YAMADA
天童荒太さんの見た光。
対話するように書いた物語。

人はごまかせても、
自分はごまかせない


(※今回は、天童荒太さんの言葉を、
  本人のモノローグで、おとどけします)
ぼくは、もともと、世界情勢から浮世離れしたところで
小説があることにも、ひとつ、違和感を持っていました。

最初の『家族狩り』を書いてから、
次に書きはじめる二〇〇一年に至るまでには、
日本では、酒鬼薔薇事件があり、
池田小学校の事件があり、世界に目を向けても、
イスラエル・パレスチナの問題が激化し、
もちろん9・11があり、アフガン攻撃がありました。
そして執筆中には
イラク問題も起き、それはいまも終わっていない。

本を読む人たちは、現実には、そういう情勢や事件を
テレビの画面や新聞の紙面などを通してでも
経験しているわけじゃないですか。

ぼくは、現場にいることだけが経験だとは思わないんです。
テレビの画面を見て、戦争の場面や
子どもが傷つくところを見て、いやだなあと思う。
子どもが子どもを殺す事件を知ってつらいなあと感じる。

これはそれぞれ、
その人の経験となり、心に影響を与えることなんです。
だからいま多くの人が精神的に傷を負っています。

いやしブームというものがあったり、
旅行やグルメやファッション音楽など、
浮世を忘れるものが、もてはやされ、
人々が現実から目をそらしているような感じがするのも、
すでに現実の経験で傷ついているからです。

でも、傷は目をそらしても実は回復しない。
虐待経験と似てます。
まず見つめ直すことが必要なんです。


だからこそ、今回、国内や世界に起きている問題を
作品に組みこみたいとも思っていました。

もちろん、世界情勢をすっ飛ばして、
違うところで起きているものを
逃避的に読む小説があってもいい。

人々はそうしたものもきっと必要としているはずです。

ですが、ぼくは、
それをしなくてもいいだろう、と思うんです。
逃避的な小説を書かれる方は、
現実に、いっぱいいるのだから、
ぼくがそこに加わっても存在の意味はないでしょう。

だけど、ぼくは、『永遠の仔』のためのリサーチと、
執筆体験、そしてその後の反響によって、
追いつめられたギリギリのところで
生きている人の存在を、
もう、知ってしまっているわけです。

「そういう人たちに向けて
 書くことを求められている人間」
だということは、自覚しているつもりです。

だから、ほんとにつらいことが
起きている中で生きている人に届けるためには、

「やっぱり、その時代状況も
 内側にしっかりと持った上で、書きたい」
と思うんです。

今回あたらしく書く『家族狩り』五部作では、
世界で起きていることと、
ちいさな家族の中で起きていることが
リンクしているんだということを、
具体的な物語のなかで、伝えたいし、
自分も書くことを通して、世界と個人のつながりを、
より深い部分、精神的な部分も含めて、
見ていきたいと思ったんです。
 
そうしないと、閉じてしまうから。

ちいさな家族や、
ひとまとまりの社会の中だけを見ていくと、
どうしても、内に内に、こもってしまいます。


あまりにも世の中がつらいと、
若い人でも、自分たちの仲間内だけで
しあわせならいいじゃないか、
というふうになってしまいますよね。

問題が複雑で、
容易に解決策が見えないことばかりが、
いまの世界にはあふれているわけで、
真剣に考えてゆくと、しんどくて、
いやになっちゃうのはとても理解できます。

どういったことであれ、
つらいときには、ともかくいまは
「自分さえよければいい」とでも思わないと、
とてもじゃないけど苦しくて生きていけないでしょう。

だから、若い人は、例えば、
自分と自分の仲間だけを見ていこうとするんだけど、
人間ていうのは、他人はごまかせても、
自分はなかなかごまかしきれない。


よそで沢山つらいことがあるのを知っているのに、
見ないようにしてると、
感情が微妙にゆがみ、
幸せの価値基準もずれてくるんです。


そうすると、かえって窮屈になるし息苦しくなって、
自分や自分の家族や仲間を
追いつめることにもなるのではないかなと──
そういう、カンというか意識が、
今回の執筆前に、既に、あったんです。

ほんとうに大切なことは、
こもることではなくて、もっと広げてあげることだろうし、
世界と自分たちの地域や家族は
密接につながっているんだということを
示すことだろう、と。

単純に聞こえるかもしれないけれど、広げてゆくと、
雨の降ってる夜に、
屋根のあるところで眠っていられる自分に幸福感を得て、
充たされたりするんです。

朝の空気を深呼吸してるときに、
これでもういいやと思える。

※明日に、つづきます。
 天童さんの言葉への感想やメッセージなどは、
 postman@1101.com
 こちらまで、件名を「天童さん」としてお送りください!
 次回は、今回の小説を書いていく手がかりとして働いた、
 「否認」という心理学用語から、話が深化してゆきます。





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第1部
「幻世の祈り」
第2部
「遭難者の夢」
第3部
「贈られた手」
第4部
「巡礼者たち」
『家族狩り』は5月下旬まで刊行され続けている作品です。
天童さんの言葉への反応は、件名を「天童さん」と書いて、
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インタビュアーは「ほぼ日」の木村俊介でおとどけします。

2004-04-19-MON

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