テレビ逆取材・ クリエイティブってなんだ? |
第28回 自分の手に届かないところで、 お互いが誤解に囲まれあっている [今日の内容] 結論のわかっていることを、テレビカメラの前で 芝居のように語るたぐいの番組にはしたくないというのが、 番組ナビゲーターとしては、基本方針だったようです。 しかし、予定調和的にしなかったぶんだけ ひとつひとつの対談が脱線するわけですから、 創造性に関する明確な結論は、出ませんでした。 第2夜の井上陽水さんと糸井重里との対談は、 そういう意味で、全3夜の中でも、 最も結論のない番組になったのかもしれません。 だけど、それにしても、 「クリエイティブは『疑問を発すること』?」 という仮にたてた問題提起に対して、陽水さんが、 「すべてのものに対して疑問をもつというのも ひとつの形式にすぎないから、少しは信じたい。 それに、クリエイティブというものについて、 こうしてカメラの前で深刻に話をして オンエアをするということ自体が、 すでに虚飾の上塗りのような気がするから、 ぼくは『これは、虚飾の時間が流れましたよ』と サインをどこかで出しておきたかったんです」 というように話しているのをはじめ、 リアルなままで会話が飛躍していく面白さがありました。 放送後の「いい!」って反響も、そうとう多かったし、 みなさん、あやうい面白さを楽しんでくれたのかな? 今回は、その陽水さんとの対談に関しての darlingのコメントを、お届けいたします。 「クリエイティブを語ることが難しいのは、 『クリエイティブになりなさい』 みたいには言えないからだと思います。 『こうしてこうすると、クリエイティブになれる』 というようなマニュアル的なものでもないし。 『少なくとも、自分はこれをやらないとだめで、 それをやっていないと、俺じゃなくなっちゃう』 というものがどこにあるのかという話に関わるし、 それぞれの体や顔のかたちが違うのと同じくらいに、 この話題についてのそれぞれの考えは、違いますよね? ・・・だから、それぞれの癖みたいなものが出るし、 その癖がどう違っているのかを意識していないと、 話していても思いっきり脱線してしまうと思います。 広告にしても、もちろんコピーは詩ではないんだけど、 どこかに『俺の詩でなければ、うたう意味がない』と、 個人的なオーラがないと、心に残らないのではないか? と、ぼくは、コピーという、 実用で使われる言葉に対しても、そう感じます。 だから、 『広告の仕組みができたから、 誰がライターとして入ってきても大丈夫です』 なんて企画書ができたとしたら、だめだと思う。 理屈だけでこれで結果を得られる、 というような調査だけを重視しているのは、つまり、 もう『うた』は要らないということなのですから。 『これは、すごくいいね!』と言われるような作品は、 たぶんほとんど『ボツすれすれ』で、 誰かにしかできないものだと思う。 だからこそ、その『うた』に時代の空気が入っている。 現実の空気を個人の言葉に結晶させているからこそ、 その結晶を、まだまったく感じていない人には 否定される危険性が高いものでもあると思います」 ----対談中に、陽水さんが糸井さんを 『苦労人で、よく気がつく』と言っていましたが、 その原因について、自分ではどう思いますか? 「これは単純で、言葉の問題から来ていると思う。 『気がつく』と井上さんが大雑把に言った状態は、 ぼくが言葉を意識しているからだと感じるんですよ。 『こちらの人、のどが渇いているな』ということは、 やっぱり、言語として認識しないと、体が動かない。 言葉にして意識しないと、実際には動き出せないでしょ。 お茶を持っていくなり何なりということも、 ぜんぶ言葉を介しての行為だと、ぼくは感じます。 『あの人、お腹が痛そう』っていうのも、 ビジュアルに反応しているというよりは、 言語で認識しているんですよ。 あらゆる態度は言葉によって成り立っていて、 言葉がない限りは、行動をできない。 ボールが来た時に反射的に動くのは、 別のところで反応して動いているんだけど、 それ以外は、言葉で反応しているのだと思います。 あとはテレビを観ている時も、画像から 言葉として意味を受け取っているんだと考えるんです。 もちろん、明るさだとか、言葉を補完するものは あると思うんだけど、基本的には言葉が伝えている。 