テレビ逆取材・ クリエイティブってなんだ? |
第23回 おんなじ試合は二度とないのだから、 いい試合がその場に発生すれば、うれしい [今回の内容] ひきつづき、番組のナビゲーター・糸井重里に 「今のところ、クリエイティブは、 こんなようなところに関係あるのかな?」 と個人的に思いつくところを、訊いています。 (放送は、いよいよ明日の夜10時からとなりました。 21日(月)「クリエイティブは顰蹙である・見城徹」 22日(火)「クリエイティブは疑問? 井上陽水」 23日(水)「クリエイティブは発見である・八谷和彦」 NHK教育テレビ・ETV特集を、よかったら見てください) 「『ほぼ日』は好きなテーマで字数も決めずに書くから、 かなり、楽しめているんです。はじめる前は、 『俺は気が短いから、すぐやめるんじゃないか?』 と心配していたのに、そこはちょっと意外でした。 それに、人の作ったソフトに興味を持つことは ぜんぜん嫌じゃないから、人のソフトを紹介もできる。 ぼくは『負けること』も、嫌いじゃないし。 だから、勝ち負けを競争させた時に、勝者と敗者が しっかり決まらないと試合が成立しないんだとしたら、 すばらしい強豪に負けることはぜんぜん嫌じゃないです。 それよりも、とにかく、 いい試合になってくれさえすればいいなあと思います。 すごい技をかけられて負けても、見事に決まって、 相手の技の一番いいのが出てくれれば、それでいい。 その試合をもう一度ビデオを見て、 『いやあ、すごい試合だったなあ』となれば、 その『試合が起きたこと』に関われてうれしいの。 勝つ時も『俺が偉いから勝って楽しい』というより、 いい試合がその場に発生したことがよかった、と、 純粋にソフトを大切にしたいなあと思います。 おんなじ試合は、二度とないんだから。 ソフトは、誰かの頭の中に、変わらない形で ストックとして保存されているわけでもなくて、 その場のフローとしてあるんじゃないかと思うんです。 コンピュータに関わる人たちが、 やり残したことをやり残したままにしておいて、 その都度バージョンを上げて修正することを すごく大事にしているでしょ? その気持ちは、今のストックとフローから見ると、 とても面白いなあと思いました。 コンピュータに詳しい人に聞いたら、 『大量に短い時間で実験を繰り返せたのが コンピュータの進歩を生んだんでしょうね』 と言ってまして、それで、理系の人が 速度にあれだけ興味を持つ理由がわかったんです。 つまり、コンピュータでは、100万回でも 実験的な楽しい試合を何度もできるんだよね。 インターネットも、実験を何度でもできる。 ぼくは、超普通人ですから、 対談なんかでも、素人のまんまでいていいんです。 超普通人になれない人は、相手に向けて 『実はぼくも、ちょっとすごいんですよ』 なんてのをぶつけちゃうから、相手は 『そんなの、それほどのものか?』 と思って殻を閉じてしまうけど、ぼくの場合、 対談の場で自分がほめられる必要は全然ないし、 たぶん、あらゆる場所でほめられる必要がないから、 どこでも、そのままいればいいんですよ。 話しあうところでの話題の提供のさせかたの パフォーマンスがよければ、あとで充分ほめられる。 ぼくの相手の言っていることがおもしろくて、 『誰がそこにいたっけ?・・・あ、イトイか』 っていうのがありさえすれば、いいんですよ。 おもしろいソフトが生まれれば、それでうれしい。 ・・・だからたぶん、ぼくのベースは、 ソフトが水子化してしまうのを防ぎたいというだけで。 本当に豊かなものを、誤解しないで 豊かなままに受けとめて楽しみたい」 ----受けとめる側の豊かさが必要になる? 「いまはヒマなプータローたちが作っている 多数決の人気投票でランキングができているから、 すぐれたソフトが水子化してしまう恐れがあると思う。 ものを楽しむ人を、買い手としてだけ見ているから、 10位に入らないものをテレビもラジオもとりあげない。 でも、ランキングでは50位だったとしても、 1位のものより素晴らしいソフトはたくさんあるよね? 50位にいる人たちは、すごいものを作っているのに、 世間の人に分かってもらえていない・・・。 そういう時には、誤解をされないで 思いっきり話をできるというだけでも、50位の人は すごく価値のある時間が過ごせるんだろうと思います。 ランキングを作るのがプータローだから、 1位を狙える50位の豊かな人が、 プータローに支持されていないからというだけで 50位に甘んじているという場合が、多いんです。 評価する時には、消費する側のクオリティも要るから、 すごいものを知らないしわかりたくない人は、 本当は、まだ、欲望を持っていないはずなんです。 童貞の人に『どんなセックスがしたい?』と聞いても、 まだ自分でわかるはずがないし、答えられないよね? だから何もやっていない人に 『何でもいいから選んでごらん』 と言ってランキングを決めさせるのは・・・。 トップ10までの多数決のランキングを作るシステムは、 人間の可能性を小さく見積もってしまうと思います。 少しでも上に行けばいいということになれば、 ソフトの隙間を狙って『あれよりは手軽だ』と 何かを安売りしてもうけたりしかねないですから。 そうすると、『他のものに比べてこうだよ』と 他人を蹴落として、自分の作ったものを 買わせようとしてしまうだけになっちゃう。 他人を最高に蹴落とした時に 一番もうかるというような枠組みで考えるのは、 人のできる可能性を狭めてしまうだろうと思います。 そういう市場で他社と戦っていくと、 放っておくと、作る人も買うひとも、 みんなが不自由になる方向に行ってしまいますよね。 安くて手軽なパック旅行のような娯楽だけになって、 作る側も『受け手に何をさせてやる』と 操作主義に陥っていくだろうから。 ・・・でもほんとは、人間の可能性は、 もっと思いもよらないところにあるんだと思います。 『こんなのも面白いんだよ』と、自由なところに ボールを蹴り込んでいくのが、ぼくの楽しみなんです。 早い話が、もう、 『何がやりたいのかをわからないままで、 何かをやりつづけるというのって、 本当はできっこないことなんじゃないか?』 というところまで言いきってしまってから、 自分のやることを考えるのは、面白いですよね。 作る会社の使命みたいなものも、変わってくるし。 つまり、その使命に株主からの信任を得られるか? と考えていくと、いまのいろいろな会社の使命は、 『うちが一番もうかります』 というメッセージだけになっているから、 そこに好意を持ったり尊敬することは、難しいと思う。 『Ben & Jerry's Ice Cream』 という、ヒッピー上がりのふたりが作った アイスクリーム屋の会社があるんだけど、 やりたいことばっかりやって大きくなったんです。 『もうけの何%はここに寄付をする』とか言ったり、 『俺が好きだから』という理由だけで アイスをめちゃくちゃ甘くしたりする。 宣伝に使うイラストレーターの選択とかも、 マーケの調査とかをかけないで、 好きな絵描きにどんどん頼んじゃう。 ・・・そうやっていくと、作る人のやりたいことが はっきりと見えてくるから、ファンができるんです。 ボスふたりだけが話しあって何でも決めちゃって、 しかもそのふたりが本気で思っているやつらだから、 パーンと支持を受けちゃうのだろうね。 明日あさってにすぐ売れるだけの商売を考えるのは、 ぼくは、これからはきつくなるような気がします。 それよりも、魅力のある会社になったり、 信任の票を得ることのほうが、ずっと重要だと思う。 これからは、資産投資家ではない人が 株を買う時代になってくるのが目に見えていますし、 そうなると株を買う理由は、ポテンシャルですよね。 この会社の持つ潜在能力というか、 そこでまたブランドになるんだけど、 たぶん、好みで買われることになるんだと感じます。 『会社のトップは、何を考えているのか?』 『その会社が、どういう世界を作りたいのか?』 そういう、ほとんど政治家の所信表明に近いことを、 はっきりと持たない限りは、株券という票が、 集まってこないんのではないでしょうか。 『こんなにもうけるのが大好きで、 これから、こんなにお金をかせいでいきますよ』 という会社がたくさんのお金を集められるとは、 あんまり、思えないんですよね。 株式が大衆化していけばするほど、 企業の『何を豊かだと思うか』の価値観が要る。 他人を踏み台にしながら売り上げをのばす企業は、 だから、これから下がってくるんだろうなあ。 企業は、政治家が見られているような視線で、 いろいろな人から見られるようになると思います。 