につたわるつたわりかたは、 正確にはいかないから いびつな内容が世間に蔓延してしまう」
簡単に言うと そういう内容の本なんですけど、 まぁ、当たり前のことなんですね。
当たり前のことなんだけど、 書いている人のほうは…… 異様に盛りあがるんですね。
はじめのほうで 「書いた人はまちがえてないか?」 と、読んでるほうには はっきり、わかるんだけど、 盛りあがって、 「人々が、自分の心にあるものに それぞれ、 なにかを強引にむすびつけるからこそ 誤解が蔓延してしまう。 だから、教育というのは まったく前提条件のないところで やりはじめなければならない」 と言うんだけど…… そんなの、ありえないんですよね。
だから、途中から、 「バカじゃないか」 と思うと同時に、 「まちがっているけど、本人は、 ものすごく盛りあがっていること」 が、おもしろくなっちゃって。
途中から、 「こいつ、盛りあがってんなぁ」と。
「まったく 前提条件のない生徒が はたして、 いるのだろうか? ……いない」
白紙の状態で教育なんか できっこないということに気づくんですが、 この人のすごいところは、 気づいたとわかったときに どういう解決方法をとったかというと……。
「これは たいへんにむずかしい問題なので みなさん、アンケートをください」
と書く……なんなんだ!(笑)
(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN