── |
そういえば、お聞きしたいことがあって。
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河野 |
何でしょう。
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── |
河野さんって、高校を卒業されたあとに
アメリカに留学してますよね。
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河野 |
ええ。
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── |
アフリカを緑化したい、と言い残して。
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河野 |
いや、そんなカッコいい感じで
旅立ったわけじゃないですけど(笑)。
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── |
つまり、
八木澤商店の九代目になるつもりは
あまりなかったんですか?
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河野 |
なかったですね、ぜんぜん。
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── |
そのあたりの話を、うかがいたいなぁと。
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河野 |
別におもしろくないですよ?
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── |
いや、なんか、いまの河野さんの核には
そのへんのことが、あるような気がして。
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河野 |
ああ‥‥それは、そうかもしれません。
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── |
なぜ、陸前高田のお醤油屋さんに生まれて
アフリカを緑化したいという夢を抱いて
アメリカへ留学したんですか?
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河野 |
単純なんですよ。
かっこいい大人に、憧れたんです。
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── |
‥‥誰ですか?
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河野 |
鳥取大学の遠山正瑛って先生。
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── |
その先生が
砂漠の緑化に取り組んでいたんですか?
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河野 |
そうなんです。
こんどの津波で流されちゃいましたけど、
遠山先生の
『砂漠緑化に命をかけて』とか
『よみがえれ地球の緑』とかを読んで
「このおじさん、
なんてカッコイイんだーっ!」と。
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── |
はー‥‥。
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河野 |
中国だったりメキシコだったり‥‥
世界中を飛び回って
木を植え続けてきたんです、遠山先生は。
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── |
へー‥‥。
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河野 |
90歳を超えてなお、現役だった人。
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── |
いまは‥‥。
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河野 |
もう、お亡くなりになりました。
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── |
90歳を超えても学者として現役というのは
ものすごいことですね。ドラッカーみたい。
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河野 |
内モンゴルの砂漠にポプラを植樹したり、
防砂林みたいに木を植えて
周辺に農園をつくり、
地元の人たちが働けるような環境を
ひとつひとつ整えていったり‥‥。
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── |
その先生に、憧れて。
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河野 |
そう。
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── |
でも、それならどうして
鳥取大学へ行かずに、アメリカ留学を?
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河野 |
ま、行けなかったんですよ‥‥ははは。
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── |
あ。
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河野 |
高校の授業なんか出てませんでしたし
日本の大学になんか、受かんないだろうと。
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── |
ああ、受けてないんですね、実際は。
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河野 |
絶対に受かんないですもん。
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── |
それほどまでに、受からない自信が(笑)。
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河野 |
だって、自分とこの学校の授業には出ず、
代わりに別の高校に行って‥‥。
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── |
別の学校って何ですか?
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河野 |
いや、仲のいい友だちが通ってる高校の
授業に出たり、文化祭に行ったり‥‥。
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── |
はぁ。
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河野 |
水産高校の「水産研修の出初め式」に出て
いっしょに出船に向かって手を振ってたり。
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── |
あはははは、関係ないのに(笑)。
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河野 |
何の関係もないです(笑)。
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── |
ちなみに何部だったんですか、部活は?
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河野 |
応援団。
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── |
わ、すっごく似合ってますね!(笑)
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河野 |
え、そうですか?
ま、ともかく応援団はちゃんとやりながら
砂漠の緑化の本を読み、
オレはもう、この道に進むしかない、
でも日本の大学には受かんない、
じゃあ、いっちょうアメリカに行くかぁと。
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── |
そうだったんですか。
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河野 |
風のうわさで、
「アメリカの大学なら入るのは簡単。
ただし出るのは難しいけど」
と聞いていたものですから。
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── |
「風のうわさで」(笑)
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河野 |
だったら、いま勉強ができなくったって
入ってから勉強すりゃいいじゃん‥‥と。
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── |
なるほど。
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河野 |
そのころに考えていたのは
日本には食い物がなくなる、ということ。
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── |
その、将来的に?
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河野 |
はい、だからアフリカの砂漠を農地に変えて、
日本に輸出する穀物をつくって
売ったろうと、そんな考えを持ってたんです。
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── |
そんなプランを、陸前高田の高校生が。
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河野 |
ええ。
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── |
ちなみにアメリカの大学では、学部は‥‥。
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河野 |
アグリカルチャー。
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── |
つまり、農学部。
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河野 |
農学というのは基本的に「理系」なんですけど
ぼくは「文系」だったんです。
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── |
はい。
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河野 |
だから、本当は
砂漠を緑化するための技術を学びたかったんですが、
ちょっと選考を考え直しまして、
農学のなかでも
アグリカルチャーのマネージメントとかいう学部に。
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|
── |
つまり、農業経営的な?
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河野 |
そうそう、そっちは文系だったんです。
で、そんなこんなで短大を卒業し、
四年制大学の三年次に編入したタイミングで
親父が脳梗塞で倒れまして。
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── |
八代目の、和義前社長が。
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河野 |
日本に帰ってきた‥‥というわけです。
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── |
帰国されてからは‥‥。
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河野 |
ホテルマンとして修行しました。
3年くらい、皿洗いとか荷物運びとかやって。
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── |
そして、八木澤商店に入社された、と。
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河野 |
はい。
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── |
砂漠を緑化したいっていう夢は、その後?
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河野 |
いまだに、ベースにはありますね。
ほぼ日で糸井さんと対談していた
原丈人さんの「カバン持ち」がしたいって
言ってるのも‥‥。
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── |
あ‥‥なるほど。
原さんは、アフリカの飢餓問題のために
「スピルリナ」の事業化に
取り組んでらっしゃいますものね。
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河野 |
私がやりたい「砂漠の緑地化」を
原さんは
スピルリナって藻による「栄養補給」で
実現しようとしている。
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── |
はい。
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河野 |
お会いしたこともないのに
まったく失礼千万な話なんですけど、
本当にカバン持ちをしたい。
先ほど話に出た
「持続性のある陸前高田の町づくり」も
原さんがハーバードで進めている
「公益資本主義」という経済の考えかたから
学ぶことが多いと思っていますし。
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── |
「会社というのは、従業員、顧客、
取引先、地域社会など、
関係する人すべてのものであって、
それらの人たちの利益に貢献すべきものだ」
という、あの。
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河野 |
もともと、地方の中小企業というのは
公益資本主義みたいなことをやってきたんです。
地域社会や従業員の利益のために
事業を運営していく、
そんな仕事に対して
みんなが生きがいを持って働く‥‥という。
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── |
‥‥緑化の夢は、今でも?
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河野 |
はい。
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── |
いつかやりたいと思ってらっしゃる?
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河野 |
あのー、私はアホなもんで‥‥。
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── |
いやいや。
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河野 |
八木澤商店の従業員には
「オレは9代目の社長として、
この先10年で
つぶれない会社にしようと思う」と
話しているんです。
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── |
10年で。
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河野 |
誰が経営者になっても大丈夫な状態に
会社の経営を立て直す。
それが、現時点での私の目標なんです。
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── |
なるほど。
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河野 |
それができたら、引退するからって。
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── |
引退して‥‥もしかして?
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河野 |
うん。
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── |
アフリカに‥‥?
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河野 |
そう、アフリカに。
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── |
それは‥‥取材したいです(笑)。
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河野 |
うちの社員には、言ってるんですよ。
オレは、9代目の責任として
八木澤商店をきっちりと立て直すから
あとは、頼むよと。
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── |
はい。
|
河野 |
そしたらオレ、アフリカ行くからって。
<おわります> |