河野 |
八木澤商店の場合は
お客さまの「7割」が水産関係なんです。
それらのお客さまは
気仙沼、大船渡、陸前高田という沿岸部に
工場や店舗があったために、
ほとんどが、ダメになってしまいました。
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糸井 |
はい。
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河野 |
是が非でも復興していただきたいです。
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糸井 |
そうでしょう。
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河野 |
みなさん、船をつくりなおしたり、
もとの三陸に戻そうと
必死で、がんばっておられるんです。
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糸井 |
ええ、ええ。
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河野 |
でも、風評被害もあって、
ただ単純に「いずれ海は復興できるだろう」と
楽観的に
考えていてはいけないと思います。
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糸井 |
そうですか。
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河野 |
これまでは、日本国内の消費プラス、
水揚げの大きな部分を
ロシアや中国など海外へ輸出してきました。
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糸井 |
はい。
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河野 |
その産業ベースを
もう一度、組み上げていかなければならない。
この先、水産業をどう立て直していくか、
みんなで知恵を絞って考え抜かなければ。
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糸井 |
ようするに、海の復興を成し遂げるには
現状をきちんと認識したうえで
プランを考え抜く必要がある‥‥と。
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河野 |
前向きなイメージを持つことは
とても重要ですが、
やはり危機感は、忘れてはいけないと思います。
さきほども申し上げましたけれど、
八木澤商店も
お客様の7割が水産業ですから、
そのみなさんに復興をしていただかないと
商売は成り立ちませんので。
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糸井 |
これまで
八木澤商店さんが担ってらっしゃったのは
「加工用の醸造」ですよね、つまり。
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河野 |
そうです。
三陸で採れた魚の加工、たとえば
「サンマの缶詰」や「サバの味噌煮」あるいは
「イクラの醤油漬け」などに使う
お醤油とかお味噌は
ほとんど、うちでやらせていただきました。
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糸井 |
八木澤商店さんとしては、今後‥‥。
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河野 |
気仙沼、大船渡、陸前高田という沿岸部で
水産加工に従事してきたみなさんが
今後も付加価値を創造し
商品開発をしていくというのであれば
お手伝いができるのは、
率直に言って
三陸沿岸ではうちしかないと思っています。
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糸井 |
それをするんだ?
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河野 |
それを、します。
ただし、最悪のケースを考えると――
これはもう
うちの社員全員に言ってることなんですが、
「陸前高田を
去らざるを得ないかもしれない」と。
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糸井 |
うん‥‥うん。
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河野 |
たとえそうなったとしても、
私は経営者ですから
全社員と、その生活を守る責任があります。
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糸井 |
ええ。
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河野 |
もっと具体的に言いますと、
現状、お醤油工場を再開するにあたって
いちばん可能性があると思っているのは
陸前高田ではないんです。
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糸井 |
‥‥どこなんですか。
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河野 |
陸前高田からひと山越えた隣町、一関市。
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糸井 |
新幹線の停まるところだ。
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河野 |
ここが、もっとも現実的な可能性のある
リスタートの地です。
実際、仮事務所を一関市内に借りました。
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糸井 |
あ、すでに。
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河野 |
ただ、うちの社員が、出たがらないんです。
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糸井 |
‥‥陸前高田から?
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河野 |
仮の営業所を一関の大東町に借りたとき、
市役所のかたが
とても親切にしてくださいまして。
自宅を失った社員25名に対して、
避難所にいるよりはと、
空き家を探してくださったんですね。
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糸井 |
一関に、ええ。
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河野 |
‥‥誰ひとり入らないんです。
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糸井 |
それは‥‥。
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河野 |
なかでも条件の良い物件があったので
誰かが住むだろうと、
私の名前で契約したんですけれども、
そこにも、入らない。
だから仕方なく、私が住んでますけど。
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糸井 |
陸前高田から、出たくないと?