デファクトスタンダードがすべてを支配するのか? と言えば、もしかしたらそうではないのかもしれない。 かなり前に複雑系の本を読んだ時には、 『ちょっと差をつけたら、あとは商売の プラットフォームを握ったものを誰も止められない』 というようなことが収穫逓増の理論と共に書かれてて、 それは、『あとから来る奴は、あきらめろ』 というようにも読めてしまいました。 そうだとしたら、大きな企業や代理店が これからも永久に勝ちつづけていくことになる。 誰も、巻き返しなんてできない。 そんな理論なら 収穫逓増なんて嫌だなあと思っていたけど、 でもソニーは、VHSとの戦いにベータで負けたからこそ、 プレイステーションを広げられたのかもしれないよね? それに、インターネットのシェアウェアの商品でも、 実際にぼくがお金を払うのは、 大きな会社というよりは、好きな会社になんです。 Jエディットだとかには、 『この会社がんばっているなあ、 よくやっているチームだな、 俺が払わないともたないなあ』 と思って払ってて・・・単純にファンなんです。 シェアウェアの場合は特にそうなんだけど、 企業として何を与えてくれるのか、だとか、 しかも『私との関係であなたが好き』という オートマチックじゃない関係のありかただとかが、 これからどんどん重要になっていくんじゃないかなあ。 そうなると、デファクトスタンダードで 市場を確保して大きくなることよりも、 どれだけ好かれるかの話になるような・・・」 ----組織の提示する幸せ観を出すためには、 中にいる人の動きかたも、重要になるのかな。 「例えば野球でも、 『このゲームは絶対に勝たないといけない』 という試合と、選手としていいプレイをするのとの 二重の意味が必ずはいってくるじゃないですか。 『落としてはいけないゲームを落とした』 と、そこで監督だけが言っているのはだめで、 選手が、この試合を落としたらいけないと思いながら 打席で万全を尽くすというのが、強いんだよね。 組織にいる人は、そういうことを 考えざるを得ないような気がします。 組織が進んでいく大局観のようなものを 理解した上で個人の力量を発揮するようにならないと、 無理が出てきてしまうんですよね。 で、大局観を理解するには、 組織にある種の成熟が必要になってくると思います。 いちいち言葉にはしていないけれど、 大局観を絶えず感じさせるリーダーシップが要る。 このへんを大げさに言うと、人の魂を動かすものって 何なんだろうというような話になりますよね。 ・・・で、それは最終的には、 わけのわからないものなんでしょう。 こういう方法をとればいい、というような 方法論では解決できないことがいっぱいあるし。 野球のチームの中でも、いよいよ大変な時には、 選手会が召集をかけてミーティングしますよね。 あんなような選手会の集まりが、 これから組織で仕事をしていく上での 大切なものになっていくと感じるんですよ。 修羅場をくぐって優勝を経験したことのある人が、 組織が困った時には、本当に重要になってくる。 だから、急に召集かけたりして熱を入れるような、 川相や村田のような人たちは、目に見えている以上に、 ジャイアンツというチームにとって、 とても重要な存在なんだとぼくは思うんです。 しかも、誰かひとりが何かを言うだけでは、 『あの人は、ほら、変わっているから』 で済まされてしまうのだから、その発言を 『ほんとにそうだ』とうなづく人がいて、 軸がふたつにならないと安定しないと思うんです」 ★「でもほんとは、人間の可能性は、 もっと思いもよらないところにあるんだと思います。 『こんなのも面白いんだよ』と、自由なところに ボールを蹴り込んでいくのが、ぼくの楽しみで」 ・・・思いもよらない楽しい試合を見たい気持ちや、 消費の楽しみや、企業の提示する幸せ観や、つまり、 「豊かさ」に関することが話題になっているけれど、 あなたは、豊かさについて、個人的にどう思いますか? (つづく) |
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2000-08-20-SUN
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