震災直後は海外の救援隊と
現場に向かう日々を送った。
そして、2013年3月に
気仙沼警察署長になった。
東日本大震災が起こったとき、
千葉さんは宮城県警察の監察課にいらっしゃいました。
震災直後は仙台の警察本部で情報の集約を担当。
地震発生から4日目に、
海外からの救援隊を受け入れるため、
2002年日韓ワールドカップの会場にもなった
宮城スタジアムがある宮城県総合運動公園に派遣され、
そこで震災の被害を目の当たりにされたそうです。
「そのときは、私も駐車場を拠点としながら、
各国の救援隊の方と
現場での救出活動をしていました。
当時は、大きな体育館が遺体安置所になっていて、
そこに多くのご遺体が運ばれてきました。
たくさんの棺が整然と並んでいて‥‥
とにかく、一刻も早く、
生存者を救出してあげなければと
そのことばかりを思っていましたね」
震災直後の1カ月間は、駐車場を拠点として活動していたそうです。
千葉さんは、
海外の救援隊とともにさまざまな現場で
捜索活動にあたっていたそうです。
「宮城県の沿岸部で、甚大な被害を受けた、
閖上(ゆりあげ)という地域があるんですけど、
そこに行くまでの道の両側が瓦礫で塞がれていました。
私たちは重機などで左右によけられていた
瓦礫の中の道路を通って
ようやく閖上に行けました。
道路がない、ということは、
人が入れない。車が入れない。助けにもいけない。
道路がないと、なんにもできないんだ、
道路は通じているってことが大事なんだって、
つくづく感じました」
千葉さんは、
宮城県総合運動公園で1カ月間過ごしたあと、
監察課に戻り、生活環境課に異動、
2013年の3月に気仙沼警察署の署長に任命されました。
気仙沼警察署庁舎が浸水し、
転々とした、警察の拠点。
千葉さんが気仙沼警察署で勤務するのは、
実は2度目。
1度目は、今から30年ほど前のことで、
気仙沼港の近くに位置する南町交番で
勤務されていました。
そして、約1年前に
気仙沼警察署長として、
再びこの地に戻ってきました。
「震災直後に情報収集をしていたとき、
気仙沼も相当な被害にあっているということを知りました。
以前勤務していた交番があった街が
津波によってなにもかも流されてしまったことは、
ほんとうにショックでした。
その交番もやはり被災してしまって。
気仙沼警察署庁舎も1階部分が浸水して
機能できなくなってしまいました。
そのため、消防庁舎の一角を借りたり、
駐車場に仮の小さな庁舎を建てたり、
いろんなところを転々としたのちに、
今の場所に落ち着いています
ご覧のように、今も仮設です」
気仙沼市赤岩の高台にある、気仙沼警察署の仮設庁舎。
素朴な疑問なのですが、
庁舎が被災して、警察の機能がマヒしているときは
やはり犯罪が増えるものなのでしょうか?
「混乱に乗じて、ということですよね。
一警察官として、私も心配しました。
窃盗や強奪などが増えるんじゃないか、と。
でも、震災の年とその前年の窃盗の件数をみてみると、
震災の年のほうが件数的には減っているんですよ。
もちろん、被災地の金融機関の金庫から
現金が盗まれたとか、そういう事件が
まったくなかったわけではありません。
現場はたいへん混乱していて、
たとえば、家にあった金品がなくなっていたとして、
それがだれかに盗まれたのか、それとも
津波に流されたのかということは、わからないんです。
これは気仙沼にかぎった話ではなく、
宮城県内沿岸部はどこもそのような状態だったようです」
治安がどうこういう以前に、
大きな混乱があったのですね。
しかし震災の直後、地震や津波による被害を受けても、
略奪や騒乱が起こらなかったことが
外国のメディアなどで大きく取りあげられました。
「これもまったくなかったわけではないようですが、
日本人は非常に立派だったと、今でも思います。
当時は、ガソリンが不足していたんですね。
そういう状況ですから、列などつくらず、
我先にと供給に群がったり、
ガソリンを強奪するような事態が起きても
不思議ではないのですが、
日本人はきちんとガソリンスタンドに列をつくって、
自分の順番を守っている。
ガソリンを待ちながら
車内で一晩明かした人もいたそうです。
それは、とっても長い列になっていましたが、
それでも、順番がくるのを待っているんですね。
日本人のそういう真面目で誠実なところは、
このような非常事態でも守られるんだと、
警察官として、感銘を受けました」
毎月11日の月命日には、
行方不明者の捜索活動を。
「震災直後は、警察としてできることは
とにかく生存者の救出だと思っていました。
たしか、かなり時間が経ってからも、
石巻警察署で被災した家屋に取り残されていた
おばあちゃんとお孫さんが
発見されたということもありましたよね。
(編集注:地震発生から10日目のことでした)
今回の震災では、
とにかく宮城県警察の職員を総動員して、
現場の捜索活動をしていました」
千葉さんのお話によれば、当時は
警察本部や内陸の警察署の職員だけでなく、
警察官になろうと警察学校で学んでいる人も
現場で捜索活動をしていたんだそうです。
「まずは、生存者の救出が最優先。
そして、次にご遺体です。
ご遺体が見つかったら、収容して検視を行います。
そして、身元がわかったご遺体をご家族にお返しする。
今、気仙沼では、
死者は1041名、行方不明者は234名です。
いまだ200名以上の行方不明者がいらっしゃいますし、
身元不明者も3名いらっしゃいます」
ご遺体の身元はどのように照合されていくのですか?
