糸井 | 赤瀬川さん、どう思った? |
赤瀬川 | 自分がいつまで生きるか‥‥。 若いころは、もちろん無限だと思ってるよね。 死ぬっていうこと考えないからね。 でも、もうこっちも70歳でしょ? それこそ、具体的には、 残りの年は一桁かもしれないしね、 これは、しょうがないというか、 「いずれ‥‥」ということを 基本に考えていくように、 少しずつ、変わってきてるんだろうね。 |
糸井 | お別れのごあいさつを準備してる、 というような感じなんですか。 |
赤瀬川 | 天寿をまっとうするというのが いちばんいいと思うんだけど。 なんでいいかというと、 だんだん体弱ってくるんですよね。 そうすると、あきらめる気持ちが 膨らんでくるというのがある。 死に関する本なんかを読んでいると、 苦労した人というのは、 死ぬ瞬間にほっとして死んでいくんだってね。 それはすごくよくわかるんですよ。 やっと開放されるというか、 そうだと思うんですよ。 |
糸井 | 鎌倉時代とかの、 死体が累々としてるような時代に 生きていた人たちは、 「生まれ変わったらたいへんだ」 って思って生きていたらしいですね。 |
赤瀬川 | そうですか。 |
糸井 | だから、浄土宗の、 「生まれ変わるんじゃなくて 死んだあとは極楽に行くんだよ」 というのが、ほんとに素敵に聞こえたっていう。 |
赤瀬川 | ああ、そうなんですか。 |
糸井 | いまは、機嫌のいい時代なんで 死にたくないんでしょうね。 |
赤瀬川 | そうでしょうね。楽だしね。 |
糸井 | 「自分が何歳まで生きるんだろう」 というふうに数字で考えるというのは、 それが遠いからこそ、考えられるというか。 |
南 | そうだろうね。 どこか弱ってきたりすると、 「いや、そんなにいつまでも というわけにはいかない」って、 なんとなくわかってくる。 「何歳まで」っていうふうに 考えるっていうんじゃないですよね。 なんとなく、受け入れていくというか‥‥。 |
赤瀬川 | うん、運命だからね。 |
糸井 | それが近づいている人にとっては。 たしかに、なんていうだろう、 夕方になったときに、 これから深夜がくることとか、 「寝るまで、どのくらいだろう」 みたいなことは、思わないね。 |
南 | もう、なるもんね。 そうなったら。 |
赤瀬川 | ぼくは若いころ、 夕方、黄昏ってありますよね、 あれが、いやだったことがありますね。 |
糸井 | ぼくも、小さいとき、いやだった。 |
赤瀬川 | 夜ってあんまり、 好きじゃないんですよね。 若いころは不眠症みたいになってたこともある。 いまでも夜は苦手ですね。 |
糸井 | あ、そうですか。 眠ることも、好きじゃない? |
赤瀬川 | うん。 眠るのが苦手だから、 ぼくは死ぬのも苦手なのかな。 |
南 | はっはっは。 |
糸井 | 眠るのは、 生き物の安全性から考えたら、 いちばん危ないことですよね。 |
赤瀬川 | そうですよね。 |
糸井 | 襲われる可能性が高いわけですからね。 その意味では、眠るのが苦手だというのは、 おもしろいことかもしれない。 |
南 | うん、正常な。 |
赤瀬川 | 生きてる証拠。 |
(続きます) |