言えないことは、観た人の頭の中で 反復をできないから、認識されないでしょう? え〜っと・・・。 言葉の問題だけに留まらないと思うけど、 最初に何かに懲りていない限り、 人は何かを修正しないものじゃないかと思う。 例えば、ぼくは忘れものを あまりしないようになったきっかけがあって・・・。 高校時代の先生に借りた、 『探したら大変だなあ』っていうような貴重な本を、 電車の網棚に置き忘れてしまったんです。 それは、とりかえしのつかないものですよね? その後には、ぼくは借りたものに対して 注意深くなりましたけど、それは失敗があったからで。 おんなじようなことが、ぼくは言葉に対してあるんです。 ぼくは、小学校の時に母親がチェンジしています。 こういう話も、今なら別に淡々と言えるんですけど、 若い頃に言うと『悲しい話』っぽいよね? ・・・まあ、ともかく、最初の母親には、 ずいぶんあとになるまで、会ったことがなかった。 小学校3年生くらいの頃なんですけど、 ぼくは昔からこんなような性格の子供だったので、 冗談をやってました。その冗談の中に、 『お腹が減ったと身悶える』というのがあって、 『腹減った〜』ってやっていた。 そしたら、2番目の母親が、泣いたんですよ。 ぼくはそれを見て、なんで泣くのかがわからなかった。 だけど、2番目の母親の価値観から言うと、 『継子がご飯を与えられないと苦しんでいる芝居』 だと、受け取ったんですね。 当時のぼくには全然そういうつもりはなかった。 だけども、おんなじ演技が、その母親には まったく別の意味として受けとめられていた。 そういう意味で受けとめられていたことを、 ぼくは、あとで知ったんです。 ぼくの行動について、親たちやばあさんが 集まって話をしているのを聞いて、びっくりした。 『どうも、あの子の言葉には、トゲがある。 うわっと思うようなトゲのあることを、時々言う』 俺について、そう語っていた。 つまり、世界が違っていたんです。 ぼくは気ままに自由で冗談を言っていたんだけど、 そういうふうには、受け取られていなかった。 『自分の手に届かないところで、 お互いが誤解に囲まれあっている』 という世界構造が、認識されたんです。 それから、変わりました。 言葉を使うことへの怖れを感じるようになった。 忘れものをしなくなるようなものと似ていて、 言葉に対して、かなり意識的になりました。 相手が傷つくことを知らないままで 悪く言うのはやめようと思ったし、 傷つくに決まっていることを言う時にも、 知ってて、意識的に悪く言うようになった。 ぼくの出発点は、とても変形したものだと思う。 『あの子の言葉には、トゲがある』という特徴は、 当時のぼくに、能力として認識されるわけがなくて、 トゲを持ってしまった不幸として認識されますから、 これは、その先の一生が、暗くなりますよ・・・。 その一言が、ぼくの職業を決めたと思います。 そういうこともあって、 今はちょっと雑に言ってしまいますけど、 『思いっきり幸せに暮らしてきた子には、 やっぱり、表現する理由なんかないよ』って、 それは古臭い考えだけど、つい言いたくなります。 傷だとか欲だとか、見えやすい理由があってこそ、 やはり、表現をする場所にいる必然性が出ますよね? なに不自由ない家に暮らしているように見えても、 さまざまな擦過傷がありますから、 もちろん擦過傷の傷から出るものもあると思うけど。 ぼくは、言葉の攻撃性や悪意を、はじめに意識した。 理想的なところから疑問を持って逃げるというような、 井上さんのネガティブに近いものが、あると思います。 あと、ぼくが10代の頃には、 『期待される理想像』という言葉が流行ってました。 そういうものがあってもいいかなあ? とは思っていたけど、それと同時に、 『俺は、未来から期待されないだろうなあ』 と思ったんです。で、理想像という形式に 当てはめられることから逃げようとしてまして。 みんなが『いい』と感じるかたちだけになると とりこぼしてしまうものが多いと感じたから。 ・・・それって、不完全ではないのだろうか? その形式を求めることは、不自由ではないか? 或いは、誰かだけがとくをするのではないか? そうやって、いろいろな疑問を持ちましたよね。 