糸井 |
掛園さんは、気仙沼あるいは東北が
今後、
どういう町になったらいいと思っていますか?
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掛園 |
たぶん‥‥震災前のかたちに戻すのじゃ、
意味ないと思います。
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糸井 |
そうですか。
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掛園 |
気仙沼の魅力がさらに増すような‥‥
そういう方向で
復興計画を立てていかなければ。
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糸井 |
なるほど。
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掛園 |
この地域のいちばんの魅力であり
資産である魚市場に注目して、
水産都市であると同時に観光都市でもある。
そういう町づくりのできるチャンスだと
この震災を捉えて。
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糸井 |
「得意な部分」なわけですものね。
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掛園 |
そう、魚市場の再開にしても、
カツオの漁に間に合わせるんだって言って、
みんなでやっちゃったんです。
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糸井 |
ええ、やっちゃいましたね。
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掛園 |
そういうエネルギーがあるんですよ。
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糸井 |
あれ、ことの大変さがわかる人ほど
びっくりしてましたよ。
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掛園 |
みんなを、すごく元気づけました。
やった本人たちも、自信を持った。
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糸井 |
ぼくらが気仙沼に来たときに、
地元の人に
よくごちそうになるんです、ごはんを。
それにたいして、
どうやってお返しをしたらいいだろうと
思う反面、
「これって、いいことなんだろうか」と。
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掛園 |
ええ、わかります。
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糸井 |
もう友だちみたいになっちゃったから
聞いたんです。
「ぼくらがごちそうになるなんて、
ダメじゃない?」って。
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掛園 |
ええ、ええ。
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糸井 |
そうしたら「ごちそう、したいんだ!」と。
つまり「プライド」なんですよね。
人にごちそうすることも、
人間的な生活の「必要条件」なんです。
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掛園 |
ああ‥‥。
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糸井 |
そのことを知ってから、
ぼく、この町のことを
また、ずいぶん好きになったんです。
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掛園 |
われわれも、
原則ごちそうになったりはしないんですが、
「この好意は受けたほうがいい」
場面というのは、かならずありますよね。
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糸井 |
そう、
「もらってばっかりいるなんて嫌だ」と。
現地の人たちから、その言葉を聞けたおかげで、
人間理解が深まった気がします。
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掛園 |
ええ、ええ。
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糸井 |
ある意味で
彼らが「見栄を張っている」部分があるなら
ぼくらだって、張り返せばいい。
なんか、お互いに
「ちょっとかっこつけたくらい」なほうが
いいんじゃないかって。
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掛園 |
わたしね‥‥ずいぶんむかしに
鹿児島湾の、
台風の復旧工事の記事を書いて‥‥。
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糸井 |
ええ。
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掛園 |
「ジャカゴ」という工法があるんですが、
わたし、そのことを
「自然にやさしい工法」と書いたんです。
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糸井 |
はい。
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掛園 |
そうしたら
焼酎を2本、持って来てくれた人がいて。
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糸井 |
うれしかったんでしょうね。
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掛園 |
「そんな、受け取れません」と言ったら、
「おまえとは口きかん」と(笑)。
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糸井 |
‥‥そうなんですよね。
ぼくら人間が
「ふつうに生きてたらやりたいこと」は、
ぜんぶやりたいんですよね。
被災地だろうと、どこだろうと。
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掛園 |
気仙沼は土地が少ないから
内陸の一関の千厩(せんまや)に仮設住宅を
建ててるんですが、
そこのみなさんも、ものすごい親切。
もう「至れり尽くせり」なんですよ。
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糸井 |
へぇー‥‥。
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掛園 |
「なんでそんなに親切なんですか」と聞いたら
「みんな、
何かしてあげたいと思ってるんだ」って。
この震災にたいして、
どういう手を差し伸べていいかわからない。
そういう人もたくさんいるでしょうけど、
きっかけさえあれば、
なんとかしてあげたいと思ってるんですね、
みなさん。
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糸井 |
うん、そうなのかもしれないですね。
手伝うことまで「損得」だって
言ってもいいくらい、
人は「何かしたい」んだと思います。
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掛園 |
‥‥わたしもね、ここに2年半もいると
好きになるんです、この土地を。
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糸井 |
ええ、そうだと思います。
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掛園 |
この町には、やっぱりいい町になってほしい。
ですから、復興計画をつくるための会議とか、
どんな議論をして、
どういう町をつくろうとしてるのかについては
とても興味があります。
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糸井 |
それは‥‥取材対象として?
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掛園 |
うーん、どうでしょう。
記事に書くため‥‥だけじゃない気がします。
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糸井 |
じゃ、ご自身が「好きだから」ですか。
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掛園 |
そうですね‥‥わたしの「希望」でしょうか。
ひとことで言えば、
パワーのある町になってほしいなと思うんです。
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糸井 |
そうですか。
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掛園 |
世界一の魚市場がある、パワーのある町。
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糸井 |
いいですね。
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掛園 |
ひとつのきっかけになるかな、と思うのは
「造船」です。
気仙沼というところは
全国有数の漁船の造船所でもあったんです。
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糸井 |
ええ、メンテナンスもいちばんだって。
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掛園 |
相当な技術らしいんです。
関連の会社まで含めると、
100社とか‥‥かなりの数になるはず。
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糸井 |
そんなにですか。
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掛園 |
それらを1カ所にまとめて、
お互いに知恵を出し合いながらやったら
おもしろいなと思うんですけど。
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糸井 |
なるほど‥‥なるほど。
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掛園 |
土地がないという問題もあるんですけど、
でも、どうにか立ち上がって
新しい町をつくっていってほしいと思う。
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糸井 |
今後、新聞記者から離れても
しばらくは気仙沼にいたいと思いますか?
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掛園 |
新聞記者じゃなくなったら、
生活のために
東京の実家に帰ることになると思います。
でもやっぱり、
ずーっと気になっていると思います。
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糸井 |
そうですか。
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掛園 |
あの計画はどうなったのか、
あの人は、どうしてるのか。
その思いは、ずっと続くんだと思います。
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糸井 |
3月11日は「第2の誕生日」ですもんね。
ここで「生かされた」という意味で。
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掛園 |
はい。
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糸井 |
今日は、ありがとうございました。
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掛園 |
ちょっと‥‥しゃべり過ぎたかな(笑)。
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糸井 |
濃密で生々しいお話でしたけれど。
たとえば5月じゃ、まだ聞けなかったですよね?
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掛園 |
後遺症の心配をしたこともあります。
台所に溜まった水をざーっと流すと、
津波に見えたり。
ぼーっと座っていたら
突然、ガタガタっと揺れを感じたり‥‥
地震なんか起きてないのに。
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糸井 |
こういう話って‥‥しないですか?
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掛園 |
被災者同士では、しないです。
それにわたしは
「新聞記者をやめろ」って言われていたほど
しゃべらないほうなんですけど、
今日は、しゃべり過ぎぐらいしゃべってます。
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糸井 |
そうでしたか。
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掛園 |
たぶん、今日こんなにしゃべれているのは、
こうやって
「聞いてもらってるから」だと思います。
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糸井 |
これからも、聞かせてください。
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掛園 |
それは‥‥ありがとうございます。 |
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※朝日新聞社・掛園勝二郎さんのお話は、今日で終了です。
明日からは
気仙沼三菱自動車販売社長の千田満穂社長が登場します。 |