糸井 |
「年を取る」という、
若いときだったら
受け止めきれないようなことを、
いまの吉本さんは、見事に抱えながら
歩いていらっしゃると思います。
それはすごいなと思っています。
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吉本 |
「やっぱりちょっと、
年食うって、たいへんだぜ、これは」
という感じと、
「たいへんだという感じさえなくなれば
あとは自然にまかせる以外にない」
ということがあります。
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糸井 |
できることが少なくなるということを
若いときに想像すると悔しいんですが
その悔しさは、なくなるんですか。
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吉本 |
だんだんなくなります。
なくなると、
病気だったり弱っている箇所が、
回復するようなことがあります。
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糸井 |
回復するんですか。
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吉本 |
ええ、そうなります。
ただもう、自然が年を取らせるから、
それに従っていくということを
肯定すれば、そうなります。
これはね、自分で
ずいぶん肯定しているようでも
やっぱりしてないもんなんですね。
根本的に言って、それはどうしてかというと、
要するに、死というものが、
潜在的に怖いからです。
このことはたぶん、
お年寄りは直らないと思います。
ぼくも直らない。
悟りを開くというのは
それが直ることなんでしょうから、
状況的にも瞬間的にも、
長い年月にわたる
体が老いていく不自由さということにおいても、
悟りのように肯定的になれればいいんです。
「諦め」とか「気にしない」とか
そういうこととはちがいます。
かんたんにはいかないことですが、
たぶん悟りを開くと
すっきりするんだろうと思います。
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糸井 |
それは、悟りとしか言えないものなんですね。
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吉本 |
ええ。親鸞という宗教家、
あの人はだいたい
平均寿命が38から42歳くらいという時代に、
その倍ちょっと、生きました。
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糸井 |
たしか90年以上、生きたんですよね。
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吉本 |
ええ。署名のあとに92歳と書いた
掛け軸があります。
それは嘘じゃないと思います。
どうやったらそんな期間になるのか、
ちょっと見当がつかないけども。
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糸井 |
それは、医療技術によるものでは
ないですよね。
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吉本 |
ないです。
ただ、とにかく親鸞が
すっきりしていたということは
言えると思います。
いよいよ布教というときには、
本場を離れて関東の僻地に行った。
そして、土地の人に布教したあと、
年食って布教が億劫になると、
さっさとやめて京都へ帰っちゃう。
そして、京都では布教なんかせずに隠居しちゃう。
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糸井 |
必要以上に欲をかかないというか、
自分に期待しすぎないというか。
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吉本 |
そうですね。
それは、あの人流の考え方の
悟りなんでしょうけど、
とにかくやることに
名残惜しいという感じを持たないんです。
ほんとうは持っているのかもしれないけど、
そんなそぶりはしないで、さっさとやめちゃう。
それは見事です。
親鸞が、同じ時代の人の2倍長く生きた理由は、
それ以外には考えられないです。
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糸井 |
それは真似したいですね。
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吉本 |
ええ。真似したいけど、
なかなかねぇ(笑)。
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糸井 |
昔は、年を取ったら
なにもかもが減っていくと思ってたんですが、
考えてみれば、思い出は増えるんですよね。
つまり、鍵がどんどん開いていくわけでしょう?
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吉本 |
それは、間違いなくそうです。
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糸井 |
人間の構造って、たまらないですね(笑)。
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吉本 |
ここで少しぼけると、
狭くなって楽になるのかな、と
思うんですけどねぇ。
もう、ぼくなんかは
歩く範囲も見る範囲も決まっているから、
そういう意味では狭くなります。
だけど、別の要素がどんどん増えていく。
糸井さんも、いまにそうなりますよ。
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糸井 |
すでに思い当たります。
なぜなら、昔よりも確実に
思うことが多くなっているからです。
なんだか、苦労のほうが
どんどん増えていくな、と
いまは感じているところです。
だけど、それがまるっきり嫌かというと、
そんなこともなくて、
そのことを引き受ける覚悟も
いまのぼくにはあります。
ですから、年を取ったら、逆に
長生きに興味が出てきました。
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吉本 |
それがいいと、
ほんとうだと、思います。
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糸井 |
あんまり自分の気持ちを抑えずにいれば、
多少は元気でいられるのかな、という気も
するんですけどね(笑)。
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吉本 |
そうですね。それでいて、
お金持ち、
三井住友金融会社みたいな、
そういうところの主というのは、
ゆったりしてたのしい人生を
送っているかと考えたら、
そうじゃないと思いますね。
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糸井 |
ああ、そうですね、ちがいますね。
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吉本 |
もっときついかもしれない。
わからないですけど、
人によるでしょうけど。
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糸井 |
くわしく知っちゃったぶんだけ、
きっと、きついですよね。
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吉本 |
ええ。そうだと思います。
決して、楽ということはねぇはずだよ、と
思います。
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糸井 |
ねぇですね。
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吉本 |
はい。だから、
あまりうらやましがってもしょうがない。
たまにうらやましがっているくらいで
いいんじゃないかと思います。
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糸井 |
はい。たまに、くらいで(笑)。
うらやましいことは減りますね。
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吉本 |
減りますよ。
どんどん減っていきます。
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糸井 |
あらゆるうらやましさの
向こう側にあるものは、
ろくでもないことだったり。
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吉本 |
人間って、おかしいなと思いますね。
本人も、傍からも
たのしくやってる人がいたらいいな、
いたらうかがってみたいものだねと思いますが、
少なくともそう言い切れるような人は
自分の近くにはやっぱりいない。
俺と似たりよったりだよな、と(笑)。
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糸井 |
みんな似たりよったりです。
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吉本 |
特にひどいとは思わないけど、
俺とおんなじように、
ときどき変な夢を見たり、
変な目にあったりとか、
いろいろやっているだろうなと思います。
(再来週火曜日につづきます) |