糸井 | 伸坊は、何歳まで長生きしたいとか、 ありますか。 |
南 | 前にね、ある雑誌で、 「自分の死亡記事を書く」 という企画があったの。 |
赤瀬川 | ああ、あったね。 |
南 | でね、ぼくは、 いなり寿司がのどに詰まって 死んだことにしたんです。 っていうのは、そのころ、ぼくはよく、 いなり寿司を食べると のどの奥に詰まらせてたから。 |
糸井 | なんだよ、例え話じゃないじゃん(笑)。 |
南 | うん、ほんとによく詰まらせてた。 で、記事の中でね、夫を亡くした妻として、 うちの嫁がインタビューされてるんです。 そこで妻が言ってたのは、 「あの人は、生前から、 『つまらない人生だけは送りたくない』 って言ってたんで、 つまってよかったんじゃないでしょうか」って。 |
糸井 | ははははははは、なんだよ、それ(笑)。 で、何歳にしたんですか。 いなり寿司が詰まったのは。 |
南 | その記事を頼まれたつぎの年にした。 何年って考えはじめたら、 もっとそのこと考えなきゃいけなくなるから。 |
糸井 | いまは、どう? |
南 | じつはその記事のあとにね、 病気を経験したんです。 正確には病気じゃなかったんだけど、 「肺に影がある」って言われてね。 どうやら肺ガンだということになったんです。 そこではじめて、実感的に、 そういうことを考えた。 1年くらい、肺ガンかもしれないっていう状態で。 |
糸井 | そんな長いあいだ。 |
南 | うん。何度か検査を受けて、 切ったりするのはいやだったので、 手術はずっと断り続けてて、 結果的には肺ガンじゃなかったから、 それでよかったんだけどさ。 そのときに、やっぱり、 自分がいつまで生きるのかということを 考えざるをえなくて。 やっぱり、現実にそうなると、 冗談にはできないんだと思いましたね。 |
糸井 | 伸坊でも。 |
南 | うん。 冗談にできたらよかったのに、 という感じはあった。 たとえば、自分が死ぬかもしれない って考えているときに、道を歩いていると、 オレより年上の人がいっぱい歩いているわけ。 それを見ながらね、 「なんでこの人はオレより年上なんだ?」 っていう気持ちになったもんね。 |
糸井 | あああ、すごいね。 |
南 | 思い込みすぎなんだけどさ。 肺ガンの疑いがあったからって、 すぐに死ぬわけじゃないし。 でも、「もし死んじゃうとして」と考えると、 誰しもそういうふうに考えるらしい。 で、時間が経つにつれて、 だんだん、あきらめていくというのかな。 |
赤瀬川 | 最終的には? |
南 | いい意味でも、悪い意味でも、 あきらめていくという過程があって、 最終的なところに行くまえに 幸い、肺ガンではないということがわかったので オチまではいってないんです。 |
糸井 | でも、漠然と残っている。 |
南 | うん。 「じゃ、いくつならいいの?」 って言われたとしても、 そのときは来年かも知れないし、 来月かも知れないと思ってたわけだから。 「そういうもんなのかなあ」 みたいなことしか言えないですよね。 大げさなんですけどね、 ほんとに病気の人から見たらね。 |
糸井 | ということは、 設定せずに毎年更新していくだけです、 みたいな。 |
南 | うん。そういう感じかもしれない。 |
糸井 | アスリートみたいな発言だ。 |
南 | 「自分がいくつまで生きるんだろう?」 って真剣に考えるのは前向きなときだよ。 たとえば子どもって哲学者だからさ、 そういうことを考えるじゃない? |
糸井 | ああ、なるほどね。 |
(続きます) |