黄昏 たそがれ 70歳と60歳と58歳が、熱海で。

糸井 伸坊は、何歳まで長生きしたいとか、
ありますか。
前にね、ある雑誌で、
「自分の死亡記事を書く」
という企画があったの。
赤瀬川 ああ、あったね。
でね、ぼくは、
いなり寿司がのどに詰まって
死んだことにしたんです。
っていうのは、そのころ、ぼくはよく、
いなり寿司を食べると
のどの奥に詰まらせてたから。
糸井 なんだよ、例え話じゃないじゃん(笑)。
うん、ほんとによく詰まらせてた。
で、記事の中でね、夫を亡くした妻として、
うちの嫁がインタビューされてるんです。
そこで妻が言ってたのは、
「あの人は、生前から、
 『つまらない人生だけは送りたくない』
 って言ってたんで、
 つまってよかったんじゃないでしょうか」って。
糸井 ははははははは、なんだよ、それ(笑)。
で、何歳にしたんですか。
いなり寿司が詰まったのは。
その記事を頼まれたつぎの年にした。
何年って考えはじめたら、
もっとそのこと考えなきゃいけなくなるから。
糸井 いまは、どう?
じつはその記事のあとにね、
病気を経験したんです。
正確には病気じゃなかったんだけど、
「肺に影がある」って言われてね。
どうやら肺ガンだということになったんです。
そこではじめて、実感的に、
そういうことを考えた。
1年くらい、肺ガンかもしれないっていう状態で。
糸井 そんな長いあいだ。
うん。何度か検査を受けて、
切ったりするのはいやだったので、
手術はずっと断り続けてて、
結果的には肺ガンじゃなかったから、
それでよかったんだけどさ。
そのときに、やっぱり、
自分がいつまで生きるのかということを
考えざるをえなくて。
やっぱり、現実にそうなると、
冗談にはできないんだと思いましたね。
糸井 伸坊でも。
うん。
冗談にできたらよかったのに、
という感じはあった。
たとえば、自分が死ぬかもしれない
って考えているときに、道を歩いていると、
オレより年上の人がいっぱい歩いているわけ。
それを見ながらね、
「なんでこの人はオレより年上なんだ?」
っていう気持ちになったもんね。
糸井 あああ、すごいね。
思い込みすぎなんだけどさ。
肺ガンの疑いがあったからって、
すぐに死ぬわけじゃないし。
でも、「もし死んじゃうとして」と考えると、
誰しもそういうふうに考えるらしい。
で、時間が経つにつれて、
だんだん、あきらめていくというのかな。
赤瀬川 最終的には?
いい意味でも、悪い意味でも、
あきらめていくという過程があって、
最終的なところに行くまえに
幸い、肺ガンではないということがわかったので
オチまではいってないんです。
糸井 でも、漠然と残っている。
うん。
「じゃ、いくつならいいの?」
って言われたとしても、
そのときは来年かも知れないし、
来月かも知れないと思ってたわけだから。
「そういうもんなのかなあ」
みたいなことしか言えないですよね。
大げさなんですけどね、
ほんとに病気の人から見たらね。
糸井 ということは、
設定せずに毎年更新していくだけです、
みたいな。
うん。そういう感じかもしれない。
糸井 アスリートみたいな発言だ。
「自分がいくつまで生きるんだろう?」
って真剣に考えるのは前向きなときだよ。
たとえば子どもって哲学者だからさ、
そういうことを考えるじゃない?
糸井 ああ、なるほどね。
  (続きます)


2007-10-08-MON