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テレビ逆取材・
クリエイティブってなんだ?

第13回 クリエイティブは「テロリズム」だと思う


[今回の内容]
撮影が終了した後の編集中の状態で、再び、
プロデューサーの長嶋甲兵さんに話を伺いました。
長嶋さんにとってクリエイティブとはどのようなものか?

ビートルズをリアルタイムで見なかったことが、
どうやら、かなり重いようなのです。
番組のトーンを決める人のクリエイティブ観は、
ひと癖もふた癖もあります。どうぞお読みください。




(撮影中の様子。左はじが長嶋甲兵さん)


----長嶋さんは、この番組で何を伝えたいと思いますか?

「この番組を普通に観ている視聴者を想定すると、
 何が言えるのかなあ?と考えこんでしまいます。
 正直なところ、何百万人に向けて発するメディアで
 クリエイティブについて、あまり深いことを言っても
 通じないのかもしれなくて・・・。
 『自分の生き方は自分で考えよう』
 伝えられるのは、この位のことだけかもしれません。
 ただ、このメッセージはとても大切だと思います。

 自分で考えることは、すごく大切なことだけど、
 戦後はアメリカの憲法を鵜呑みにすればよかったし、
 そのあとも、日本人というのは、ある意味では、
 誰か他の人の考えたようなものごとに
 つき従っていればいいというような風潮でしたから、
 あんまりものを考えないようになっていましたよね?
 たとえば全共闘運動にしても、
 『あんなのはだめだ』と反発しているだけでは、
 自分のビジョンではないでしょ。
 だけど、一番必要なのが、そのビジョンなわけで、
 自分でものごとを考え出すというのが、
 『クリエイティブ』ということになると僕は思います。

 今、自分がどこにどういるのかをわからなければ、
 『じゃあ、あそこに行こう』とは考えられないから、 
 自分でものを考えるためには、
 まず、どうやって立っているのかを
 わかる必要がある。 
 僕はこの番組で、そうやって
 自分を認識する方法というものを考えたかったし、
 観る人にとっては、この番組が、
 『なるほど、こういうふうにすることが
  自分で考えることの、とっかかりにはなるんだな』
 と思うきっかけになるといいなあ、と考えています。
 ですから、井上陽水さんの『疑問』や、
 見城徹さんの『ひんしゅく』であったり、
 そして八谷和彦さんの『発見』といったキーワードは、
 観ている人の自己認識に、関わってくるのでしょう。

 例えば『疑問を持つ』ということひとつにしても、
 何にでも猜疑心を抱くとも言えるわけで、
 まあ一見ネガティブにも取られがちですけど、
 社会でみんなに言われていることが
 本当に正しいのかどうかは、そのひとつひとつに
 疑問を挟むことによってしか納得が得られないんです。
 だから、いいディレクターやジャーナリストは
 ほんとに嫌な奴、猜疑心の強い奴で、
 『ほんとにそれはそうなのだろうか?』と
 徹底的に考えて、自分なりの真実を見つけますよね。 
 それとやっぱり、見城さんのように
 『ひんしゅく』を買うというか、
 つまりほんとにそれまでの常識にとらわれないで
 考えないといけないのなら、逆に言えば
 まわりにひんしゅくを買うようなことぐらいでなければ
 本当に新しいこととは言えないということになるから、
 このふたつのキーワードは、とても面白いと思います。

 そしてもうひとつの言葉、八谷さんの『発見』ですが、
 これはテーマの中で一番むつかしいところです。
 自分のやりたいことをどう発見するのか?というのは、
 ものすごくむつかしいことだと思いますから。
 『やりたいことをやりたい』とは
 誰もが感じているのだろうけども、
 じゃあ、自分のやりたいことは何なんだ?
 ・・・それを見つけるのはとてつもなく大変なことで。

----そういう中で、長嶋さんが見つけたい
  クリエイティブとは、どのようなものになりますか?


「糸井さんや井上陽水さんや見城徹さんの世代の人には
 やはりリアルタイムでビートルズがあったのが
 とても大きくて、僕が思うには、たぶん彼らは、
 『どこかで何かが世界を抜本的に変えられる』
 という気持ちがあって、そしてその気分を
 今でも持ちつづけているのではないでしょうか。

 例えば、見城さんの文学への心情は、
 人間の『業』だとか弱さに対する思いで、
 彼はそれを『せつなさ』と呼んでいて、
 それは僕たちにもすごく伝わってくるし、わかる。
 だけど、その文学への心情があったとして、
 何でミリオンセラーを狙い続けないといけないの?
 という疑問は、当然、出てきますよね。
 文学への気持ちはわかるけど、
 どうしてヒットを飛ばさないといけないの?

