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テレビ逆取材・
クリエイティブってなんだ?

第18回  インターネットビジネスは、現代の
     奴隷制度を完成させてしまうのだろうか?
     「消費こそ生産だ」とすら言いたい気がします



[今回の内容]
「生活や、ビジネスの世界においても、
 アートのように鋭いひらめきがあって、
 それこそがクリエイティブではないだろうか?」

この番組のディレクターやナビゲーターたちは、
はじめに、そのような問題意識を強く持っていました。
しかし、来週に放送される番組で登場する対論相手は、
ほとんど芸術家肌と言ってよいであろう面々になります。
ビジネスをクリエイティブとして扱うのは、難しいの?
番組ナビゲーター・糸井重里に訊いてみました。どうぞ。




(darling & 八谷和彦さん。
 「ビジネスより遊び」のふたり)



----ビジネスとクリエイティブの関係をどう考えますか?

「ビジネスは、お金をかせぐことになるわけで、
 ある1つの、もうける便利なシステムを思いついたら、
 あとはそれを具体的に現実に目に見える形にして
 たくさんの人に配りさえすれば、成功します。
 それはそれですごいクリエイティブがあるだろうけど、
 芸術家のように、自己模倣に耐えられないという動機で
 次々に新しいものを作る必要は、あまりないですよね。

 そもそも、ぼくが思うには、
 『なぜそんな無駄なことを一生懸命にやってるの?
  どうしてそう過剰に装飾をしないといけないの?』
 というような中で生まれるものが、一番、面白い。
 だから、脱線しながらの打ち合わせが好きなんです。
 でも、ビジネスは、やっぱり、近い未来に
 役に立たないといけないというような縛りがあるから
 『ビジネスをすることが、クリエイティブなのである』
 といちがいに言いきることは難しいのだと思います。

 短期的な目に見える金銭をかせぐことよりも、
 考えたり作ったりするというエネルギーそのものが
 本当の豊かさなんだと思いますから、
 ぼくは、無駄なことをやっている力が大好きなんです。
 『インターネットが普及している。
  もうけられそうだから何かはじめよう』
 というよりも、
 『実現したいことがあるから、
  インターネットをはじめてみちゃった』
 というほうが、ずっと楽しそうでしょう?

 『なんだかしらないけどやっちゃった。
  あの時はバカだったけど、楽しかったなあ』
 そんな『ただやりたい』という力はずっとかっこいい。
 宮崎駿さんにしても岩井俊二さんにしても
 そこまでの必要はないのに、
 映画の全カットを自分で書くよね?
 あれこそ、ただ、やりたいだけ、なんですよ。
 それ以上の意味は、きっとない。
 だから、ぼくはあの人達をいいなと思うんです。
 一生懸命努力して根性で打ったヒットよりは、
 ぽーんとひとつ、思わず打っちゃったような
 清原のホームランを見たいというか。

 勝手に、その時々に一番やりたいことをやることが
 ないがしろにされない土壌ができていれば、
 本当にソフト革命が起きるわけで、
 ぼくはそれを期待しているんです。
 雑誌にしても、本当は発想と企画力だけが重要なのに、
 編集者たちが食べるための仕事に追われているから
 どこかからの注文にあわせて
 ものを書く癖がついてしまっていますよね。
 やりたいことを言えないし、
 やりたいことを持たない状態が
 雑誌ですらも一番中心になっているのは
 つまらないですから、変わるといいなあと思います。
 馬鹿にされていたソフトづくりというものが
 生き生き動いているのを、見てみたいんだよなあ。
 そうしたら、作り出されたものがシェアされるし、
 本当の仕事ではなくても、
 パートタイムで表現をする人が出るかもしれないし、
 作り出されるものへの観賞眼が育つかもしれない。

 無駄なものを買ってそれを楽しめることこそが、
 クリエイティブで豊かな状態かもしれないじゃない?
 ビジネスだと、お金を手に入れることだけになるけど
 今、ぼくたちがまだ持っていないものである
 使ったり楽しんだりするクリエイティビティが、
 育てられるといいなあと思うんです。
 例えばおいしいものを食べたことがなければ、
 そのおいしいものの価値はわからないじゃないですか。
 消費しないと、おいしさの価値が出ないですよね?
 もう『消費こそ生産なんだ』と言いたい気すらします。

 その意味で、ぼくはポンペイにすごく学びました。
 紀元前の世界なのに、あの豊かさは、すごい。
 装飾なしでは生きられないぐらいの装飾過多で、
 どのテーブルの足も、猫の足みたいになっている。
 お金持ちは自宅に本当に豪華な壁画を作らせるし、
 貧乏人は貧乏人なりに、
 ペンキ絵のようなものだけど壁画を描かせる。
 財産を使う意思が、生活を、
 楽しくするところに向けられていることは
 本当に素晴らしいなあと思いました」

----今は生活が楽しくない方向だと思うのですか?

