テレビ逆取材・ クリエイティブってなんだ? |
第20回 『生きることに向いてない人もいるのか?』 という問いかけすらも、本当は存在しうる [今回の内容] 「なぜ、クリエイティブをする場所として インターネットを選んだのだろうか?」を、 番組ナビゲーターの糸井重里に訊ねています。 インターネットがどんな場所であり、 そこで何をしたいのかをしゃべってもらうことで、 クリエイティブについても触れることになりました。 (番組撮影中の風景) 「テレビを見ていると、社会には、 典型的な普通の人以外はすべてが 『異常だ』とみなされてしまうような、 つるんとしたアンドロイドたちだけが 存在しているようにさえ、見えますよね? 死体や犯罪者の心が社会の目から隠されているけど、 事実としてなくせない心理だとも、ぼくは感じます。 例えば、自殺をする薬を売っていたホームページには、 テレビのニュース報道ではほとんど出てこない、 人としてプリミティブな部分が表れてきていたと思う。 自殺について考えるサイトの中には、 『生きることに向いてない人も、いるのではないか?』 という、とてもリアルな問いかけがありました。 これはたぶん、全員に対して 『あなたは、死なないで』 と言えるような、学級委員タイプの問題ではない。 ・・・言いにくいんだけど、 きっと、生きることに向いていない人も、 こんなに多くの人がいる中には、いるのでしょう。 どちらにしても、ある人に対して 『生きることに向いているのか?いないのか?』 という問題の立て方があること自体を認めないと、 そのことを考えることすらできなくなると思います。 考えることさえできない状態は、不自由ですよね? 整理しやすくてわかりやすいものだけを選ぶと、 人の持つ闇の部分やわけのわからない心の動きを どんどん『ない』ものにしていくことになる。 それは、おそろしいことだと思います。 去年の1年間、吉本隆明さんと一緒に 週刊誌で人生相談のコーナーをやっていたのだけど、 吉本さんの答え方は、とても面白いものでした。 猟奇的事件についての話題になった時にでも、 『戦国時代のような社会においては、 酒鬼薔薇のやったような、首を切って飾ることは、 猟奇でもなんでもなかったわけですから、 まずはそこから考えていくほうがいいと思う』 と、吉本さんは、根本的なところを話すんです。 確かに、首は、昔からいくらでも陳列されていた。 酒鬼薔薇のしたことは、いまの社会のルールからは かなり逸脱したものではあるけれど、 『猟奇』と言いきってしまい、 『あいつのやっていることはわけがわからない』 と片付けてしまうと、理解の軸では捉えられない。 そういう、首を切るような心情も 人の中には存在しうるんだ、というところで 考えをしはじめないと、わかる物事が ずいぶん範囲の狭いものになってしまいます。 『びっくりした』という言葉は弱いひとことだと思う。 軍隊の将軍だとしたら、戦いの最中に 『うわあ、びっくりした。わけがわからないよ』 なんて言っても、現状の打開につながらないでしょ? 将軍は、びっくりしないで理解しようとするべきで。 ・・・ソリューションだとかITとかいう言葉で きれいにおさまりがつくだとか考えるのは、 そういうこともあって、無理だと思うんだよね」 ----だから、何かをきれいにまとめたくないのですか。 「まだ言葉になっていないものも出てこられる場所が、 インターネットなのだと思います。 人が思っているものの範囲は、 実は宇宙と言ってもいいぐらいにとても大きくて、 その考えをつなぎかえているからこそ、 ひとりの人からどろどろした欲望も深い英知も 総体から涌き出てくるんだろうなと思う。 今のところ、インターネットでは 言葉と画像にできるものに限定されているけど、 でも言葉にしても、ホームページの画面には、 それを書いている人の言葉にならない思いまでが、 まだ熟さないままで、結晶化してくるんです。 例えば自転車にすごく凝っている人のサイトを見ても、 自転車という乗り物を説明する語り口のなかに、 その人の違う面での思いが、 言外に噴き出しているのかもしれないですよね。 ある思いが、まだ熟していないままに、仮の言葉で まず結晶化されていくのがインターネット的で、 ネットに触れはじめた時、 ぼくはそこを、面白いなあと思いました。 テレビや、企業のマーケティング部の調査からは、 そんな生の思いに触れられることがなかったから。 まだインターネットは過渡期にあるから、 昔にカメラを取り扱うのが難しかった時に カメラを扱える人がいばっていたようなのがあって、 わざと難しい用語を使って自分の価値を 高めるような人が、けっこういるんだけど・・・。 例えば文学賞の選考委員が述べるような 『この作品は、まだ、女が書けていないね』 というオペレーションができていない部分のことは これからは、意味がなくなるかもしれないと思います。 だからぼくは、オペレーションをあまり考えずに、 とにかくインターネットに『ほぼ日』を 毎日出していくということで進むことにしました。 『まだだから』と、エネルギーを出さずに、 ものを生まない練習をしているだけのうちは、 だめだと思っていたから。 中学生の時に読んだヨガの本に 『息をはきつづけると、 出しきったところで吸う息が自然に入る』 と書いてあって、かなり感心したんです。 で、まずは出しきろうと思って。 ・・・似たようなことは、よく考えます。 話は脱線するけど、お風呂に入っていて、 お湯が冷たい時、ぼくがあたたかいお湯を 自分の体の側にもってこようとしても、 これが、なかなか、あたたまらないんです。 