糸井 |
さて‥‥もう、
まとめに入っちゃうんだけど、
鶏郎さんの話をしていて面白いのは、
あの人は立派な人だとか、尊敬してますとか、
仰々しく語る人はいないんですね。
でも身内の大森さんなんかは、
鶏郎さんという人は、タブーに近いくらい
でかいものになっているんですか? |
大森 |
いえ、いえ。
最初は、小さい頃から聴いていた
あの先生の所に入るということで、
ある種の畏怖を持っていました。
最近はもう、先生の人柄というのを
身近に感じたり、それから、
表現されているものが、
とても自分のなかで身近なものだと。 |
大瀧 |
ええ。わかりますよ。あの人は、
距離をあまり近づけないんだよね。
だから、人が来て、去る、というような‥‥ |
竹松 |
ええ。来る者、拒まず。去る者、拒まず。 |
大瀧 |
そう、そう。それを行動によっても
示しているし、態度でも示しているから、
「は、は、はぁーっ」みたいな感じのことは
一切、ないわけですよ。 |
竹松 |
ええ。来た人はみんな welcome なので、
周りにいる人もみんな‥‥
畏怖の念はあるんだろうけども‥‥
工房で職人のように働いて、
そこで同じものを作っていく、
というようにまっすぐに行くんです。 |
大瀧 |
ですよね。あと、どこを取って、
なにを言うか、で変わってくるから。 |
糸井 |
あまりにも多面的だから。
こんなディズニーの原盤を見ちゃうと、
親善大使みたいだもの。 |
竹松 |
この頃よく、ライターの方が
「三木鶏郎さんのことを書きたいので」
と言って、ここに来ると、
「やっぱり、書けなくなっちゃいました」
と言いますね。あまりに多岐にわたっていて。
「最初は冗談音楽で切っていこうと
思ったんだけど、
やっぱり切れなくなっちゃったんです」
と言って。 |
大瀧 |
そうだね。「冗談音楽」で切ろうとすると、
失敗するんだよね。 |
竹松 |
どこを切り口にしていくか。
あまりにも入り口がたくさんありすぎて。 |
大瀧 |
糖尿病の話だけ、とかね。 |
糸井 |
糖尿病で一時代作ってるんだものねぇ。
すごいよね。 |
竹松 |
そうですね。病気なら、病気で
追っかけてこないと、
三木鶏郎というものが
見えなくなってしまうので。 |
大瀧 |
それはね、マキノ雅弘とエルビスに
共通している。プレスリーも50年の
「ハートブレイクホテル」で見るか、
「ブルーハワイ」で見るか、
ラスベガス復帰で見るかで、
まるっきり印象が違いますよ。
マキノ雅弘も、戦前のもので見るか、
「次郎長三国志」で見るか、
ヤクザ映画で見るかで、みんな違う。 |
糸井 |
そういう人は、つまり、
足跡を残しにくいとも言えるんだね。
分かりやすい足跡がないわけだから。 |
大瀧 |
多作ということは共通しているんだけどね。
数が多いんだよ。だから、ゼロの人が、
どれから行っていいのか分からない。
入り口が見えない。 |
糸井 |
そのとおりだね。
夭折した人というのが
年表の中にくっきりと刻まれるのと、
逆ですよね。つまり
「1作しかなかったんだよ」というのは、
パーンと出るんだね。 |
大瀧 |
そう、そう。ジェームス・ディーンとかは
簡単だものね。 |
竹松 |
でも、やっぱり、調べてみると‥‥
さっきの「トムとジェリー」もそうですけど、
1個、1個が、すごいんですよね。
すごくたくさんあるんだけど、
1個、1個見ていくと、
やっぱり三木鶏郎の仕事ってすごい。
こんなに多岐にわたっているのに、
すごい!‥‥と。 |
大瀧 |
「仕事は忙しいやつに頼め」という
鉄則どおりで。だから、こなせるんだよ。
天才は、だから、暇にすると駄目だね。
忙しいときのほうがいい。 |
糸井 |
そうかぁー!
