---- |
井上陽水さん、八谷和彦さん、見城徹さんという
それぞれの対論での切り口やキーワードは何ですか? |
長嶋 |
陽水さんに関しては今のところ「疑問」です。
例えば人が「〜だよ」と言っていることに対して、
あの人は簡単にOKとは言わないで、
「それは、どうなの?」と問いつづけている。
「こんなに売れている自分って、何なの?」
だとか自分自身にも問い掛けているわけで、
急にそれまでとは全然違ったサウンドをつくったり、
詩でもそういうことがありますし・・・。 |
根岸 |
八谷さんの場合、
「ほぼ日」の対談を読み返してみると、
今の段階でもいろいろな発見があるんですよね。
一人でものを作らずに友達と作っているだとか。
八谷さんが何かを作る時の発想のしかたが、
「自分から何かを作ろう」というのではなくて、
例えば、ベルが電話システムを発明する以前に、
いろんな通信をみんなでまだ考えあぐねている
ような段階を仮に想定してから発想していて。
そういうところに、今までのクリエイティブについての
考えを破壊してくれるようなヒントがあると思う。
「破壊するぞ」とも気負っていなくて、生き方も
「ま、かたいこと言わないで」という感じなんだけど、
でも意思はしっかり持っている人だから、
そのことをキーワードにしたいと思いますね。
今仮に出したのは「発明」という言葉なんですけど、
これは昔から使われている言葉で、
クリエイティブとも相性がよすぎるから
ちょっと違うなと思いながらの状態です。
八谷さんは「一人でものを生まない」というか。
エアボードにしてみても、コンセプトは八谷さんでも、
最後の絵をつけている人は全然関係のない人で、
それでも八谷さんがつくったものとして世に出ている。
自分一人のものではないと考えて作ることに
私は一番共感をしているし、何かそこに
ヒントがあるような気がするんです。
もちろんそれは「みんな仲良く」というようなのとは
全然違うことだと思うんですけど。 |
長嶋 |
見城さんのキーワードにと考えている
「ひんしゅく」も、いい言葉だと思います。
だって今日見城さんに会ったら、
本人が幻冬舎のコピーで書いたにも関わらず、
「お前、ひんしゅくばっかり買っていても、
信頼なんか得られるわけないじゃないか」
と取材で言われたという話があるわけですから。
これはほんとで、人にひんしゅくばかり買っていたら、
作家にものなんて書いてもらえないわけでしょう?
根底には、人と人との信頼関係というか、
作家と見城さんの間にはソフトに対する信頼があるから、
そこまで戦略的にひんしゅくを買うことができるわけで、
そこがなければただの嫌な奴じゃん?
その辺のことを浮かびあがらせるには、
ひんしゅくは、いい言葉だな、と思います。 |
根岸 |
「ひんしゅくはお金を出しても買え、
というのがモットーだ」
と見城さん本人が言っているのにも関わらず、
こっちが「ひんしゅくなんですよね?」と聞いたら
「俺はひんしゅくだけじゃあない」と言う、
そこは面白かった。 |
長嶋 |
今、番組の全体のトーンを考えたりするんです。
トーンというのはなかなか説明しにくいけど、
番組の色とか絵の感じだの大体の感じを言って、
ストーリーとかテーマでなくて、むしろ形式なんですが。
そういう意味では、僕はこの番組のトーンは、
対論で「論が対峙する」わけですから、
「対談ウエスタン」というか。
西部劇で決闘すると、そこでは全存在をかけて、
生きるか死ぬかの撃ち合いをしているわけでしょう?
今回は、クリエイティブというワードが
ある種ライフルみたいなものじゃない?
・・・そこまで盛り上がってくれたら、
すごくいいなあと思っています。
どの語り手もクリエイティブと生き方が
リンクしていると思うし、
小賢しいうわべだけの工夫だとか
アイデアだけでは、
この決闘には勝てないと思うんですよね。
それに、それだけの強者たちが今回は揃ったとも思う。
その意味では糸井さんはそんな
強者たちの待つ決闘の場に
向かうということになるから、
そりゃたいへんだろうなあと思います。
対談の場での「勝ち負け」もあるだろうし。
僕はプロデューサーとしては、
「みんな、がんばって切り刻んで欲しいな」
と勝手に思っているけど。 |
根岸 |
「対談ウエスタン」というのが、
どうもわかんないんだけど。
何ですか?それは(笑)。 |
長嶋 |
自分の存在をかけて臨むというか。
つまり、自分自身がテーマになってしまうわけです。
例えば糸井さんが語るのも、村上春樹氏の話だとか、
「広告表現について」「マーケッティングとは」
というような題材ではないわけだから、ごまかせない。 |
根岸 |
存在と存在のぶつかりあいであって欲しいのか。
その点ではすごく悩んでいて、
「どうして袋小路に入っているんだろう?」と思ったら、
私は見城さんと糸井さんの立場を曖昧にしていたんです。
それは糸井さんがわかりにくいというのが主な原因で。
見城さんは「俺は編集者として生きていく」と
はっきりおっしゃっているけど、糸井さんは
今日の取材でもおっしゃっているように、
生み出すところまでは作家で、生んだあとは
編集者というか届けることを考えている人で、
「糸井さんは今どの立場でものを言っているの?」
というのが、混乱するんですよね。
「俺はほぼ日刊イトイ新聞の編集長として喋りたい」
と完全に言うのなら、
編集者対編集者のガチンコになるんだけど、
「俺は作家だもーん」と逃げることもできる。
そうすると一つの案としては、
糸井さんは、作家・表現者の立場から
見城さんにもの申すということをしてもらいたい。 |
長嶋 |
僕は、編集者対編集者だと思うんだよね。 |
根岸 |
一貫してそうですか? |
長嶋 |
現在のメディアの編集者のキングと、
新しいメディアの編集者のキングとして対峙してもらう。
糸井さんの立場がわかりにくいというのは、
それが糸井さんがこの3夜をナビゲートできることの
一番の理由だと思います。3つのそれぞれの人に
ちゃんとぶつかれる引き出しを持っているという。
だからつまり、陽水さんの時には
糸井さんは表現者として対談するんでしょう?
実際作詞したり文章を書いたりしているからね。
表現者としての立場は陽水さんとの時でいいと思う。
やっぱり、どうして歌を生み出すのか?という
本質的な問いかけをしたいだろうし。
陽水さんに編集の仕組みをきこうとも思わないし、
インターネットについてきこうとも思わない。
見城さんが編集者で糸井さんが表現者となると、
ピストルと刀で戦っているようなものになる。
だから編集者として、日刊イトイ新聞という
メディアを持っている立場として会って欲しい。 |
根岸 |
糸井さんがほぼ日をはじめたのって、
編集者としてはじめたわけじゃないでしょう?
糸井さんは確実に、表現者として・・・。 |
長嶋 |
自分のやりたいことのメディアを持ちたいというのは、
編集者としてでしょ? |
根岸 |
いや、表現者としてでしょう? |
長嶋 |
そうかなあ? |