ゼロから立ち上がる会社に学ぶ 東北の仕事論。 陸前高田 八木澤商店 篇
第4回 アフリカを緑化したい。
── そういえば、お聞きしたいことがあって。
河野 何でしょう。
── 河野さんって、高校を卒業されたあとに
アメリカに留学してますよね。
河野 ええ。
── アフリカを緑化したい、と言い残して。
河野 いや、そんなカッコいい感じで
旅立ったわけじゃないですけど(笑)。
── つまり、
八木澤商店の九代目になるつもりは
あまりなかったんですか?
河野 なかったですね、ぜんぜん。
── そのあたりの話を、うかがいたいなぁと。
河野 別におもしろくないですよ?
── いや、なんか、いまの河野さんの核には
そのへんのことが、あるような気がして。
河野 ああ‥‥それは、そうかもしれません。
── なぜ、陸前高田のお醤油屋さんに生まれて
アフリカを緑化したいという夢を抱いて
アメリカへ留学したんですか?
河野 単純なんですよ。
かっこいい大人に、憧れたんです。
── ‥‥誰ですか?
河野 鳥取大学の遠山正瑛って先生。
── その先生が
砂漠の緑化に取り組んでいたんですか?
河野 そうなんです。

こんどの津波で流されちゃいましたけど、
遠山先生の
『砂漠緑化に命をかけて』とか
『よみがえれ地球の緑』とかを読んで
「このおじさん、
 なんてカッコイイんだーっ!」と。
── はー‥‥。
河野 中国だったりメキシコだったり‥‥
世界中を飛び回って
木を植え続けてきたんです、遠山先生は。
── へー‥‥。
河野 90歳を超えてなお、現役だった人。
── いまは‥‥。
河野 もう、お亡くなりになりました。
── 90歳を超えても学者として現役というのは
ものすごいことですね。ドラッカーみたい。
河野 内モンゴルの砂漠にポプラを植樹したり、
防砂林みたいに木を植えて
周辺に農園をつくり、
地元の人たちが働けるような環境を
ひとつひとつ整えていったり‥‥。
── その先生に、憧れて。
河野 そう。
── でも、それならどうして
鳥取大学へ行かずに、アメリカ留学を?
河野 ま、行けなかったんですよ‥‥ははは。
── あ。
河野 高校の授業なんか出てませんでしたし
日本の大学になんか、受かんないだろうと。
── ああ、受けてないんですね、実際は。
河野 絶対に受かんないですもん。
── それほどまでに、受からない自信が(笑)。
河野 だって、自分とこの学校の授業には出ず、
代わりに別の高校に行って‥‥。
── 別の学校って何ですか?
河野 いや、仲のいい友だちが通ってる高校の
授業に出たり、文化祭に行ったり‥‥。
── はぁ。
河野 水産高校の「水産研修の出初め式」に出て
いっしょに出船に向かって手を振ってたり。
── あはははは、関係ないのに(笑)。
河野 何の関係もないです(笑)。
── ちなみに何部だったんですか、部活は?
河野 応援団。
── わ、すっごく似合ってますね!(笑)
河野 え、そうですか?

ま、ともかく応援団はちゃんとやりながら
砂漠の緑化の本を読み、
オレはもう、この道に進むしかない、
でも日本の大学には受かんない、
じゃあ、いっちょうアメリカに行くかぁと。
── そうだったんですか。
河野 風のうわさで、
「アメリカの大学なら入るのは簡単。
 ただし出るのは難しいけど」
と聞いていたものですから。
── 「風のうわさで」(笑)
河野 だったら、いま勉強ができなくったって
入ってから勉強すりゃいいじゃん‥‥と。
── なるほど。
河野 そのころに考えていたのは
日本には食い物がなくなる、ということ。
── その、将来的に?
河野 はい、だからアフリカの砂漠を農地に変えて、
日本に輸出する穀物をつくって
売ったろうと、そんな考えを持ってたんです。
── そんなプランを、陸前高田の高校生が。
河野 ええ。
── ちなみにアメリカの大学では、学部は‥‥。
河野 アグリカルチャー。
── つまり、農学部。
河野 農学というのは基本的に「理系」なんですけど
ぼくは「文系」だったんです。
── はい。
河野 だから、本当は
砂漠を緑化するための技術を学びたかったんですが、
ちょっと選考を考え直しまして、
農学のなかでも
アグリカルチャーのマネージメントとかいう学部に。
── つまり、農業経営的な?
河野 そうそう、そっちは文系だったんです。

で、そんなこんなで短大を卒業し、
四年制大学の三年次に編入したタイミングで
親父が脳梗塞で倒れまして。
── 八代目の、和義前社長が。
河野 日本に帰ってきた‥‥というわけです。
── 帰国されてからは‥‥。
河野 ホテルマンとして修行しました。
3年くらい、皿洗いとか荷物運びとかやって。
── そして、八木澤商店に入社された、と。
河野 はい。
── 砂漠を緑化したいっていう夢は、その後?
河野 いまだに、ベースにはありますね。

ほぼ日で糸井さんと対談していた
原丈人さんの「カバン持ち」がしたいって
言ってるのも‥‥。
── あ‥‥なるほど。

原さんは、アフリカの飢餓問題のために
「スピルリナ」の事業化に
取り組んでらっしゃいますものね。
河野 私がやりたい「砂漠の緑地化」を
原さんは
スピルリナって藻による「栄養補給」で
実現しようとしている。
── はい。
河野 お会いしたこともないのに
まったく失礼千万な話なんですけど、
本当にカバン持ちをしたい。

先ほど話に出た
「持続性のある陸前高田の町づくり」も
原さんがハーバードで進めている
「公益資本主義」という経済の考えかたから
学ぶことが多いと思っていますし。
── 「会社というのは、従業員、顧客、
 取引先、地域社会など、
 関係する人すべてのものであって、
 それらの人たちの利益に貢献すべきものだ」
という、あの。
河野 もともと、地方の中小企業というのは
公益資本主義みたいなことをやってきたんです。

地域社会や従業員の利益のために
事業を運営していく、
そんな仕事に対して
みんなが生きがいを持って働く‥‥という。
── ‥‥緑化の夢は、今でも?
河野 はい。
── いつかやりたいと思ってらっしゃる?
河野 あのー、私はアホなもんで‥‥。
── いやいや。
河野 八木澤商店の従業員には
「オレは9代目の社長として、
 この先10年で
 つぶれない会社にしようと思う」と
話しているんです。
── 10年で。
河野 誰が経営者になっても大丈夫な状態に
会社の経営を立て直す。

それが、現時点での私の目標なんです。
── なるほど。
河野 それができたら、引退するからって。
── 引退して‥‥もしかして?
河野 うん。
── アフリカに‥‥?
河野 そう、アフリカに。
── それは‥‥取材したいです(笑)。
河野 うちの社員には、言ってるんですよ。

オレは、9代目の責任として
八木澤商店をきっちりと立て直すから
あとは、頼むよと。
── はい。
河野 そしたらオレ、アフリカ行くからって。

<おわります>
2011-12-30-FRI
   
 
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN