いまの人たちは、
「大切にできるもの」を探しているんだと思います。
ぼくも、まったくそうです。
いらなくなっても惜しくないもの、
買えば買えるもの、
たとえなくしても次があるもの。
いつのまにか、そういうものばかりになってしまった。
これは、便利だし、安上がりだったりもするし、
いろんな都合のいいこともあります。
でも、それを「大切にできない」ということが、
なんだかさみしいんですよね。
人は、なにかを、人のように愛したいんじゃないかな。
それが人でなくても、手で触れたり、抱きしめたり、
壊れないか心配したり、いっしょに呼吸したり、
じっと眺めてうれしがってみたり、
なくしてしまったら泣いちゃうなんて思ったりね。
志村さんのアトリエから、旅立ってくる着物は、
どういうふうにイメージされたか、
どんなふうに染められてきたか、
どんなふうに織られてきたか、
みんなわかっているわけです。
このあたりを織っているときに、
志村ふくみ先生が、こんな話をしてくれたとか、
他の織機でつくりかけている布を見て、
「いいね、きれいね」と何度も言ったとか、
すべての時間が、そこに込められているんですよね。
それは、なんというか、死なないものなんです。
これを手に入れた人が、どんなふうに生きても、
その人生に寄り添っていっしょに生きてくれる。
さらに言えば、次に着てくれる人に伝わっても、
そこから、また生きていってくれるわけです。
つくられたときの物語が、ずうっと永遠に続いていく。
ほんとに「大切にできるもの」なんですよね。
そういうものが、じぶんのそばにあるということが、
いや、着るのはもちろんなんだけど、
じぶんの家とか部屋とかの、どこかにあるということで、
なんともいえぬ豊かさを生み出してくれると思うのです。
蚕がつくった繭が、こんなふうに旅をして、
「大切」そのものを、ずっと漂わせながら生きていく。
なんかねぇ、こういうことをできるってことが、
ずいぶんとうれしいことですよね。
なにより、見て、うれしいでしょう、
今度の着物のどれもが。
だれにも通じてしまう一流の世界って、
ほんとにあるんだよねぇ。