テレビ逆取材・ クリエイティブってなんだ? |
第11回 事前の構成は裏切られればいい [今日の内容] 前回にひきつづき、ディレクターの 根岸弓さんへのインタビューになっています。 撮影のすぐ後の時点で話を伺ったということもあり、 撮影過程で迷ったり考えたりしたことについて。 (八谷和彦さんの事務所で対談中) 「3日前の撮影で、はじめて 大きな失敗をしたなあと思いました。 転校生は優等生を演じたほうが話が早いこともあって、 私はADの頃からあんまりミスをしなかったんです。 ミスをしない人だと思われていると不自由なので なるべくなら失敗しようと、前に考えたのですが、 なーんか、やっぱりあんまり失敗をしない。 これはこれで失敗ができないという悲哀があって、 安全なほう、安全なほうを選んでしまう・・・。 だから今回、失敗をしてしまったことは、 私にとっては、とてもよかったと思います」 ----どういう失敗でしたか? 「この番組の企画は3月から考えていましたから、 もう、5か月も経ってしまっていますよね。 ふつう、こんなに悠長な番組づくりはないのですが、 その間、夜に鼠穴に行って、こうしたらどう?とか、 ロケに入ってからも細かく打ち合わせをしていたし、 ずうっと糸井さんをひきずりまわしていたから、 実は3日前の撮影の時には、 『これ以上うるさいことを言うのは気がひける』 と感じて、ちょっとさぼってしまったのです。 話すのは糸井さんなのに、こちらから何度も 『このテーマをこうやって欲しいです』 と提案をするのが、ちょっと心苦しいなあと思って。 番組上のうるさいことを言って、 対談のモチベーションを下げたらどうしよう?と、 糸井さんに自分の考えを伝える勇気がなかった。 これ以上何かうるさいことを言って拘束したら、 今までずっと番組につきあってくれた 糸井さんに悪いし、私も嫌われるかもしれない・・・ その遠慮が裏目に出たのが、今回の失敗でした。 失敗したのは、八谷さんと糸井さんの対談を 2日撮影したうちの1日目でした。 その時の二人の話もおもしろかったんだけど、 テレビで対談をはじめて、しかも前提条件なしで 45分以内という短い時間で見る人にとっては 話が伝わりにくい、難しい対談になってしまいました。 テレビでやる対談なので、糸井さん八谷さんの二人に 存分に話してもらう、なんてことはできるはずがない。 そこのところが私は甘くて、 本当は、あるテーマを半ば強制的に提示して、 糸井さん八谷さん両方の一部分だけを切り取るような 割り切りをするのは、当たり前のことなんですよね。 『嫌われるかもしれない』とか、 『こいつ馬鹿じゃないの、とは思われたくない』 と怖がって自分の意思を伝えなかったのは、 ディレクターとして、とてもいけないことでした。 『私たち撮る側がこの番組を作るんだから、 責任もリスクも全部負います』という決意が 足りなかったから、そうなったような気がします」 ----その失敗のあと、具体的にはどう動いたのですか? 「でも、やっぱりそれじゃあ、いけなかったから、 その次の日の糸井さんと八谷さんの 2度目の対談では、もう嫌われてもいいから、 『とにかく、発見ということで話をしてください』 と、その日に伝えました。 ちょうど対談が3時からでしたが、その日は 糸井さんに『4時半から予定がある』と言われて。 私はそれを聞いて、え?1時間半! いつもの撮影の半分以下の時間・・・! 八谷さんとの対談はこれで最後ですから、 後に引けないしやり直せない 言うなれば最悪の状態になったんですよね。 だけど、逆に、やったるぜ、 ここでやれなければだめだ、と感じました。 この1時間半しかないという緊張感もあって、 結果的には、かなりよく撮れたと思います。 昔のテレビがほとんど全部生放送で撮っていた、 というようなことがありますけど、 緊張感があるからできることって、あると思います」 ----はい。それは思います。 実際に2日目の対談を横で見ていて、 時間を限られたという緊張感があるから あとがないかたちで対談がよくなったと思いました。 「それに、失敗をして、改めて考えました。 モチベーションがないと、 人って、あんまり考えられないでしょう? 考えることは、けっこうしんどいことですから。 好きなことはいくらでも考えられるけれど、 仕事でまとめなければいけないという時になると、 一番最初の打ち合わせの頃の思いに比べれば、 削ぎ落としていく、辛い時期でもありますよね。 そういう形にしなければいけない段階に入って もうモチベーションが下がっていた・・・ そういう最中の失敗だったから、逆にいろいろと 番組のことをきちんと思うきっかけになったんです。 本当にクリエイティブな番組作りは、 打ち合わせにカメラを持っていって、 方針が変わることも、途中の考えも、 その全部を撮って編集をすることだと思います。 だけど、それだとビデオテープもたくさんいるし、 スタッフを何日も拘束しなければいけないし・・・ 結局は、お金の問題で、それができない。 それで、コストを下げるために、ディレクターが 構成を書くようなことをやっているんですけどね。 効率よく撮るための必要悪として構成があるのですが、 先に構成を決めてしまうと、 何か予想もしないことが起きることを 待ったりするということは、ないですから。 ただ、糸井さんと八谷さんの1日目の対談が 私のせいでテレビとしては失敗に終わった時に、 次の日のために頼れるものは、その構成しかなかった。 人目にさらされるのは2人なのに、 こちらの意向の題材で話してください、 と頼まれるのは本当は困るなあという気持ちが、 正直2人にもあったと思うんですよ。 私も『これについて話してください』という言い方が 本当に嫌いですし・・・そのへんは何か、 もう1回考えなければいけないなあ、とは思いました。 今までの『構成主義』みたいなのから離れるというか。 ・・・今日(7月28日)『ほぼ日』に書いてあった、 『ぼくのパワーブックのデスクトップには、 「その方法じゃなく、できねぇかい?」 という言葉が貼り付けてある。 いままでにある方法で考えたり実行しようとしたり、 経験のある「くりかえし技」に落ち着こうとする 自分自身に、ケンカを売っているわけだ。 たいていの「その方法」というのは、 誰にも納得できるような、 誰でも考えつきそうなやり方だ。 会議での多数決を信じて仕事を進めると、 たいていは不毛な競争に巻きこまれる。 みんなと同じ場所で争うことのほうが、 安心な気がするのだが、それこそが、実は危ない』 という糸井さんの文章は、 安定した方法に落としこんでいては だめじゃないか、発見なんてないじゃないか、 と私たちに向けて書いてあるような気がしました。 安全な方向に走ってはいけないんだなあ、と けっこう重く受け止めているんですけども。 何かをかたちにするのは、つらいですよね。 どんなものを作っているひとでも、ものじゃなくても、 何かの仕事をしている人って、そう感じていると思う。 かたちにしてみたら、常に、自分が思っていたことより 案外つまらないものだったりするから。 だから構成を書く時にはいつも、自分の構成なんて、 裏切られればいいなあ、と思って書いています。 構成に従ってこうなればいい、というのではなくて、 こういうことを考えましたけど、お2人はどうですか? と、2人の間に起きる化学反応のための触媒のように、 どれだけ激しく、どれだけいい話にするか、は、 こちらで刺激を投げこまないといけないことですから。 そういうことを、2日目の対談前夜に考えていました」 ★「構成主義」に入ってしまうというようなことは、 テレビに限らず様々な分野で陥りがちなことでしょう。 自由さや融通や、未知のものと出会うことは、 何かを作ろうとしている人にとっては、 いつも課題になっているのかもしれません。 (つづく) |
2000-08-07-MON
戻る |