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河野 |
先日、幹部社員を集めて話をしました。
「陸前高田に工場を建てるというのは、
現実的には数年は不可能だ」と。
すると、そろって「考えられない」と。
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糸井 |
なるほど‥‥。
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河野 |
わたしたちは製造業をやってきましたから、
製造機能を失ったまま、
経営を続けていくことは非常に困難です。
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糸井 |
ええ、ええ。
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河野 |
ですから、早急に製造機能を回復したい。
でもその場合、残念ながら陸前高田は、
土煙が舞い、
醸造業のいのちである「微生物」についても
海の底から上がってきた
わけのわからない微生物がはびこっていて、
八木澤商店にとって
適正な環境であるとは、到底言いがたい。
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糸井 |
‥‥うん。
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河野 |
ですから
陸前高田市の外で工場建設を考えていると
話をしたんですけれど、
幹部社員は、かなり動揺していましたね。
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糸井 |
なんにもなくなった陸前高田から、
出ていきたくないんだ‥‥。
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河野 |
もちろん、こういう理由もあるでしょう。
八木澤商店が
陸前高田市の隣町に、工場を建てる。
ややもすれば「逃げ出した」と言いますか
陸前高田でいっしょにがんばろうと
動いてきましたから、
批判がどっと集中するんじゃないかという
不安感からの動揺です。
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糸井 |
なるほど、ええ。
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河野 |
でも、それを受け入れる覚悟をしてほしい。
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糸井 |
経営者としてのジャッジですね。
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河野 |
震災から5日後くらいに、
地元テレビ局のインタビューを受けました。
そのとき、
「10年後、世界中からうらやましがられるような
美しい町に立て直したい」
と言ったら、すごく批判をいただきまして。
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糸井 |
どういうことですか?
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河野 |
これだけの人が亡くなり、行方不明となって、
食べるものも満足に手に入らない、
つまり先の見通しがまったく立たない状況で
何を言っていやがる、と。
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糸井 |
順番がちがうぞ、と?
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河野 |
なぜ今、そんな夢物語を言う、と。
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糸井 |
そうですか‥‥。
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河野 |
それほど、陸前高田の復興については
混沌とした状況だったんです。
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糸井 |
ええ、ええ。
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河野 |
でも、どうも私がアホなもんですから(笑)、
同じことを言い続けてたら
最近になって、批判が薄れてきまして。
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糸井 |
ほう、ほう。
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河野 |
でも‥‥これまでずーっといっしょに
農業をやってきた仲間、
食育をやってきた仲間、
陸前高田には、たくさんの仲間がいます。
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糸井 |
そうでしょうね。
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河野 |
200年以上、
陸前高田でお世話になってきましたから、
陸前高田で復興するのが筋です。
八木澤が陸前高田から出ていくとなれば、
私が信頼し尊敬する人たちからも
不信感を、持たれてしまうかもしれない。
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糸井 |
それは、つらいですね。
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河野 |
でも、実際「生きていく」ということは
そういうことなんだと思いました。
八木澤商店の社長として、
私は、
社員の雇用を守っていかなければならない。
それだけでなく、
新たに雇用を生み出すとも宣言しています。
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糸井 |
してましたね。
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河野 |
宣言をしたからには、やらなければならない。
そうやって八木澤商店が「やる」と言ったら、
仲間の会社からも
「じゃあ、うちも6人採用するよ」とか、
「2人採用するよ」というところが出てきた。
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糸井 |
そうですか!
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河野 |
そこで、学校の先生を集めて話をしたときに
「オレたち、もう器つくったから」と。
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糸井 |
つまり、卒業生の「受け皿」を。
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河野 |
はい、全員を受け入れる器をつくったから、
「希望者は、誰一人外に出すな」と。
ま、半分は「ウソ」なんですけどね(笑)。
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糸井 |
「ウソ」というか‥‥、
「どうにか本当にするウソ」ですよね。
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河野 |
しばらくあの光景を見たくない人や
陸前高田にいること自体が辛い人については
もちろん、しかたないです。
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糸井 |
それだって「選択肢」ですもんね。
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河野 |
美しくつくり上げたあとに、戻ってくればいい。
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糸井 |
そうですよね、歓迎しますって言って。
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河野 |
でも、陸前高田の若者たちの多くが、
「どうにかして役に立ちたい。
自分の力で
何ができるかわからないけれども、
ここから逃げ出したくない」
という思いを、持っているんです。
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糸井 |
やっぱり「出ていきたくない」なんだ。
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河野 |
そのためにも「受け皿をつくる」のが、
いま、
いちばん大切なことだと思っています。 |
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<つづきます> |