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徳光 |
糸井さんは、
それこそ30代、40代のときは、
その時代の若者たちを
引き連れて歩いてらっしゃました。
そして、いまだって、
若い人たちがこれだけ集まってる。
これはいったい、何なんですか。
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糸井 |
え(笑)?
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徳光 |
俺たちなんて、
「とにかく若い奴らについてかなきゃ」
と思うばかりなんですから。
携帯電話も持ってないぐらいです。
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糸井 |
いまもですか?
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徳光 |
いまも持っていません。
パソコンもできないし、
完全に乗り遅れてます。
だけど、自分の中では
「これは乗り遅れてるんじゃない」
と思いたい。
俺の信じるところでは、
「きっとこれは、
体にいいわけない」
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一同 |
(笑)
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徳光 |
そういった屁理屈を常につけてる
わけなんですけど、
糸井さんは確実に、
「いまの若い人たちと同じ歩調で歩いてるな」
というふうに思うんですが。
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糸井 |
自分では、ただ
後ろに乗っかっているだけなんだろうと
思います。
「新しいもの」ということについては、
ぼくはいつも運転してないですよ。
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徳光 |
そうですかねぇ?
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糸井 |
ぼくはその昔、
「新しいものを知ってる人」として
「11PM」的なテレビ番組の
ゲストに呼ばれることがありました。
昔は、そういうことでしか
テレビが人を呼んでくれない
時代だったでしょう?
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徳光 |
そういう時代、ありましたね。
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糸井 |
司会の方が
「この人に聞けば、
原宿のことは何でもわかるんだよ」
みたいなことを言う。
ぼくは
「そんなことないんですけどね」
って、本気で言ってるのに、
冗談に聞こえるみたいでした。
原宿のことも新しいメディアのことも、
そんなに何でも
知ってるわけがないんですよ、誰も。
それを商売にしてる人以外はね。
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徳光 |
なるほど、なるほど(笑顔)。
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糸井 |
ぼくはみんながたむろしてる喫茶店で
お茶を飲んでる人のひとり、
ただそれだけだったんです。
当時の原宿で起こっていた
おもしろおかしいことは、
目では見ていましたけど、
研究していたわけではありません。
でも、テレビは
「見た人=何でも知ってる人」
というふうにしておかないと、
呼ぶ理由がないから。
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徳光 |
うーん。
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糸井 |
「どうなの? この辺流行ってるの?」
「流行ってるみたいですね」
「やっぱり流行ってるんだ!」
そういう話になります。
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徳光 |
そうそうそう(笑)、そうだね。
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糸井 |
で、その役は、
ぼくにはやっぱり居心地が悪かった。
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徳光 |
悪かったですか。
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糸井 |
もちろん悪いです。
それはつまり、
「ぼく」じゃなかったから。
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徳光 |
‥‥それ聞くと、より
親近感を持ちます。
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一同 |
(笑)
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徳光 |
当時はね、あれなんだ、
糸井さんという人は、時代の最先端にいて、
何でも知ってる人だと思ってたから。
糸井重里か泉麻人に聞きゃ
世の中のことはだいたいみんなわかる、
というような感じだったんですよ。
糸井重里という人は
日ごろから平たい目で
いろんなものを取材して、
自分の新たな引出しに
俺たちが見過ごしてしまうことを入れてる、
という感じが
非常にしましてですね、
ある種、やっぱり
嫉妬心を抱いたこともありました。
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糸井 |
嫉妬されるのは、うれしいです。
しかも、その「引出しに入れて」という表現は、
とてもリアルです。
いつもぼくは
前を走ってる人を追っかけてる、
という気持はまったくありません。
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徳光 |
うん、うんうん。
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糸井 |
「俺のほうがお前より何かを知ってる」
「俺がこの◯◯を仕入れた」
そういうことで争っていくのは
自分には絶対無理だと思ったし、
なんだかね、それは少し
貧しいようにも感じてしまったんです。
新しいものを仕入れるほうの人は、
実はなんでもない人なんですから。
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徳光 |
そうですよね。
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糸井 |
だから、ぼくは早く
自分の「呼ばれ方」を変えるべきだなと
思ってました。
ぼくのほんとうの呼ばれ方って、なんなんだ、と。
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徳光 |
おもしろい、おもしろい。
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糸井 |
いや、あのぅ‥‥
ぼくがいまこんなにしゃべってる、というのは
おかしいでしょう。
ぼくは徳光さんの話が聞きたいのに。
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徳光 |
いや、おもしろい、おもしろい。
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糸井 |
いいですか?
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徳光 |
はい。
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糸井 |
じゃあ、いまの流れの中でやりますと‥‥
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一同 |
(笑)
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糸井 |
ぼくはちっちゃい会社の
ただのコピーライターでした。
そのとき上司になった人が
出版社にいた人だったので、
彼の編集者の友人に
「こいつ、おもしろいんだよ」
って、いつも言ってくれたんですよ。
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徳光 |
うん、うん。
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糸井 |
それはとてもありがたいことでした。
編集者たちは、
「そうなんだって? 何が書けるの?」
と訊いてきてくれます。
そこで、ぼくは正直に
「何も書けないんですよ」
と言いました。
編集者たちは
「そういう言い方はよくないよ」
と言うんです。
「『何も得意な分野がない』というのは、
なんでもできる人だけが言えることだよ」
って。
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徳光 |
あぁ。そうかぁ。
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糸井 |
ぼくは本当は、「そんなの違う」と思うんです。
だけどそのときは「なるほどなぁ」と思って、
ちょっと怒られた気もして悔しかった。
「なんかあるでしょ、
映画とかさ、レコードとかさ」
みんな言ってくれるけど、
ぼくはどう考えても得意なものはないから、
「本当にないんです」
って、一生懸命に言いました。
でも、まだ生意気に聞こえるんです。
そうこうしているうちに、
間に立ったぼくの上司が、
「こいつってね、こういうやつなんだよ」
と言ってくれました。
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徳光 |
ええ、ええ(笑顔)。
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糸井 |
「書かせるなら、
ぜんぶ任せちゃえばいいじゃない」
と言ったんです。
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徳光 |
あぁ、その人がね(笑顔)。
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糸井 |
はい。
その人はもう亡くなった人なんですけど、
調子のいい、おもしろい人でした。
そういうことで、
ぼくの最初の雑誌連載がはじまりました。
ファッション雑誌の
『MEN'S CLUB』です。
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徳光 |
それが最初なんですか?
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糸井 |
そうです。
タイトルに「映画」とか「ファッション」とか
テーマがあったほうが
編集側も都合がよかったのでしょうが、
でも、ただ単にはじまっちゃった(笑)。
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徳光 |
何を書いたんですか?
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糸井 |
たとえば、都会の
ロックコンサートについて。
ぼくら田舎から出てきて、
コンサートに何を着て行ったらいいか、
わからないんですよ。
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徳光 |
はぁ、なるほどねぇ。
考えますねぇ。
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糸井 |
よくわからないまま出かけていって、
できるだけ自信たっぷりに歩きます。
でも、結局、
何が本当にかっこいいのかはわかってない。
俺もかっこわるい、みんなもかっこわるい。
たとえば、そういうことを原稿に書きました。
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徳光 |
その仕事のやり方が
糸井さんの中で、きっと、
ずっとつづいてるんだな。
(つづきます) |