「DNA鑑定とか、あとは歯ですね。
似顔絵もかなり有力な情報になります。
とはいえ、遺体の状況によっては、
なかなか似顔絵を描けないこともあります。
ご家族がDNAを登録していることが、
身元判明にはとても重要なんです」
家族のDNA登録、というのは、
行方不明者の家族が自分のDNAを登録しておく、
ということですか?
「そうです。
ご遺族のDNAも登録して、それで合わせていくと。
今は綿棒みたいなもので口の粘膜をとって、
そこからDNAを採取しています。
行方不明者のご家族は、
みなさん、DNAを登録されています。
ただ、家族全員が亡くなっている場合もありますし、
どうしても身元が判明しない
ケースもあるんですが‥‥。
いずれは、身元不明者を0名にしたいです」
気仙沼市の身元不明者を0名にしたい、と語る千葉さん。
捜索活動は、まだつづけられているのでしょうか?
「はい。
気仙沼警察署で、毎月11日の月命日に
海岸線での捜索活動を行っています。
もちろん、3年目にあたる今度の3月11日も。
いつもの月命日よりは捜索する人員を増やし、
場所も1カ所ではなく、2カ所に分けて行う予定です。
住民の方からの通報なんかも
頻繁ではないにしろ、あるんですよ。
『浜に骨が打ち上げられてます』というような感じで。
ただ、鑑定してみたところ、
動物や魚の骨だった、ということも多いのですが」
月命日の捜索は、一日中取り組むわけではなく、
午前10時~午後3時くらい、と
陽が出ている時間帯に行うように決められています。
それには、次のような千葉さんの判断がありました。
「宮城県警察内では、震災で13名が殉職していて、
そのうち2名が気仙沼警察署の職員なんです。
交通整理や避難誘導をしている間に
津波にのまれてしまったと聞いています。
私も管理者として、いくら警察官といえど、
職員を危険にさらしたくない。
夕方から夜にかけて潮がひいた場合、
より広い場所を捜索できるのですが、
夜の海岸線での捜索は危険がともないますので
捜索活動は日中に限定しています。
これは、震災のときに痛感したことなのですが、
命がけで人を守る、
人のためになることをするのも大切ですが、
自分の命を守れないと次に人の命が救えない。
そういったことを考えながら、
捜索活動をつづけています」
署長室に貼られていた、行方不明者の捜索状況のまとめ。
4つの仮設の駐在所や交番を
きちんと建設して、
治安維持の基盤をつくる。
震災後の活動として、
今後はどのようなことを予定していますか?
「現在、気仙沼では、警察署庁舎のほかにも
唐桑、大谷、鹿折駐在所の3カ所、
南町交番の1カ所が、
仮設によって運営されています。
唐桑と大谷駐在所は
26年度中に新設される予定で、
鹿折駐在所と南町交番は、
候補地を探しているところです。
これから、気仙沼の土地に
公営住宅やマンションがどんどん建っていきます。
そういう街の復興の具合をみつつ、
候補地を検討しているんですが、
私としては、それらが建つのを待たずに
仮設の駐在所や交番をきちんと新設整備したい、と
思っています」
人が住みはじめる前に交番を新設する。
それは、どうしてでしょうか?
「これは私個人の考えですが、
街ができてから
駐在所や交番をつくって
治安を守っていくのではなく、
そのような治安維持の拠点を先につくることで、
街の秩序が守られて、
地域に貢献できるんじゃないかと。
街が再生していっている今、
地域の治安をよくすることが
警察としてできる、
いちばんの復興支援なんだと思っています」
最後に、震災で大きな被害を受けたこの場所に
警察署長として勤務することになったときの
率直な気持ちを教えてください。
「すこしおかしな表現になりますが、
『ありがたい』、と。
被災地でぜひとも勤務したいと
思っていたものですから。
しかも、気仙沼という場所は
宮城県警察署本部のある仙台から
県内でいちばん遠い地域なんです。
ですから、本部に応援を要請しても、
すぐに駆けつける、というわけにはいかない。
気仙沼警察の職員は、できるだけ自分たちの力で
事件や問題を解決していかなければならないんです。
千年に一度の大震災が起こったときに、
そういう現場で警察官として働けるというのは、
もちろんたいへんな苦労があると思いましたが
反面、ひじょうにやりがいのある、
誇り高いことだと感じています」
仮庁舎があるすぐ下の土地では、
気仙沼警察署の新しい庁舎の建設が進められていました。
2014-03-11-TUE