YAMADA
天童荒太さんの見た光。
対話するように書いた物語。

14
もう、生活できないかもしれない?


※今回は、天童荒太さんのモノローグでおとどけします。
最初の小説は書けたものの、
どの新人賞に出していいか、
わかりませんでした。

とりあえず、本屋に行って、
文芸誌が並んでるみたいなところで、
立ち読みをしてみたんです。

「この文芸誌、カタイな」
「この雑誌も、敷居が高いな」
「小説を書いてる
 作家の名前、ぜんぜん知らないな」

なんて、まぁ、いまから思うと
冷や汗が出るようなことも思いながら見ていたら、
たまたま、角川書店の
『野性時代』っていうのが目に入りました。

角川映画の最初は
ぼくが十六、七の頃ですからね。
まさにクリエイターを目指した時機に
あたっていたので、深い理由もなく
親近感を持って、少しめくってみると、
どうやら、主に若い方々が書いているようだった。

角川映画がどんどん作られた頃なので
当たり前だけど、
映画を通して、ぼくでさえ、
名前を見たことのある作家が多く載っている。

で、新人賞の募集のところを見ると、
ぎりぎり締切りに間に合う。
選考委員は、村上龍さん、三田誠広さん、
高橋三千綱さん、そして中上健次さんでした。

どなたの名前も、作品が
映画化されていたので知っていました。
というか、その程度の知識しかなかったんです。

非常に失礼な話だけど、
その時点で読んでたのは、
龍さんの『限りなく透明に近いブルー』と、
中上さんの『蛇淫』くらいだったんじゃないかな。

むろんこれも映画の関連で。
小説として本当に理解できていたとは
思えませんけど、龍さんの言葉は
当時からよく自分たちのところへも届いてたし、
中上さんの作品は、
すごいパワーがあるのは感じてました。
中上さんの原作をもとにした
『青春の殺人者』っていう映画も
高校の頃何度も見て、
とても好きだったですしね。

映画と小説は別物だけど、
世界観っていうのか、匂いみたいなものに
共感するものがあったもんだから、
「あ、ここの人たちが選んでくれるならいいや」
と思って、そこの賞に出してみたんです。

選考委員の方々の
代表作も慌てて、このあと読みました。

しばらく経つと、応募したことも忘れて
バイトでためた金で、
家にこもって三か月くらい
シナリオを書いていたように覚えてますけど。

その後、金もつきるし、
バイトもなかなか決まらないし、
「もうオレ、生活できないかもしれない」
と思うようなことが、いくつか続きました。

バイトの仕組みって、
今はどうなのか知らないんですけど、
とにかく、面接を受けるだけでも
イヤなことでしょう? 

それに当時はまだバブルの前で、
バイトもなかなか厳しかったんですよ。
大学を出て、二五歳なのに
ずっとバイトしてる奴って、
いまは多いかもしれないけど、
あの頃はやっぱり
うさんくさかったと思うんですよ。

雇用側も、面倒な奴なんじゃないかと
敬遠する雰囲気も微妙に感じられましたしね。

また採ってくれるなら
その場で採ってくれりゃあいいし、
断るなら、はっきりその場で言ってくれれば、
すぐ次のバイトも探しにいけるのに、

「じゃあ正式な決定は、
 一週間後に電話で連絡します」
って言われて、妙な期待をして、
条件がいいところを優先して、
ほかのバイトを探すのは
中断して待ってみるわけですよね。

それで大抵ダメなわけです。
けっこう卑屈になる。

で、また、次の履歴書を書いて、
なけなしの金を電車賃に使って
面接に行って、頭を下げて
低姿勢に出るっていうのをくりかえす……

それだけで
もう生命力の浪費って感じで、
疲れてしまいました。

「もう、日雇いの肉体労働でもいいから、
 バイト先、決まってほしいなぁ」

そう思って弱っていたときに、
電話がかかってきたんです。

バイトの話か?

「角川書店ですけど、
 新人賞の最終候補に残ってます」

やっぱりうれしかったですね。
ほっとしたというのかな。
何者でもないけれど、
多少は自分に自信がなければ、
不安定なくらしはつづけられないものですから、
過信だとしても、
人より少しは話を作れる能力に
長けているのではないかと思っているわけです。

でも、裏打ちはない。

友人が、多少ほめてくれてたけど、
いわゆる仲間内のカラオケで
「歌がうまいねぇ、
 のど自慢に出てみたら」的なものですから。
 
候補ではあるけれど、
プロフェッショナルの世界でも、
もしかしたら見込みがあるかもしれないと
言われたように感じたんです。

それからしばらくして、
新人賞をいただきました。
もちろんよろこびましたけど
賞金三十万円が入るってことの
「助かったぁ、生きのびられるぅ」
っていうのが最初にきましたね。

残念だったのは、編集の人のミスで
選考日がぼくに知らされてなかったんですよ。
だから部屋にいなくて、
賞に選んでもらえたときも待機してなかった。

選考委員の方が満場一致だったらしくて、
「こいつを呼んで顔を見てみよう」
ってことになったらしいんですけど、
ぼくはいなくて、お会いできなかった。

龍さんはのちにお会いできたけれど、
中上さんとはもう決してお会いできないので、
その点は心残りですね。

委員の方々は選考の文章で、
とても強く励ましてくださって
ありがたかったですし、どうやら、
「小説の才能がある」と言われたようでした。

だけど、自分としては、
よろこびの次には不安がきた。
なにしろはじめての小説だったし、
書きためたストックなんてものも
まったくないわけです。

「やっていけるのかなぁ……
 この先、何を書いていけば、いいんだろう」

「書くこと思いついたとしても、
 それがちゃんと小説の形にできるのかなぁ、
 読む人に届くのかなぁ」

受賞を聞いた直後から、
そういう恐れや戸惑いや不安で
一杯になってゆき、
よろこびやほっとしたのも一瞬のことで、
「やった、やった」って感じは、
ほとんどありませんでした。

編集者サイドからも、
今後はこういう方向で
こういうのを書けばという
具体的な提案があったわけではないですし、
自分がどういうポジションにいるのか、
作品がどうなってゆけば
本になるのかもわからない。

ともかく何でもいいから書いて、
「面白かったら、雑誌に載せてあげます」
的な雰囲気でしたし……。

※次回は、来週月曜の予定。おたのしみに──!
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第2部
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第3部
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第4部
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『家族狩り』は5月下旬まで刊行され続けている作品です。
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インタビュアーは「ほぼ日」の木村俊介でおとどけします。

2004-05-14-FRI

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