和枝 |
斉吉は、もともと「廻船問屋」でした。
気仙沼に入ってくる漁船の漁師さんを
いろいろとお世話する‥‥。
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小田 |
ええ、ええ。
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和枝 |
で、私が小さいころから、
北海道からさんま船でやって来るお客さんが
すごく多かったんです。
そのとき、みなさんがおみやげに
六花亭のお菓子の詰め合わせの「十勝日誌」を
買って来てくださって。
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小田 |
それは「excellent」ですね(笑)。
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一同 |
(笑)
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和枝 |
祖母に
「このお菓子は、お客さんに出すんだから。
子どもは食べちゃだめ」
と言われて、神様のとこに上がるんですね。
あれが、ほんとに憧れで‥‥。
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小田 |
当時「よく売れるなあ」と思ってましたが
そのせいか‥‥(笑)。
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一同 |
(笑)
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和枝 |
六花亭さんの包装紙って
きれいなお花の絵柄じゃないですか。
いつか、母がていねいに取っておいた
その包装紙を
段ボール箱に貼ってくれたんです。
だから、子どものころの
「大切なものを入れる宝箱」は、
六花亭の包装紙の段ボール箱だったんです。
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小田 |
実際、帯広の人口の割には
売り上げが大きかったんですよ、当時から。
同業他社のみなさんから
「おまえのところ、人口15万の町で、
よくそれだけ商いあるよね」
と、よく言われてたんですけれど
父が
「おみやげで、
よく使ってもらってるんですよ」と。
僕も子どものころ、そう感じてました。
ありがとうございます。
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和枝 |
箱を開けると、いろんなお菓子があって
それこそ「ひとつ鍋」が2個入っていて‥‥。
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小田 |
ああ、そんなことまで覚えてくださって。
うれしいなあ。
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和枝 |
「ホワイトチョコレート」が2枚で、
あとは「白樺羊羹」と「大平原」と‥‥
もう、どれから食べたらいいんだろうって
ワクワクしてたまらなくなって。
本当に、ずっと憧れていたんです。
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小田 |
舞台関係のかたに
うちの花柄の紙袋を「何十枚かくれ」って
言われたことがあってね。
何にお使いですかとお聞きしたら
あるお芝居で
北海道から帰って来たという設定のとき
「ただいま!」って
手に、うちの紙袋を持ってるんだって。
そのことが、
とてもうれしかったのを思い出しました。
ありがとうございます。
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糸井 |
この人、本当に会いたがってたんです。
まるで、
ベルサイユ宮殿にでも行くかのような。
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和枝 |
本当に、夢のようなんです。
その社長に「さいきっつぁん」って。
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一同 |
(笑)
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糸井 |
海を通じて縁が深かったということですね。
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小田 |
どこから来たんだろう、さんま船は。
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和枝 |
厚岸とか、釧路とか‥‥あと稚内の人も。
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小田 |
帯広で買っていくのならわかりますけど
厚岸からの人が買っていくなら
数日前から
おみやげにしようという心持ちがあって
準備してるはずですね。
それは、もう、ますますうれしいですね。
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糸井 |
喜ぶぞと思ってるわけですよ。
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小田 |
斉吉さんの喜びかたも良かったんでしょう。
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和枝 |
だって、2個ずつとか入ってるんですよ?
ほんと、たまらないんです。
これ1個食べると、
もう1個しか残っていないぞっていう‥‥。
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一同 |
(笑)
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和枝 |
だんだん大きくなると、
「ひとつ鍋」の名前の由来なんかを
読むようになるんです。
そうすると
開拓のころの時代にイメージが膨らんで、
本当にいちいち、たまらん‥‥。
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小田 |
照れるなあ(笑)。
今日帰ったら
仏さんに「金のさんま」を上げときます。
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一同 |
(笑)
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糸井 |
創業されたのは、お父さんですか?
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小田 |
実質的な創業者は、親父ですね。
その前に、おじさんが三年ばかりやってますけど、
説明がわずらわしくなるんで
僕が「創業者は父」と決めまして(笑)。
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和枝 |
ここへ来る前、
八木澤さんがいろいろ調べてくださったんですが
帯広の地って
最初は「13軒」からはじまったとか。
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小田 |
まあ、いろいろ異説もあるんだけど、
開拓使が入ったとき、
この地が「13軒の生活者からはじまった」とは
言われていますね。
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和枝 |
でも今回、はじめて帯広にうかがって‥‥
こんなに立派に耕したんですね。
飛行機から見たら、畑が絶景でした。
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小野寺 |
本当に、すごかったですね。
あれは「人が、手で耕したんだな」と
思いました。
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和枝 |
だから、あの帯広のきれいな畑を見て、
気仙沼はまだ瓦礫ですけど
「大丈夫、私たちもいつか、やれる」って。
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小田 |
うん。
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和枝 |
そういう気が、してきたんです。
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小田 |
やれますよ、きっと。
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和枝 |
はい(笑)。
<つづきます> |