さよならは、こんなふうに。 さよならは、こんなふうに。
昨年連載した
訪問診療医の小堀鷗一郎さんと糸井重里の対談に、
大きな反響がありました。
あの対談がきっかけとなって、
ふたりはさらに対話を重ね、
その内容が一冊の本になることも決まりました。



小堀鷗一郎先生は、
死に正解はないとおっしゃいます。
糸井重里は、
死を考えることは生を考えることと言います。



みずからの死、身近な人の死にたいして、
みなさんはどう思っていますか。
のぞみは、ありますか。
知りたいです。
みなさんのこれまでの経験や考えていることを募って
ご紹介していくコンテンツを開きます。
どうぞお寄せください。
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illustration:綱田康平
008 葬儀も相続も父の思い通りにはならなかった。
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今年の7月に父が亡くなりました。
72歳、一般的には早いのだと思います。
ただ好きに生き、
不摂生を続けてきた父を知る身としては、
よく生きたなと感じました。



三兄弟の次男だったぼくは、
父とは仲が良く
(ほかの家族が疎遠だっただけで自覚もなかった)、
ぼくが結婚してからも毎月実家に帰って
話をしていました。



なぜか妻と一緒だと饒舌になる父。
若い頃は全然似てないと思っていた父の内面は
実はぼくとそっくりでした。
お酒が好きでふざけるのも大好き。
息子の前では隠してただけなのか。
去年からは孫も見せられて、
「じいじ大好き」って言われて
照れくさそうにしてました。
子ども好きだったのかと思ったり。



そんな父に異変があったのは今年の春頃。
腰が痛くて立てないと言い出し、
病院嫌いの父を無理やり病院に。
そのあと1ヶ月ほど経過して様子を聞くと
咳が止まらない、と。
精密検査の結果、診断結果は癌。



一緒に話を聞かされ、
本人もとてもショックを受けていました。
ただ、ぼくのほうは、
治療は難しく持って数年と聞いて、
介護(腰骨に転移しており立てないため)を
どうするかなど、現実的な問題がぐるぐると
頭を巡っていました。



ところがそんな心配などいらなくて、
結局父は入院して2ヶ月で亡くなりました。
亡くなる前日、
しばらく話をして病室を出るとき、
仏様に前にするように手を合わせる父。



「そない大袈裟なんやめて! 明日も来るからな」



そう言い残して、信心深くない父が祈るのは
息子なのかと思い、出ていきました。



ほかの家族とは疎遠だった父。
特に葬儀に呼ぶなという遺言があった親類もいました。
ほとんど面識のない親類が出てきて葬儀を仕切ったり、
とこういうときだけ良い顔をしようとする人もいて、
普段はわからない人間模様を眺めていました。



相続はすべてぼくに託すと遺言があったものの、
公式な文書がなく、
ほかの家族の意思もあったため、
ぼくは権利を放棄しました。



つまり葬儀も相続も
父の思い通りにはなりませんでした。
口酸っぱく言われていたのに叶えてあげられず
申し訳ないものの、
生きる人たちの現実に即して判断したので、
これで良かったと思ってます。
父との関係のため疎遠だった親類とも
距離が縮まったし、悪いことではなかったはず。



「死」という、皆が避けられないものを前にすると
本音が垣間見えると感じました。
本人はもちろん、
取り巻く人たちの欲望も浮き彫りに。
結局死後のことは生きている人たちがやるわけで、
思いどおりにはならないことを知りました。
伝えたいことがあるなら生きているうちに
しっかりやらないと、と教えられました。
これがぼくの「さよなら」でした。



(T)
2020-11-12-THU
小堀鷗一郎さんと糸井重里の対話が本になります。


「死とちゃんと手をつなげたら、
今を生きることにつながる。」
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『いつか来る死』
小堀鷗一郎 糸井重里 著

幡野広志 写真

名久井直子 ブックデザイン

崎谷実穂 構成

マガジンハウス 発行

2020年11月12日発売


発行を記念して、
オンラインのトークイベントを行います。



日時:11/25(水)19:00

全国の紀伊國屋書店と紀伊國屋WEBで
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ご購入くださった方に
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