※前回の最後のほうで、
「全ページを
しっかりゲラチェックするためには、
睡眠時間を
四時間半から三時間にしなきゃいけないなぁ。
食事を取る時間を詰めて、
食後一〇分間だけは消化のために休んで、
あとの時間をわりふってゆこう……」
と生活を設計すると言っていた天童さん。
何を食べ、何時間眠って、どう集中したのか?
家事とかは、いったいどうしていたのだろう?
野暮なインタビューになってしまいましたが、
敢えてうかがったことによって、
受験生だとか、ほかのデスクワーカーたちにも
「なるほど、だとしたら、これは
自分の生活に活かせるところもあるかも」
と思えるような内容になったと思います。
もちろん、執念が伝わってくるというのが、
いちばん、聞いていておもしろかった点だけど。
では、今日の天童さんの談話を、どうぞ。
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ほぼ日 |
睡眠時間が三時間になったときには、
食事の切りつめかたは、
さっき食べていた
『ウイダー・イン・ゼリー』
みたいなものになったんですか? |
天童 |
うん。
正確に言うと、
睡眠を減らして起きてる時間が長く、
一日五食とらないと保たないので、
そのうち二食を栄養ゼリーでとる形。
通常の三食はしっかりとります。
時間は短くても。
でないと、体力よりまず脳が働かない。
だから三食は
脳にいいと言われるものをそろえて
食べたりするんですよ。
よくかんで、ブドウ糖を
しぼりだすように摂取する。
顎を動かすのは
脳への刺激にもなるので、意識して、
大きく何度もかんだりするんです。
その間、仕事のことは考えない。
消化を意識する。
短い時間で消化されないと、
いざ仕事にかかったとき、
脳にまわる血が減ってしまうと思うんです。
ただし、これは特別ですよ。
ふだんはゆるい生活をしてますから。
目覚めてすぐに、こういうゼリーもので
ブドウ糖を補給して、朝食までの
二時間ぐらいゲラチェックにあたる。
で、朝食とって、仕事。
あとも昼食と夕食とトイレと、
ごく簡単な家事以外は仕事。
家事はシンプルなことでも
日々ちゃんとやります。
生きるという仕事の一部だから。
で、夜食もゼリー。
そういう習慣が、
ついこのあいだまで、
ずっと続いていました。
こういう栄養ゼリーって、
種類がいくつかあるから、
よさそうなものを交替で買って、
飽きるところまではいかなかったけど、
いつも行くドラッグストアでの
商品の減り方を見ると、
「どうやら、この近所では、
オレだけがこのゼリーの
まとめ買いをしているらしい」
ということがわかった(笑)。
そういう状況が、しばらく続いてたので、
さすがにちょっとこれはどうなのかなぁ、
とは思いました。
恥ずかしくはないんだけどね。
いまは終わって、
ゼリーのまとめ買いをしなくなって、
ちょっとホッとしています。
「あ、もうあれを買いにいかなくていいんだ」
って。 |
ほぼ日 |
作品を仕上げる期間に、
気をつけていたことは、
どういうことでしたか? |
天童 |
最初のゲラにおける加筆と訂正は、
原稿がまったく違ったものになるというほど、
全体にわたって綿密に書きこんだものですが、
次のゲラは、
直すとしても細かいところになってきます。
もちろん、
一ページに三〜四か所あるとしても、
単純計算で、一〇〇ページで
三〇〇ぐらいは手直しが入るわけですから、
少ない量ではないのですが。
多くの人は御存知ないと思いますが、
作者がある文章を直すとすると、
それを印刷の人が打ち直した時点で、
一字いくらと、お金がかかるんです。
だから、ゲラ段階での直しが多いと、
そのぶん出版社の費用がかさむんですね。
生ぐさい話だけど、これも現実です。
ただし新潮社は今回、
だから直しは減らしてくれなんてことは
一切言わなかった。
直すほどに作品がよくなると
信頼してくれていたし、
これが結果的にはより多くの読者の
心に届くのだろうと
版元なりの計算もあったのかもしれない。
ぼくも申し訳なく感じながら、
費用のことを考えて
直しを遠慮するということはなかった。
まず作品ありきですからね。
ただ、再校については、
作品全体を作りかえるほど
変化はしないので、三時間睡眠でも、
なんとかまわしてゆけるんです。
ラストスパートだから、
こちらのテンションもあがってきます。
いわゆる「ライターズハイ」のように
やっていける時期なんです。
ただ、その
「ライターズハイ」ばかりに頼ると、
ムラが出てしまう。
高揚してウソを書いてしまいかねないし、
全体の調和が乱れてしまう可能性もある。
ウソや乱れが
わからなくなってしまうところに
行かないよう、
冷静に事に当たらなければいけない。
そのことは、常に感じていました。
最初の原稿の段階で、
ぼくが信頼している編集者たちが、
とても高い評価をくれてる。
おもしろいと言ってくれてる。
さらに最初のゲラを直したところでも、
編集者からはオッケーが出たし、
新潮社の厳しい校閲も
経ているものなんだから、いったん
「これは正しいものなんだ」
と思いこむ必要があるんです。
まず、これは正しい、
いまの状態でも十二分によくできてる、
これまでの自分を超えた作品になっている、
と思いこんだ上で、
「何回考えたとしても、
これを加えたほうが、あるいは
こう直したほうが、より質の高い作品になる」
そう信じられたところで
はじめて直すのが、二校目のやりかたです。
その上どうしても気になるところは、
三校目を見せてもらうこともありました。
通常の出版過程ではあり得ないことなんです。
二校目の筆入れも
いやがられるのがふつうなのに、
異例ずくめを通してもらえた。
確認したかったのは、
『家族狩り』第四部だったら、
お遍路さんのところや、裁判のところなどです。
そういう部分は、
細かな言葉の使い方ひとつで、
読者に届くものが
変わってくる部分なんです──
そこは重要なので、何度読んでも
「このまま送り出したい」
という気持ちに変化はないか、
確認させてもらっていました。
三校目になると、
わずかな部分を変更するだけで、
もうほとんど直しはしないんだけど、
だからと言って確認しないまま
「まぁいいや。もう出しちゃおう」
とは思えません。
もう充分です、納得しました、
というところまでは、行かないと……。
ただ、これが許されているのは、
今回のインタビューの最初にも言ったけど、
本当に恵まれていることなんですよ。
また、恵まれているからこそ、
安易な妥協をせず自分を追いこむことが
責任にもなってくるんです。 |