黄昏 たそがれ 70歳と60歳と58歳が、熱海で。

糸井 じゃあ、最後に、
「黄昏」っていうことばでまとめてみようかな。
伸坊は、どう? 黄昏って。
そういうの、いつもなにも考えてないな。
赤瀬川 (笑)
糸井 伸坊は、空を行く、鳥のように‥‥。
そうじゃなくて(笑)。
考えてないんですよね。
糸井 怖がったりしない?
いや、怖がるよ。
スカイダイビングなんて絶対しないよ。
糸井 責めてる(笑)?
いや、責めてるんじゃなくて。
糸井 でも、ぼくはやっぱり
自分は怖がりだと思いますよ。
赤瀬川 あ、そう。
糸井 黄昏がくると、
「ああ、終わりがあるんだ」
みたいな気持ちになるし。
赤瀬川 うん、うん。
糸井 終わりですよっていう合図。
夕暮れの町に
『新世界』が流れたりするじゃないですか。
『蛍の光』だの、「からすといっしょに」だの。
ああ、そうか、ずっとじゃないな、
って思うんですよね。
子どもをやめなさいって言われたときみたいなさ。
赤瀬川 あるねぇ。
そういう気持ちでいえば、
ぼくは学生証がなくなったとき。
糸井 うわ。
赤瀬川 大学なんて行ってもしょうがないや
って思っていたけど、
ついに学生証の期限が切れたってとき、
やっぱり寂しかったねえ。
糸井 それが黄昏のひとつの象徴。
赤瀬川 そうですね。
しょうがない学生証だけど、それでも、
学生証が終わるというのはね、ちょっと。
糸井 二十歳くらいのときって
強がってても弱いから、なんでも怖いですよね。
赤瀬川 そうね。どっかで甘えてるからね。
もう甘えられないんだっていうのが、
寂しかったのかな。
糸井 ずぅっと前にみうらじゅんとかと、
廃墟に遊びに行ったことがあって、
大勢で寝泊りしてキャンプして。
赤瀬川 廃墟って怖いんだよね。
糸井 怖いですね。
それは大勢で行ったし、
たえず誰か起きてて、たのしかったんですよ。
そのときにね、子ども連れで行ったんですけど、
小学生の3、4年のころだったかな。
バスでみんなで帰ってきて、
さあみんな解散だっていう直前になって、
子どもがぼろぼろ泣き出したんですよ。
「どうしたんだ」って訊いたら、
「わからない」って言うんです。
つまり、別れちゃうとか夕方とか、
ぜんぶいっしょに来ちゃったんだと思う。
赤瀬川 ふうん。
糸井 あの感じは、オレ、親だからというのもあるけど、
そうだろうなと思った。
なにかが終わっていく、別れていく。
それがすべてです。ぼくの悲しさの。
簡単なことばで言っちゃうと、
「祭りのあと」なんでしょうね。
ああ、それで思い出した。
オレは、子どものころ、
おふくろが「祭りの歌」を歌い出すと、
あわててはじめのところでやめさせてたなぁ。
祭りの太鼓の音が鳴って
それに誘われて行くと
もう祭りが終わってしまって何もなくなってる。
そういう歌がある。
なんでそういう寂しい歌を歌うの?
これから寝ようというときに?
っていう気持ちだったんだよね。
なんていう歌だか知らないんだけど。
だから、子どものときから、
同じようなことをしてるんだ。
寂しくなるから、考えるのをやめてしまう。
糸井 ぼくはいま、そういう歌をつくりたいなぁ。
みんなにこの寂しさを味わわせてやろう、
というような気持ちが、
いまのぼくの仕事のなかにはありますよ。
ああ、そう。
糸井 伸坊のなかに、夕暮れはない。
うーん‥‥。
夕暮れの景色はありますけどね。
夕焼けとか。
赤瀬川 夕焼けの景色は好きだね。
ものすごい鮮やかなんですよ。
糸井 下からの光のきれいさっていうか、
穏やかさってありますよね。
赤瀬川 ちょっと赤みがさして、
色が上気してるというか‥‥。
あれはほんとに好きですね。
糸井 悲しくなったりはしない。
赤瀬川 色そのものが好きだからね。
うーん‥‥黄昏ねぇ‥‥。
考えてないですね。
赤瀬川 (笑)
糸井 伸坊とぼくが、
友だちでもこんなに違うというのは
愉快ですよね。
赤瀬川 話は合うくせにね。
(笑)
糸井 おまえ、そんなのダメだよ
っていう関係じゃないんですよね。
「悲しくなれよ、おまえ」とも思わないし。
その違いを知る喜びというのは
スカイダイビングを
やってみたくなる気持ちと同じなんですよ。
友だちでもこんなに違うという発見が、
空から飛び降りて、
わーっと思うのと同じなんですよ。
なるほどね。好奇心だ。
糸井 好奇心だね、言ってみれば。
赤瀬川 好奇心だよね。
糸井 さて、ぼちぼち終わりにしましょうか。
‥‥日も暮れてきたし。
うん。
赤瀬川 はい。
糸井 どうもありがとうございました。
  (終)




2007-10-12-FRI