糸井 |
体の感覚の話でいうとね、 風邪気味のときは、 いつもと同じように人と接してても、 妙にいらいらするときがあるんですよ。 |
南 | うん、あるね。 |
赤瀬川 | ああー。 |
糸井 |
基本的には機嫌よくいるんだけど、 細かいことが妙に気になるんですよ。 で、言うほどのことでもないしな、 なんて思いながら家に帰ると、 くしゃみが出たり、のどが痛くなったり。 で、「ああ、風邪ひいてたのか」って。 |
赤瀬川 | 結果的には、風邪をひいてたと。 |
糸井 |
そう。機嫌の悪い日って、 だいたい後で考えると 風邪をひいてたときなんですよね。 穏やかでいられないというか。 |
赤瀬川 |
糸井さんはやっぱり、 そうとう敏感なんですよ。 |
南 |
そうだと思うなあ。 昔、ツボとかに興味を持ちだしたころ、 人の疲れなんかが見えるような気がするって 言ってたじゃない? |
糸井 |
ああ、うんうん。 そういうのがわかった時期があったねぇ。 気持ちいいくらいに。 いまはもう、ないけど。 |
赤瀬川 |
ぼくは、そういう素養はないんだけど、 1回だけ、見えたときがあるんですよ。 亡くなった人がいるんだけど、 その人が病気を回復して なんとか退院できたというときに会ったんです。 で、その人が階段から降りてきたのを見たとき、 なんか、ぞっとしたんですよね。 とくに、その人の手を見たときに、 もう死んじゃってるような気がした。 その1回だけですけどね。 |
糸井 |
そういうのって、なんだろう、 生き物にある程度備わってる‥‥。 |
赤瀬川 | うん。ある程度、あるんでしょうね。 |
糸井 |
あの、肉食の魚ってね、 金魚をエサに食うんだけど、 死にそうな金魚から食うんですよ。 |
南 | へー。 |
赤瀬川 | ああ、そう。 |
糸井 |
びんびんの活きのいい魚を 追っかけて食うということはないんですよ。 死にそうになってて、動きも鈍いんだけど、 「おっとオレはまだ死なないよ」 っていうような動き方をしてる金魚を ぱーんと行って食うんですよ。 で、そのつぎは、しょうがなく 死んでる金魚食うんです。 活きのいい金魚は、最後の最後に狙う。 |
赤瀬川 | へぇ、そうなの。 |
南 |
それは、生きてる金魚は、 逃げるから食べにくいということ? |
糸井 |
そうそうそう。 だから、やっぱり、 生き物は生き物の気配を 感じてるんだと思うんですね。 |
赤瀬川 | 感じてるんでしょうね、それは。 |
糸井 |
あと、子どものころ、 田舎の犬が寿命だっていうときに、 毎日、塀の上にカラスが来るようになったりね。 |
赤瀬川 |
ありましたねー。 ぼくらの子どものころはもっと原始的だったから、 夜にカラスが舞ってると、誰かが死んだんだとか よく言われてたもん。 |
糸井 | カラスはわかってるんだ。 |
赤瀬川 | わかってるんです。 |
南 | なんでだろう。 |
糸井 |
やっぱ、食いたいんじゃないですか。 お肉を、ちょっと。 |
一同 | (笑) |
糸井 |
「生き物の気配」みたいなものは、 みんなほんとは感じてるんじゃないですか。 |
赤瀬川 | 感じてると思うねぇ。 |
南 |
「気配」というと ものすごく神秘的なものに思えるけど、 いわゆる「第六感」というのも、 通常の五つの感覚を総合したところで 出てくるものだろうから、 完全に神秘的なものではないんだよね。 |
糸井 |
ああ、なるほどね。 きちんと感覚が研ぎ澄まされていれば、 「第六感」のようなものや、 「生き物の気配」が感じられて当然というか。 |
南 |
人間の場合はとくに 感覚自体を遮断してる部分もあるじゃないですか。 見てるようで見てないとかさ。 それを、ちゃんと見てたり、 生き物としてちゃんと感じられているということが 気配を感じられるということなんじゃないかな。 |
赤瀬川 |
そうだね。 |
(続きます) |