YAMADA
天童荒太さんの見た光。
対話するように書いた物語。

読んでもらうためには、
どうするか?


ほぼ日 最近の天童さんは、
次のようなことを書いています。

「もう一段でも、いや半段でも、いま
 より上のレベルへ作品を上げられないかと、
 あがき、もがいてしまう」

「妥協して、
 そのまま読者に届けることはできない。
 自分が以前に書いた言葉を否定して、
 現在のレベルにあった言葉に書き換えてゆく」

「もっと上のレベルの表現がある、
 と感覚的にはわかる……だが、具体的に
 それが何かはわからないというときも、つらい」

現時点で最高のものを
目指す気持ちが、ものすごく強い。

今回の『家族狩り』の執筆の数年間でも、
きっと、成長が沢山あったのだと
想像するんですが、
その「成長する感覚」って、
実際にはどのようなものだったのでしょうか?
天童 前と同じというのは、
自分自身が許せないという気持ちは
確かにあって、常に
「未熟だなぁ」と思ってしまうんです。
「もっと、あるだろう」と……。

で、苦しんで、
「もっとあるだろう、もっとあるだろう」
と思って書き続けた
『永遠の仔』が終わったときには、
やっぱり、書きはじめる前とは
違うところまで、
階段をのぼりきっているんですね。


ただ、のぼりきったときには、
もう次の階段が見えているんです。

その次の階段は、
まだ雲の中に隠れてはいるし、
「のぼらなくても、いいんじゃない?」
っていう声が聞こえなくはない。

だけど、
「もう階段の端っこは見えているし、
 上まで行けば、もっと
 いい表現があるのがわかっているのに、
 のぼらない手はないだろう」と。

……で、のぼりはじめると、
これがけっこう、急な階段なんですよ。
上に行くほど垂直に近くなってる感覚で、
簡単には一段がのぼれない。
のぼってるかどうかも
わからなくなって、不安になる。


だから、
「もう降りようかなぁ」とも思うんだけど、
こわごわふりかえってみると、
のぼる前と比べて、
風景がやっぱり確実に変わっているんです。

「びびりながらでも、数段のぼるだけで、
 風景がこれだけ変わるんだったら、
 のぼりきったら、
 もっとすごい風景が見えるんじゃないか?」

ぼく自身も、
そういうところがおもしろいと思うし、
しんどいんだけど、
上までのぼりきったときの
風景を見てみたいんですよね。

その風景が見えたら、
読者に還元できる表現も、
さらにいいものになっているはずだ、と。

だから、
「きつくても、のぼるしかないよね」
って言ってのぼるんです。

ひとつの階段をのぼりきるのは、
かなり自分を追い込まないとだめなので、
のぼっている途中では、
上まで行ったら、もういやだ、
ぜったい羽を伸ばして、しばらく休もう、
いや休んでやると思うんだけど、
すぐに次の階段が見えてくるものだから、

「もっとすごい、
 ドストエフスキーみたいな人もいれば、
 谷崎潤一郎みたいな人もいるんだから、
 そりゃ、そうだよな」

と、思ったりして、続けています。

小説に対する読者の感覚だって、
昔と今とは違うわけですよね。

昔の人は、本を読むことが習慣化していたし、
映像による表現・娯楽も、
ある時期はまったくなかったし、少なかった。

言葉や文字に対する感性は、
どう考えても、いまより鋭かったろうから、
多少むずかしくて込み入ったものでも
理解できたろうし、行間を読んだり、
言葉の裏にひそめたものも、
積極的に読み取ろうと
努力してくれていたでしょう。
文化に対する飢えの度合も強かったと思う。

でも、今は、確実に、
そういう時代ではないですよね。

映像や音楽や漫画といった、
小説に比べると、
受け身的でいられる表現が
いまはメインなわけだし、
多くの才能が次から次と現れ、
これらの中に、もうめちゃくちゃ優れた表現が
いっぱいあるわけじゃないですか。

敢えて小説を読むなんていうことは、
ふつう、無理無理しなくても
いいような世の中になってきている。

それでも読んでもらうためには、
どうすればいいか?


そういうことだって、考えざるをえない。

ぼく自身は、そういう中では、なんと言うか、
「シンプルなもの」を目指したいと思っています。

文学のプロとかインテリ層には気にいられても、
いなかのおじちゃん、おばちゃん、
生きるのに息苦しさを感じている若い人たち、
懸命に日々をしのいでいる人たちに
伝わらないなら、意味ねーなって考えてるから。


シンプルだけど、
重ねていくとすごい深いところまでいけるもの。
それを、目指しています。

※明日に、つづきます。
 天童さんの言葉への感想やメッセージなどは、
 postman@1101.com
 こちらまで、件名を「天童さん」としてお送りください!
 明日からは、小説家になるまで、小説家になってから、
 の、天童さんの道のりを聞いてゆく部分になるんです。





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第1部
「幻世の祈り」
第2部
「遭難者の夢」
第3部
「贈られた手」
第4部
「巡礼者たち」
『家族狩り』は5月下旬まで刊行され続けている作品です。
天童さんの言葉への反応は、件名を「天童さん」と書いて、
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インタビュアーは「ほぼ日」の木村俊介でおとどけします。

2004-04-21-WED

YAMADA
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