形式って、必ずしも、みんなが ご機嫌になれるようなものではないから」 ★井上陽水さんとdarlingとの会話には、 「笑っちゃいました!」という感想が多い一方で、 今回のdarlingのコメントに関わるメールも、たくさん。 そこで、そのごく一部を、ここに紹介いたします。 ------------------------------------- ドキドキしながらテレビの前にスタンバイして、 ばっちり井上陽水さん、みました・・・。 でも、衝撃だったのは「言葉にトゲがある」と 自分のことを言われているのを子供の頃に、 偶然いてしまった、糸井さんのお話でした・・・。 私は、高校入学して2日目に母が亡くなりました。 突然の喪失体験。高校時代の記憶は、 今考えてみても、あまりないのです (無いと思いたいからないのかも知れませんが)。 母が死んだことのショックと、祖母がお通夜の時、 私が聞いていないと思って親戚達の前で 「子どもを産まなかったら生きていたのにー。 逆さを見るなんて親不孝だよ」と泣き崩れたのです。 その日から、私の「心の置き方」が いろいろな面で変化してしまったように思います。 「なんで、母は医者に無理だと言われたのに 私を生んだのか。なぜ、そのことを、 生きているうちに私に伝えてくれなかったのか?」 まっ、話がそれました・・・。 でも、糸井さんのお話を聞きながら、なんとなく、 聞かなければ済んだかも知れないことを 偶然聞いてしまったばっかりに、 表層はそれほど変化がなくても (ないように努めたとしても)、 内面がガラッと変化すること、そのことによって 未来もまた決まってくるようなこともあるのだなぁと、 番組そっちのけでぼんやり考えちゃったりしてました。 テレビから流れる陽水さんの心地よい声も もちろん聞いてはいましたが…。 「イトイ新聞」すごい情報量ですね。 昨日初めてHP見て、今日、20分くらいつなげて 見入ってしまいました。おもしろくて、止まりません。 もっと早く知っていればっっっ! でも、嬉しいです、おもしろいです。 これからも頑張ってください。 読めば読むほど、奥がジワ〜〜っと深いですねぇ。 番組を偶然みて、この「イトイ新聞」も知って、 よかったです。楽しみがふえました。 ありがとうございます。 K.O. --------------------------------------- 井上陽水さんとの対談を見ました。 あの対談は、全体としてなんだったのか、と 一言では表せないものでした。 そこで印象に残った部分について 感想を言わせていただきます。 「本当に欲しいものがなんなのかを突き詰めると、 結局自由だったということに気がついた」 と糸井さんが言うようなくだりがありました。 私は現在38歳、人生も半分終わった計算になります。 そして、うつ病を4年ほどわずらい、会社を3度休職し、 現在は通院をしながら勤め人をやっています。 当然会社では、昇進から見放され、 後輩からも追い越されてしまいました。 それまでの自分は、出世街道を走りつづけ、 与えられる仕事を完璧にこなすことを 人生の第一優先にしていました。 もちろん家庭も大事とは思っていましたが、 あくまで仕事に差し支えない範囲で、 といったものでした。 それが、今後がんばっても会社は報いてくれない、 しかも人生あと半分しかないという今の状況になって、 自分は今後何を求めて生きていくのか、 生まれて始めて真剣に考えました。 そのときのベースになったのは、 時間には限りがある、あることに時間を使えば、 それ以外のことの内の一つを あきらめなければいけない、ということでした。 頭の中身も同じで、人の知らない情報を 仕入れるためには、誰もが知っている情報は あきらめないといけない、ということでした。 (後略) 匿名希望 ---------------------------------------- みなさん、たくさんの感想メールを、 どうもありがとうございました。 「クリエイティブ」というものを考えるという このコーナーは、もう少しだけ、つづきます。 (つづく) |
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2000-08-27-SUN
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