「今、クリエイティブではないオペレーションの部分、
 何かのやり方と言うか技術や体力労働の部分は、
 コンピュータや機械の登場によって、少しずつ
 人間がやらなくてもいいようになってきているでしょ?
 だから、ぼくはポンペイの歴史研究の先生に、
 『今、ポンペイの奴隷にあたるのが、
  コンピュータになるんですよね?』
 と訊いてみたんですけど、そうしたら違うんです。
 『いやあ、その頃の奴隷は今のサラリーマンでしょう』
 と、さらっと言うんですよ。これはびっくりした。

 よく考えると、その通りですよ。
 生涯賃金が決まっていて、
 階級が上がらないような仕組みができているじゃない?
 それは、奴隷以外の何ものでもない。
 サラリーマンが奴隷のような状態で、
 しかも、お金の使い道をわからないで、
 飾らないで預金をしてばかりでいるのは、
 豊かさを獲得できないでいるのと
 全くおんなじだと思うんですよ。
 そのうえ、日本国内の市場も冷えてしまいます。

 インターネットは、今のままでは
 ぼくたちをもっと貧しくするかに見えますよね。
 どのサイトに行ってもセールスマンが待ち構えていて、
 サラリーマンどうしの商売の奪い合いになっている。
 企業はお金を生むマシーンですから、
 インターネットにたくさんの人を入れて、
 お金を吸い上げるシステムを作ろうとするでしょう。
 そしたら、インターネットが
 奴隷工場になるのは、避けられない。
 その工場の中で、どれだけ業績を上げるかの
 サラリーマン同士の首の締めあいになるし、
 そういう中で勝ち負けの中では、奴隷よりも
 下の存在が出てくるから相対価値は上がるけど、
 結局、忙しく商売をつづける
 奴隷であることには、変わりない。

 気晴らしだとかひまつぶしのための、
 簡単な通信手段で遊んだり、
 安いけど恥ずかしくない服を着たいというのは、
 あんまり豊かでも無駄でもない、
 遊びのない奴隷の消費行動だと思います。

 でも本当は、サラリーマンのひとたちも
 豊かさを求めていないわけはないでしょうから、
 ぼくは、これをひっくりかえすものとして、
 アートの無駄さの可能性があるんじゃないかと思うんです。
 インターネットで表現の機会が増えることが
 いろいろな人の観賞眼を養って、
 にぎやかで楽しくてふざけたことが増えて、
 要らない装飾をすることが多くなったら、
 豊かさにつながるのではないでしょうか?
 やっぱ、無駄な彫り物なんてかっこいいよね。
 過剰な装飾をしたいですもん。

 『新しい時代の豊かさを模索したい』
 なんて大上段に振りかぶったようなことを思うのは、
 それはぼくが、ただ、
 『未来のほうが、今よりも、いいじゃん?』
 と言ってみたいからなんですよ。
 今、どんなニュース番組を見ても、
 『世の中はどうなって行くのでしょうか。
  ますますわからなくなってきています。
  不安で、怖くて、嫌な世の中になってきました』
 というようなことを言っているでしょ?
 ぼくは、それ、嫌なんです」
 
 
★クリエイティブとは、無駄な楽しいことなのかなあ?
 確かに、何でそんなに過剰に装飾をするんだよ!
 というぐらいのポンペイの人たちの暮らしや
 江戸時代の富裕な町人の感覚、パリの貴族などには、
 無駄だけど、楽しいだろうなあと思わされるけど。
 古代都市ポンペイについての「ほぼ日」対談を
 お読みになりたいかたは、「↓」のページへどうぞ。

https://www.1101.com/pompeii/index.html

(つづく)

 

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2000-08-14-MON

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