新人ですから、自分なりに一生懸命考えて、
矢つぎ早に短編を
二作目、三作目と書くのですが、
本当に面白いのかどうか、
自分はどういう方向性で
小説にのぞめばいいのか
わからなくなりながら模索しているうちに、
たまたま映画の脚本のお話を
いただくことになりました。
そのまま、小説をやっていくことの
道筋というのか、具体的なビジョンが、
ぼくにはまったく見えていなかったし、何より
小説家として生きる覚悟もできていなかった。
肚がすわっていなかったというやつでしょうね。
これまでに話したとおり、
そもそもぼくは小説家になろうと
思ってやってきては、いなかったわけですから。
思いつめたあげく初めて書いた小説ですからね、
文章修行とか小説作法もぜんぜん知らない。
当時は小説で書きたいものも
持っていなかったもんだから、
「あぁ、ついにやりたいものがやって来た」
と、すぐに映画の世界に移ったんですね。
ただ、目指していた世界は、入ってみると、
それはそれで、なかなかうまくいかなかった。
それに実際の映画って、
お金を出す側はヒットして資金を回収し、
できればもうけたいわけですから、
シナリオの出来がどうこうよりも、
もっとシビアなんですね。
先にも言った上映時間のこととか、
ヒットしそうな要素も
できるだけつめ込んでもらいたいとか、
この役はスターの誰それを使いたいので、
もう少しいいように書きかえてほしいとか、
大勢の人の思惑が入ってくるんです。
ミニシアター系の作品なら、
もっと自由にやれたのかもしれませんが、
とても大きな予算の全国上映作品でしたから、
監督と脚本家の考え方だけで
どうこうできるものではなかったんですね。
いまになって状況も理解できますし、
それなりの戦略を組み立てて、
のぞむべきだったと思いますけど、
まあ経験不足でしたね。
何を作家が表現できるかというところまで
持ってゆく力がなかった。
その前に、大予算のプロジェクトに
憧れだけで参加して、
甘さが露呈した感じでした。
「あの俳優さんを使いたいので、
このエピソードを膨らましてくれないか?」
そういう注文を受けたとしても、
あえてそれを利用して、
作家性を生かす方向へ持ってゆくことや、
あえてひとつ相手の注文を聞いて、
だからこっちの願いも
ひとつ加えさせてほしいなんて
駆け引きも可能なはずなんだけど、
それだけの知恵も技術も経験もなかった。
若いと言えばそれまでだけど、
十六歳のときから好きで好きで
憧れていた世界だったから、
幻滅が先にきちゃったんですね。
最初に監督と話しているときには、
そこそこ、おもしろかったはずなのに、
現実的な都合がどんどん入ってきて、
「これはもう、ちょっとよくわからない」
というところまで来ちゃいました。
もともと監督主導の話だったし、
ぼくのアイデアなんて
ほんの少ししか採用されてないんですけどね。
それでももっとリアルな部分があって、
恋愛映画としての要素も
色濃くあったように覚えてます。
あの路線で撮らせてあげたかったですけどね。
企画の立ち上げから何年もかかっていたし、
監督の方は、
映画化したくてしょうがないわけだけど、
自分はもう、どうしてもその作品を
おもしろいとは思えなくなりました。
まぁ、結局は外されたっていうほうが
正しいんでしょうけど、
最終稿の頃には、ぼくは
脚本のスタッフとしてはいなくなりまして──
最後の方は、その脚本を
小説化するほうに専念していました。
本来やりたかったのは
こういう形だったんだということを
残しておきたい想いがありましたし、
自分自身、小説の修行をするような感じで、
映画とは離れて、かなり好き勝手なことを、
けっこう長めに書かせてもらいました。
いろいろ問題があって、
辛酸もなめましたけど、
こういう世界もやはり経験しておくのは
よかったことだと思ってます。
いろんな人や職種を見られたし、
映画に対してのむやみな憧れもさめたので、
いま自作への映画化の申し込みも
冷静に判断できます。
二年間そういうことをやって、
小説に戻る他ないなあと思いました。
ただ、まだ、自分がどういった方向性の
小説を書けばよいのか、また書きたいのか、
具体的なヴィジョンはつかめていなかっった。
書きたいものがないわけじゃなく、
それがどう形になれば、
受け入れてもらえるのか、
モヤモヤしてました。
小説で生活してゆく覚悟も
まだ充分にはできていなかったですね。
肚がすわってない。
<読者>という存在も見えてなかったし、
自分の能力と小説という媒体との
距離感もつかめてなかった。いわば
あらゆることが中途半端な時期だったんです。
デビュー作を本にしたかったので、
取り引きということではないけれど、
会社側の企画で、
映画のノベライズも一本やりました。
どうせなら短い時間でも好き勝手にしたいと、
脚本家の方に電話して、
自由にしていいよと
快くおっしゃっていただけたので、
昭和史を勉強して、主人公の名前と
おおまかな設定意外は勝手をやらせてもらいました。
これも少しは修行になったのかもわかりません。
一年ほどですけど漫画の原作もやりました。
あとNHKのディレクターさんが
新人賞をいただいた直後に電話をくださり、
年に一本のペースで
ラジオドラマも書かせてもらってました。
だから<天童荒太>が生まれる前に、
わりといろいろ経験してるんです。
遠回りだけど、いまこうなってみると、
むだでもなかったかなと思うことはよくあります。
そうこうするうちに、
ビデオシリーズの話がきました。
探偵がアジア諸国を巡る話です。
ビデオと言ってもフィルムで撮るし、
映画館でも上映するので、
ほとんど映画なわけで、
声がかかったときは、リベンジと言うかな、
今度こそしっかり自分を打ち出した
作品にしてゆきたかったんですけどね。
結果的にはこれもうまくゆきませんでした。
自分の才能のなさもあってのことですけど、
相手のスケジュールに合わせて、
相手の都合通りのものを提出することは、
自分には向いてなかったようです。
あと、あの業界の人の
人間関係にも疲れましたね。
けっこうウソやごまかしが横行してたんで。
もちろん、いい人との巡り合わせもあって、
『少年とアフリカ』でも話している、
カレン族の戦場の村へ行くという、
得難い経験も、この企画に参加したおかげなんです。
いい経験はしたけど、
一方でもう映画はいいやと思った。
自分がけずられてゆく気がしたし、
誰かの都合に合わせてゆく表現行為が
納得できませんでした。
ウソとごまかしと責任逃れの多い世界で
やっていくために、自分も
どこかでウソやごまかしをしていて
それも耐えられなかったんです。
このあとです。初めて本当に
小説で食べてゆくんだという肚がすわったのは。 |