晩年の父は認知症を患い、
専門の病院に入院していたのですが、
1年経ってごはんが食べられなくなり、
流動食から栄養補助剤
(フルーツ牛乳のような栄養ジュース)に
切り替わったところで、自宅に帰ることになりました。
医師からは
「搬送中に急変してそのまま、
ということもあるかもしれない」
といわれました。
それでも、しゃべれなくなった父が
「最後は家に帰りたい」と
訴えているように思えたので、
何があってもだれのせいでもない、と
覚悟を決めてのことでした。
正直、たった一日でも、たった一晩でも、
家で最後の時間を過ごさせてあげたい、
という気持ちでしたが、
なんと父はそれから1か月を
自宅で過ごすことができたのでした。
1か月の間、
わたしたち家族を支えてくださったのは、
訪問医療の先生方と、
地域の看護ステーションの看護師さんたちでした。
毎日毎日、だれかしらが
父のケアにきてくださることが、
どんなに心強かったことか。
先生が来てくれる、看護師さんが来てくれる、
というだけで、
たとえ父の顔色を見てくださるだけでも、
家族はほんとうにほっとするのです。
医師、看護師、は、
もしかしたらその存在だけで、
人を救っているのかもしれません。
子どものころナイチンゲールに憧れていたという母は
(そんな話、そこではじめて知りました!)
なんだか父の介護に生きがいを見つけたようで、
先生方や看護師さんたちと触れ合ううちに、
どんどん若返っていくようでした。
亡くなる日の朝、父は
大好きだった訪問入浴サービスで
お風呂に入れてもらい、
身を清めてから眠るように逝きました。
家族みんなに囲まれ、
まるでドラマのような見事な最期でした。
父の死亡診断書を書くために
来てくださった訪問医療の先生は、
死を確認した後、
わたしたち家族に深々と頭を下げ、
そのままの姿勢で動かず、
なかなか頭を上げてくださいませんでした。
その姿は、わたしたち家族の心に
いまも深く焼きついています。
あの1か月は、まるでお祭りのようでした。
毎日ほんとうに大変だったけれど、
人が死んでいくこと、という普通のことを
父はわたしたちにしっかりと
教えてくれたように思います。
死亡診断書に書かれた死因は「老衰」でした。
幸せな死だったと思います。
(みずまる)
※このメールは、連載コンテンツ
「いつか来る死を考える。」にお寄せくださったものです。
「いつか来る死を考える。」にお寄せくださったものです。