黄昏 たそがれ 70歳と60歳と58歳が、熱海で。

糸井 体の感覚の話でいうとね、
風邪気味のときは、
いつもと同じように人と接してても、
妙にいらいらするときがあるんですよ。
うん、あるね。
赤瀬川 ああー。
糸井 基本的には機嫌よくいるんだけど、
細かいことが妙に気になるんですよ。
で、言うほどのことでもないしな、
なんて思いながら家に帰ると、
くしゃみが出たり、のどが痛くなったり。
で、「ああ、風邪ひいてたのか」って。
赤瀬川 結果的には、風邪をひいてたと。
糸井 そう。機嫌の悪い日って、
だいたい後で考えると
風邪をひいてたときなんですよね。
穏やかでいられないというか。
赤瀬川 糸井さんはやっぱり、
そうとう敏感なんですよ。
そうだと思うなあ。
昔、ツボとかに興味を持ちだしたころ、
人の疲れなんかが見えるような気がするって
言ってたじゃない?
糸井 ああ、うんうん。
そういうのがわかった時期があったねぇ。
気持ちいいくらいに。
いまはもう、ないけど。
赤瀬川 ぼくは、そういう素養はないんだけど、
1回だけ、見えたときがあるんですよ。
亡くなった人がいるんだけど、
その人が病気を回復して
なんとか退院できたというときに会ったんです。
で、その人が階段から降りてきたのを見たとき、
なんか、ぞっとしたんですよね。
とくに、その人の手を見たときに、
もう死んじゃってるような気がした。
その1回だけですけどね。
糸井 そういうのって、なんだろう、
生き物にある程度備わってる‥‥。
赤瀬川 うん。ある程度、あるんでしょうね。
糸井 あの、肉食の魚ってね、
金魚をエサに食うんだけど、
死にそうな金魚から食うんですよ。
へー。
赤瀬川 ああ、そう。
糸井 びんびんの活きのいい魚を
追っかけて食うということはないんですよ。
死にそうになってて、動きも鈍いんだけど、
「おっとオレはまだ死なないよ」
っていうような動き方をしてる金魚を
ぱーんと行って食うんですよ。
で、そのつぎは、しょうがなく
死んでる金魚食うんです。
活きのいい金魚は、最後の最後に狙う。
赤瀬川 へぇ、そうなの。
それは、生きてる金魚は、
逃げるから食べにくいということ?
糸井 そうそうそう。
だから、やっぱり、
生き物は生き物の気配を
感じてるんだと思うんですね。
赤瀬川 感じてるんでしょうね、それは。
糸井 あと、子どものころ、
田舎の犬が寿命だっていうときに、
毎日、塀の上にカラスが来るようになったりね。
赤瀬川 ありましたねー。
ぼくらの子どものころはもっと原始的だったから、
夜にカラスが舞ってると、誰かが死んだんだとか
よく言われてたもん。
糸井 カラスはわかってるんだ。
赤瀬川 わかってるんです。
なんでだろう。
糸井 やっぱ、食いたいんじゃないですか。
お肉を、ちょっと。
一同 (笑)
糸井 「生き物の気配」みたいなものは、
みんなほんとは感じてるんじゃないですか。
赤瀬川 感じてると思うねぇ。
「気配」というと
ものすごく神秘的なものに思えるけど、
いわゆる「第六感」というのも、
通常の五つの感覚を総合したところで
出てくるものだろうから、
完全に神秘的なものではないんだよね。
糸井 ああ、なるほどね。
きちんと感覚が研ぎ澄まされていれば、
「第六感」のようなものや、
「生き物の気配」が感じられて当然というか。
人間の場合はとくに
感覚自体を遮断してる部分もあるじゃないですか。
見てるようで見てないとかさ。
それを、ちゃんと見てたり、
生き物としてちゃんと感じられているということが
気配を感じられるということなんじゃないかな。
赤瀬川 そうだね。
(続きます)


2007-10-02-TUE