「ほぼ日」をご覧の皆さま、はじめまして、たらればです。
ふざけた名前で申し訳ありません。
まず簡単に自己紹介させてください。
わたくし、普段は編集者として
単行本やWebサイトを作っております。
そのいっぽうで、
「たられば」という名前で、
主にツイッターで(犬の写真をアイコンに使って)
仕事の話や街で見かけた素敵なこと、
これまで読んだ本の話などをつぶやいています。
そんななかで、数年前から好きな古典文学の話、
特に『枕草子』や『源氏物語』について
つぶやくようになると、
フォロワーさんから
すごく喜ばれることに気づきました。
『枕草子』って、
人生の窮地に立たされてなお、
この世界を祝福する話なんです。
……というような話をコツコツとつぶやいて、
気づけばフォロワー数は13万人。
え、13万人って。
いまだに自分でもなぜこんな人数になっているのか、
よくわかっていません。
どういうことなの。
ともあれ、であります。
フォロワーのみなさまに
本気でよろこんでもらえているかどうかは置いておいて、
わたくしはけっこう本気で、
「いまの時代、特にSNSが好きな人にとって、
『枕草子』は相性ぴったりだ」と思っています。
だからこそ、同人誌を作る感覚で
『枕草子』についてあれこれつぶやいていたりするのです。
このたび、その「ぴったり具合」を
わりとしっかり説明する機会を
「ほぼ日」のみなさまにいただきました。
しばしお付き合いいただければと思います。
学校で習ったけれど、
なんとなくそのままになっている古典文学の話、
それも日本語で書かれた最古の
「よかった探し」である『枕草子』について、
この機会にもう少しだけ知っておいて、
その魅力や背景、
「どんなところがすばらしいのか」がわかると、
日々の生活が彩り豊かになると、
けっこう本気で思っているのです。
『枕草子』の基礎知識と背景
『枕草子』は、今から約千年前、
西暦1000年ごろに成立した
日本で最初の随筆(エッセイ)です。
(以下、諸説ある話がいくつか出てきますが、
ここでは一般的に「まあこうだろう」と
言われている説をとります)。
作者である清少納言は、
「受領」という中流貴族階級の末娘でした。
28歳くらいのころに藤原定子(中宮)という
非常に知的で、高貴な天皇の正妻、
つまり最上級貴族に仕えた女性です。
このとき、中宮定子は17歳。
『枕草子』とは、言ってしまえば
超一流キャリアを求めて宮中に出仕した
当時バツイチ子持ち28歳の清少納言と、
深窓の令嬢であり王朝文化の旗手たらんと育てられた
17歳の賢く美しい中宮定子との日々を綴った
記録、記憶に残ったやり取り、
そのころに宮中で流行した風俗や文化などを
書き留めた作品なのです。
このような背景もあって、一般的に『枕草子』は、
今でいう「インスタ映え」を最優先に考えられた、
キラキラキャリアウーマンのリア充日記だと
受け止められています。
(本音を言うと、わたしはずっと、
そういう内容だと思っていました)
しかし、史実を見ると様子が違うことがわかります。
清少納言が宮中で務めた約7年間、
彼女が大好きだった
(そしてこれ以上ないほど美しい筆致で知的に、
高貴に描かれる)中宮定子は、
後ろ盾だった父親(藤原道隆)を亡くし、
兄と弟が失脚して追放され、
失意に沈む母親を亡くし、
絶望して出家するも引き戻され、
火事で生家が燃え落ち、
叔父である藤原道長から抑圧を受けながら、
24歳の若さで亡くなります。
いっぽうで、そうした不幸や不遇は、
『枕草子』にはほとんど描かれていません。
ただただ中宮定子は賢く美しく、
きらびやかに描かれ続けています。
そうした実情を知る時、
わたしははるか千年前に清少納言という偉大な作家が
『枕草子』に仕込んだ、
壮大な「演出」と「覚悟」を感じるのです。
『枕草子』とは、
自分の才能を見出してくれた定子に捧げる
鎮魂歌ではないか。
次回以降で、そうした「演出」と「覚悟」について、
すこし詳しくご説明できればと思っています。
(次回更新は9月7日につづきます。)
2018-09-05-WED