でも、逆に、いま自分のまわりにある冷たい水を 遠くに押しやると、あたたかくなるの。 そういうの、面白いよね。 会社でも、優秀な奴をいくら入れても 冷え切った組織は、あたたまらないと思う。 男女の仲でも、冷えきったところに 熱を入れようとしても、仕方がないでしょ」 ----インターネットでクリエイティブなことをする イメージは、個人的にはどのようなものですか? 「にぎわいが必要だと思います。 祇園祭にしたいなあというイメージがあります。 いつでも、祭が何かをつくってきた気がするから。 しかも、今までは祭を請負でしかできなかったけど、 今はインターネットで、自前で 祭を作ることができる仕組みがあるんですよね。 商売のできる誰かに頼まれて作るのではなくて、 自分のやりたい祭に誰かが巻きこまれるかもしれない。 イニシアチブを、こちらが持てるんです。 こういう例は、今までないよね。 だから仕組みや検索じゃない方向こそが インターネットの可能性の開けるところだと思います。 広くものを売るシステムを作るというよりは、 踊りがうまいかへたかで楽しむ場所を作りたい。 ホラを考えたりソフトを面白く作ったり、 お金にもならなそうな、どうでもいいことが、 実は、一番おもしろいと思う。 クリエイティブなソフトが主導権をにぎって 何かを生むということだけをやりたいし、 それをやれるんだというのが、 ぼくにとっての、インターネットです。 踊りさえ生まれれば、銀座通りさえできれば、 そうすればあとはビジネスだって、いつでもできるし。 だから、いまは安易な稼ぎ方を出すのが嫌で、 やせ我慢をしているという時期でもあるのですが」 ----ほぼ日刊イトイ新聞を作る人たちを、 クリエイティブな組織にしたいと思いますか? 「たぶん、作り手に大切なのは、ナイト精神というか、 冒険者じゃない人をさげすまないことだと思います。 冒険したくないと感じている人たちを軽蔑しないで、 その人たちに怒りを向けないことが、 冒険者としての最低限の義務でありマナーでしょう。 スタッフに気持ちが伝わっているのかどうかは、 ほんとに、見当がつかないですね。 外で『ほぼ日』を読んでくれている人のほうが、 わかったふりをしないで、ぼくの書いたことを そのまま受けとめてくれているのかもしれない、と 毎日たくさん来るメールを読んでいると、感じます。 何かに対してスタッフに注意をしたとしても、 仕事のやり方は、人生観の問題でもあるのだし・・・。 それぞれが何を思っているのかが、見当つかない。 志のようなものをもとにして面接試験で選んだほうが よかったのかもしれないなあ、と思う時すらあります。 何となく時間の流れる場が楽しいというだけだったり、 間を埋めることだけしかわからない人がいても、 『それなら、何で壇上にのぼらされる意味があるの? 拍手を受けて、そこに立っている意味があるの?』 とは、こちらから言えないんですよね。 そこは、各自の人生観の問題だから。 ・・・間違いをしない人がいい、という 工業社会の時代の人の選び方ではないのだから、 作る側が馬鹿でおだてられ上手じゃないと、 仕事への動機が出てこないんだろうと感じます。 仕事をする価値観と仕事の内容は分けて考えられない。 ぼくの場合には、子供の頃にものを伝えられないことが とてもショックで、その負のエネルギーがきっかけで こういうことをやっている、とも言えるのだけど、 いまの若い人に負の動機は少なくなってきているし、 そんな時でやりたいと思うのかどうかというのは、 もう、あらかじめインプットされた何かが 左右するのかもしれないなあと思ったりするけど。 『天才組織』と言われるような、すごい業績を残した クリエイティブな組織についての研究が、あるんです。 そのほとんどの組織に世界的に共通することがあって、 辺鄙なところで、貧乏で、楽しめる場所もなくて、 工場の隅に、研究室がポツンとあったりしているの。 形式で外界の楽しみを遮断しているようなところから すさまじい創造的な業績が生まれていたのだそうです。 ・・・で、そうした天才組織の大きな共通点が、 『どの組織も、業績をあげたあとに、崩壊している』。 成果だけが残っているというのは、面白かった」 ----『ほぼ日刊イトイ新聞』をはじめる時に その組織研究を、参考にもしたのですか? 「『ほぼ日』を貧乏ではじめたのは、 完全に、ぼくのゲームとして、です。 もともと、お金にならなくてもやりたい、 という動機を大切にしたかったから、 『お金がないぶん、頭をつかって考えて、 出来る限り面白いものをつくろう』という縛りで。 最初からほとんど広告もせずにやってきましたし、 まだまだこのスケールでとまるつもりはないけど、 一応、これだけのものに、育ってきている。 こういうことをやっている時に、 ぼくの勇気のもとになるのは、ザビエルなんです。 ポルトガルから死ぬかもしれないところで船に乗って インドネシアで座礁したりしながら日本に来て、 言葉も概念もまったく通じないようなところで 思想の伝播という難しいことをやり遂げたでしょ? たった3人くらいで、その後少なくとも 天草の乱にまで至る流れを作ったのは、すごい。 ダイレクトメールもインターネットもないのに そんな難しいことをできたんだから、それなら 俺たちなんて条件がいいじゃねえか、と感じるのです。 歴史に学べることは、とてもありがたいことだと思う」 ★前回と今回で、糸井重里が |
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2000-08-17-THU
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