 『いいものを多くの人に見せたい』以上の気持ちで
 見城さんがミリオンセラーを強行に狙い続けるのは、
 やっぱりビートルズがいたからだと思うんです。
 『HELP』にしても『HARD DAYS NIGHT』にしても、
 助けてくれ、とか、今日の仕事は辛かった、だとか、
 そんな若者たちの、どこにでもあるせつなさが、
 国境だとか人種だとか言語を越えて、
 巨大なセールスになり、
 世界市場を作ったのを見ているわけだから、
 その体験は彼らの年代にとって、
 ものすごく大きいことだと思います。
 思いが強かったり、ソフトそのものが魅力的ならば
 国境も社会的な障壁も階級差も、
 すべて乗り超えられるという幻想があった・・・。
 ですけど、彼らよりも
 10歳ぐらい下の僕にはそういうものがなくて、
 コアに『これがいい!』と信じるものが、ない。
 ある種の一体感のようなものがない、
 拡散した時代に育ってきたような気がします。

 さっき言っていたように、僕は
 自分がどう生きるかを考えるために
 今どこに立っているのかをちゃんとわかりたいんです。
 かつて、世界のあちこちで神話が作られていたけど、
 あれは、それぞれのいる場所をわかるためには大切で、
 昔の人は『神』というコンセプトを作ることを通して
 今、あやふやで茫洋としたところに立つ自分たちに、
 『こういうわけで、今ここに私達はいる』と、
 点をひとつ打ってあげたのだと思います。
 神話は、自分たちをわかるために必要だったんです。
 今も似たようなことがあって、
 どういう過去があって今があるのか、
 その今のなかでも、どの世界にいるのだろうか?
 どういう位置取りをしているのかをわかりたくて、
 それを一生わからないままやっているような気がする。

 ぼく個人にとってクリエイティブは、というと・・・。
 以前に『21世紀への伝言・井上陽水の世界』という
 番組を作るために取材をしていた時に、
 糸井さんが、陽水さんのことを
 『テロリストです』
 と言っていたものの受け売りですが、
 クリエイティブというのは、
 テロリズムなのではないかと思うところがあります。
 土台を積み上げていってできたものが、
 実はぽんと叩いただけで倒れてしまう、その足場の
 あやうさを撃つ、或いは警告することでしょう?
 ・・・だから僕は、糸井さんと八谷さんの
 対談を聞いていて、とても面白かった。
 八谷さんは、自分でこうしてやろうというよりも、
 ミッション(使命)で
 何かを作ると言っていたでしょう?
 あの気持ちは、よくわかりました。
 僕の場合、自分でやりたいというよりも、
 どうしてこうなってしまうんだ、とか、
 これは嫌だなあとか、腹が立った、とか、
 そう思ったところからはじまるからです。
 
 例えば何かを取材する時にも、実は
 人間の弱さやいじましさ、アクシデントのために
 最初に希望していた方法を
 取れなくなることがあります。
 『こんな状態で、どうやって番組にするんだ?』
 ・・・その時に、話が違うじゃないかと思うような
 憤りとか怒りとか反発で、
 じゃあこれをこうして作ってやろうと感じたり・・・。
 だから、僕の作った番組がテレビの賞を取って、
 『この作品はすごい計算で構築されている』
 と表彰式で言われた時には、笑った。
 最初の計算どおりでは全然なくて、
 その場その場でのつぎはぎだらけだったし、
 ネガティブな動機から発して作っているんだから。

 民主主義とかいうシステムだって、歴史的に見れば、
 とてもネガティブなところからできているでしょう?
 ジャン・ジャック・ルソーなんて、とんでもない男で、
 自分では子供を3回くらい捨ててるんだから(笑)。
 自分は子供を育てられないから、
 通常の親に教育をまかせているわけにはいかない、
 そんなネガティブなところから『エミール』を書き、
 教育制度を考えたんだから。
 ・・・だから、表現は、すごくネガティブなものから
 はじまっていると思うんですよ。
 それを、テロリズムと言ってしまうと
 かっこいいというか『狙った』感じにはなるけど、
 きっと、クリエイティブは、そういうものだよね。

 糸井さんも、そうなのではないかと思います。
 『ほぼ日刊イトイ新聞』を
 僕が信用できるのは、それだからです。
 コピーライターに飽きてきたこともあるだろうし、 
 トレンドでやるような商売の宿命で、
 第1線にい続けられない、とも感じただろうし、
 インターネットに関しても、
 糸井さんがはじめる数年前から
 様々なアーティストがページを開いていたから、
 乗り遅れたという観も、あっただろうと思うんです。

 だけど、インターネットは面白そうだということで
 糸井さんも『ほぼ日』を作りはじめたわけでしょう?
 だけど、既にインターネットそのものは
 トレンドではなかった。だからこそ糸井さんは、
 今までのアーティストが作っていたページのような、
 自分のこれまでの蓄えをページに出す、
 ということを、しなかったのでしょうね。
 自分の生きていく世界はここなんだというぐらいの、
 血肉に関わるような、逆に言えば諦めぐらいの形で
 インターネットに取り組みはじめたからこそ、
 他の人のページとは違う可能性があったわけです。
 マイナス条件の中で飛び込んでいったからこそ
 つかめる何かがあっただろうと思って、だから僕は
 糸井さんのやっていることを好きになったんです。
 『ほぼ日』を読んでいる人が応援しているのも、
 きっとそう一生懸命やっているからだと思います」




★「取材時の人間の弱さに出会って、
  『こんな状態で、どうやって番組にするんだ?』
  という憤りとか怒りとか反発で、これを作ろうと思う」
  あたりの長嶋さんの話、実感がこもっていて、よかった。
  ビートルズをリアルタイムで見た世代は、
  思いが共有されうるという幻想を持っている
  という指摘も、とても鋭い分析だと思いました。
  これは、幻想なのだろうか? いったい何なのか?
  darlingに訊ねていますので、お待ちくださいませ。


(つづく)

2000-08-09-WED

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