第9回 命を質に置いても、来てよかったね。

この広場に来て、すべての人が無条件になり、
あのベラボーな祭りの雰囲気に
同化されてほしい。
『日本万国博 建築・造形』(恒文社)より

糸井 「太陽の塔」も、みんなが知ってますね。
敏子 あんなに、子どもから、
田舎のおじいさんおばあさんまで、
誰でも知ってる作品って、ないでしょ。
糸井 田舎からのバス旅行の人が、
あの塔を見たわけだよ。
かっこいいよね、それって。

敏子 田舎のおじいさんおばあさんが、
「太陽の塔」をみてくれているということを、
彼、すごく喜んでましたよ。
糸井 最高ですよね。
敏子 うん。あとは、子どもが来てくれたこと、
すごく喜んでた。
あの塔をみた
日本中の子どもたちが
「太陽の塔」の絵を描いてくれるの。
その絵がほんっとにいいの!
みんな自画像よ。
糸井 なるほどね。
敏子 ひとりひとりみんな違う絵なの。
大人はしゃちほこ張って、
「これしか描きようがない」って
すぐに思っちゃうけど
子どもは、ぜんぜん違う。
モヤシみたいな太陽の塔だったり、
ビヤ樽みたいな太陽の塔だったり。
糸井 いいですねえ。
敏子 あのね、こういうエピソードがあるの。
「太陽の塔」の前に、
田舎のおじいさんとおばあさんが
よいしょと腰を伸ばして立って、
こう言ったっていうのよ。
「ばあさん、命を質に置いても、
 来てよかったね」
って。
糸井 いいなぁ(笑)。
敏子 彼は
「『命を質に置いても』なんて、
 そんな言い回しは知らないけど、
 いいこと言うよなあ」
って、すごく喜んでましたよ。
糸井 ビンッビンきたんでしょうね(笑)。
ねぇ、もしも、僕らが原始時代に生きてて、
分業がない時代だったら、
田舎のおじいさんもなにも
ないわけですよね。
敏子 そうよ。
糸井 「天照大神が出てきました!」
なんていうときには、
職業もいっさい関係なく、人びとは
ワーッ!てやってたわけでしょ?
太郎さんはそれを再現したいんですよね、
要は。
敏子 そうなの。
岡本太郎は
職能分化に反対なのよ。
糸井 みごとですよね。
僕らはどうしても、
道を急ぐとそれができなくなるんですよ。
敏子 うーん、そうね。
よく、記者の人なんかに
「先生はいろんなことなさってますけど、
 ほんとの職業はなんですか?」
って訊かれてました。
糸井 そんなこと、関係ないんだよね。
敏子 新聞に原稿を書くと、
必ず肩書きを付けなきゃなんないでしょ?
絵描きさんでもないし、彫刻家でもないし
著述家でもないし。
どうやってもはみ出しちゃうから、
どうしたもんでしょって、よく相談を受けるの。
「人間だ、って書いとけ」
って彼は言うんですけどね(笑)。
糸井 あるいは、岡本太郎って
書くしかないよね。
敏子 そうね。
ほんと言えば、
岡本太郎って書くしかないのよ。
糸井 でも、太郎さんは、ほんとは、
「人はぜんぶそうなんだ」って、
言いたいわけですよね。
敏子 そうです、そうです。
糸井 岡本さんのおもしろさってやっぱり、
「みんなが俺だ」ということでしょ?
敏子 ほんっとに、
みんなそうなんだよって、
彼は信じてるからね。
糸井 信じてんですよね!
敏子 うん。
糸井 自分も、「岡本太郎」から
いちばん遠いところから
ここまで獲得したわけですから。
敏子 そうよ。だから
「岡本太郎!」って、
えばってるわけじゃないの。
岡本太郎って名前は、
自分が使える名前だから
しょうがないから使ってやってるだけの話で。
「みんなのかわりにやってるんだ」っていう
つもりですからね。
糸井 うん、うん、そうだ。
敏子 だからぜんぜん、
コンプレックスがないの。
糸井 そりゃあ、気持ちいいよねぇ。

(つづきます!)

2003-11-21-FRI

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