糸井 | 「せつなさ」って、人が味わえる 快感のひとつでもあるという気持ちが、 ここ1、2年、とみに湧いてきていて。 「わー、おもしろかった」とか、 「うれしかった」と同じように、 「ちょっとせつなくて」という気持ちがね、 価値を高めてる気がするんですよ。 「寂しくなるよね」って言ったときに、 「寂しくなってやれ」って気持ちさえあって。 それで思い出すのは、写真家の荒木経惟さんが、 奥さんが亡くなったときにやった 「荒木さんを励ます会」という パーティーのことなんですけど。 |
赤瀬川 | ありましたね。 |
糸井 | 出版クラブみたいなとこでやったんですよ。 最後に荒木さんのごあいさつがあったんですけど、 そこで、荒木さんは、 「オレはいま、 せっかくいい感じで悲しんでるんだから、 みんなで励まさないでくれ」 って言ったんですよ。 |
赤瀬川 | ああ、そうか。 緑色のスーツを着てたよね。 |
糸井 | だったかなぁ。 なんか、派手な格好してたような気がしますね。 |
赤瀬川 | 昨日買ったんだって。 色はなににしようかなと思って、 緑あんまり見ないから、 というようなことを、たしか話した。 |
糸井 | ぼくはそのあいさつをよく思い出すんです。 そのころの荒木さんの作品を見ると、 奥さんのいない家の屋上とか ベランダの景色とかを撮ってるんですよ。空とか。 ほんとにいい感じで、 この悲しさを味わってるんだから 邪魔しないでくれよ、というあいさつをして、 ぼくには、とてもついて行けないんだけど、 天才というのは、 なんて素敵なこと言うんだろうと思った。 その気持ちをね、 まあ、同じことを味わっていないから こんなこと言うのはあれなんだけど、 ああ言えた人の気持ちを、 最近、すごく理解できるようになった気がする。 明るくゴーゴーゴーじゃないところに、 悲しみもあるんだけど、喜びもあるというか。 |
南 | そうだよね。 「味わう」ってそうだよね。 |
赤瀬川 | 具体的に、せつなさを味わうというのは、 ちょっとぼくは、まだそこまで行ってないですね。 |
糸井 | そうですか。 わざと悲しい気持ちになりたいとか いうことなないですか。 |
赤瀬川 | ないですねぇ。 |
糸井 | あ、それはやっぱり性格かな。 |
赤瀬川 | うん。性格もあるし。 |
糸井 | 死んじゃうと、どうなるかって 子どものときに思いますよね。 若いときとか中年のときは、 逆に思わなくて、 責任のことなんかを考えてますよね。 |
南 | うん。 |
糸井 | ぼくは、このところ、子どもに戻ってますね。 どう準備しておくかとか、 どういう悲しさなんだろうとか、 みんなと会えなくなっちゃうんだなとか。 |
赤瀬川 | うん。 |
糸井 | それが決していやなことじゃないんですね。 ちょっとうれしいし、 あんまり考えすぎると そっち行きたくなっちゃうから、 考えるのをやめてみたりしてね。 そういうのも含めて、 なかなか悪くないんですよ。 失恋をたのしむ女の子みたいなさ。 |
赤瀬川 | やっぱり、勇気があるんじゃないですかね、 糸井さんは。 |
南 | あるね。 縁起でもないですよ。ぼくにとっては。 |
赤瀬川 | はははは。 |
糸井 | スカイダイビングなんかと もしかしたら似てるかもしれない。 |
赤瀬川 | そうだよね。 |
南 | スカイダイビング、やったんだ? |
糸井 | やった。 それは自分のなかにある、 自分の知らなかったものに会いたい という動機でつながるんです。 「恐怖」も、「悲しみ」も。 じゃ、悲しい目にあわせてやろうと 誰かに言われたらいやだけど、 自分からやりたがるみたいなところはある。 |
南 | 野次馬だね。 |
糸井 | 「自分野次馬」。 |
赤瀬川 | 「知りたい」ということなんだね。 |
糸井 | 自分のことを自分は なんでも知ってるつもりでいたのに、 「まだいっぱいあるじゃないか!」 というのが、うれしいんですよ。 |
赤瀬川 | そこは感受性の問題なんですよね。 |
南 | 感受性というか、 感受性を楽しむというか。 |
赤瀬川 | そうだと思うね。 やっぱり勇気があるんだと思うね。 |
糸井 | 勇気がないから、 やってるんじゃないかって ぼくは思ってますけどね。 「どこまで行けるんでしょうかね、あなた?」 みたいな。 |
南 | いやー、でも、やんないよな。 ぼくはスカイダイビングはやりません。 |
一同 | (笑) |
(続きます) |