最高じゃない、ね。人の人生としては。 |
大瀧 |
うん、最高じゃないですか。 |
大森 |
あぁ、そうですね。
大瀧さんも、最高のような人生を‥‥ |
大瀧 |
いえ、いえ。最高と思わないとね。
やってられないからね。
「ほぼ日」も続いているね。
大したもんだね、休まないってことは。 |
糸井 |
ただ‥‥それはモンゴルの
馬の乗り方じゃないけど、
立ち乗りで行かないとケツが痛くなる、
みたいなところがあって、
「これをずっとやるんだろうか」
というのは‥‥怖いよ。 |
大瀧 |
思いながらも、やれちゃうんですよ。 |
糸井 |
モンゴルの馬の鞍は、座れないように
イガイガしているんですよね。
座っちゃうと、かえって
ケツ擦れしちゃうんで、立っている。 |
大瀧 |
ああ、なるほど。まさにその生き方は、
糸井さんの生き方そのものだね。 |
糸井 |
他人事だと思って‥‥そんなところに
持っていかないでください(笑)。 |
大瀧 |
座りそうになったら、
ビシッと叩かなければいけないね(笑)。 |
一同 |
アハハハ! |
糸井 |
「座るとケツが痛いんだよ!」って(笑)? |
糸井 |
鶏郎さんが サイパンとか
ハワイに行った理由というのは、
今の僕の境地なんですよ。 |
大森 |
ああ、なるほどね。 |
糸井 |
つまり、こっそり座りたいんですよ。
座らないとできないことが、
じつはあるんですよ。
で、そこまで全部立ってやるわけに
いかないんで、「いや、仕事するから」と、
自信を持って僕は京都に行けるんですよ。 |
大瀧 |
ふーん。 |
糸井 |
それは多分、鶏郎さんもね、
休みたかったというよりは、
「このまま立っては、まずいぞ」
というのがあったと思うなぁー。 |
大瀧 |
うん。‥‥いつですか、
サイパンに行ったのは? |
竹松 |
70年代のあたまぐらいですね。 |
糸井 |
晩年ですよね。それまでは立っていた‥‥ |
竹松 |
‥‥当時、糖尿病って、
銀行がお金を貸してくれないぐらいの
病気だったと言うんですね。
糖尿病だったらお金は貸さないし、
死の病というか、癌と同じような感じで、
糖尿病は早死にする、と。
42歳のときに糖尿病とわかって、
それでだんだんと、このまま東京にいたら‥‥
「東京の東は糖尿の糖の字」
と言うくらい‥‥
死んじゃうぞ、ということで。 |
大瀧 |
すぐ、歌を作るね! |
竹松 |
歌にはなってないんですけどね(笑)。
それで、「逃げよう!」ということになって、
仕事を減らしていって。
日本は、冬は寒いし、夏は暑いし、
とりあえず日本に近くて冬暖かい、
ということでサイパンを選んで。
サイパンでは、外国人の土地購入を
禁じていたそうですが、
何回か行っているうちに、
たまたま知り合いになった人が
ゴルフ場を持っていて、
「そこの一角に家を建てていいよ」
と言ってくれたそうで。
そこに家を建てて。 |
大瀧 |
なるほど。‥‥どこ行っても
鶏小屋を建てるね(笑)。 |
竹松 |
鶏小屋を建てますね(笑)。
それで、毎年、そこに行くようになった。
74歳の時、心筋梗塞で入院したんですが、
サイパンは夏は過ごせない場所だし、
冬も水不足とかで困ったりとか。
あとは、だんだんと時代が変わって、
そこの持ち主が変わっていったりして、
じゃ、どこかに移ろうか、ということで
最後はハワイのマウイ島に‥‥ |
大瀧 |
行ったの? |
竹松 |
‥‥いい所があるということで、
そこに行ったら気に入っちゃって、
「ここを終の棲家にすべきだ」と。 |
大瀧 |
やっぱり。 井原高忠さんもそうなんだよ。
ハワイに住んでるんだよ。
日本テレビの局長を辞めて、だよ。 |
大森 |
ええ。そうでしたね。 |
竹松 |
そうなので、計画性はありますね。 |
糸井 |
あの‥‥鶏郎さんも、心では
辞めてないんだと思うんだけど。 |
大瀧 |
辞めてないでしょう。
生涯現役ですよ、それは。 |
糸井 |
そこに、なにか、移る人の
秘密があるような気がするんですよ。
つまり、引っ込んだように見えるけど、
もっとやるために引っ込んでいる、というか。 |