吉本隆明 「ほんとうの考え」
007 自分 (糸井重里のまえがき)

ぼくらは、主に、吉本さんの「講演」などの
「しゃべりの仕事」を中心にして、
へたなお手伝いをしているのですが、
なんどでも、ご本人はおっしゃるのであります。
「おれは、しゃべりができない」と。

だから書くことで生きてきた、というのですが、
ぼくの勝手な考えでは、
苦手なほうの「しゃべり」があったおかげで、
ぼくらにわかることがずっと多くなったんですよね。

でも、ときどき思うんですよ、ぼくなりに。
ほんとうは得意な「書くこと」のほうで、
勝負してきた吉本隆明さんに、
得意でないことばかりをやらせようとしている。
これが、ときどき、もうしわけないなぁと思うんです。

「ほぼ日」の「しゃべり」だけで吉本隆明を知っている方、
難解だと言われる「書くこと」で成り立っている本を、
ちょっと立ち読みでもなんでもしてみてください。
ああ、得意なことっていうのは、
こういうことなんだなぁ、と
感じさせられちゃうと思うんです。
糸井重里
吉本 これはしかたないって思うし、
よく説明ができないことなんですが、
子どものときからの習慣で、
訊きたいことや知りたいことがあっても、
抑えて、出していかないんです。
それが性格みたいになっちゃった。

それは子どものときからの性格でもあるし、
育ち方でもあるし、人との関係でもあります。
こういうことまで説明して
人に理解してもらうのは
億劫なことだなと思います。
だから、ぼくは昔からよく
「あいつは黙ってて、偉そうだ」
なんて言われてきました。
糸井 誰かとおしゃべりしたり、
ものを訊いたりすることは、
物怖じしないということとも
かなりイコールだと思います。
子どものときには特に、
「そんな権利はないんだ」と
思って生きてた時期が、ぼくにはあります。
「子どもは黙ってなさい」って言われたし。
吉本 ええ。それは、ぼくにもあると思います。
どう言ったらいいか、
なぜそうなのかはわかんないんだけど、
人間は怖いものなんだ、という感じ方は
子どものときからありました。
これは、貧乏性のひとつの象徴かもしれない。
糸井 貧乏性。
吉本 ええ、そうです。
ですから、ぼくは
物怖じしないってことはないです。

物怖じは物怖じで、
放っておいてくれればいいのに、
先生たちも親も意図的に
ぼくを訓練しようとしました。
ぼくの性格から言えば
無茶苦茶じゃないかというようなめに、
ずいぶん遭ってきました。
糸井 ええ、ええ。
吉本 先生は、人が集まってるところで、
突然名指しで、
「おまえ、これをどう思ってるのか」
と質問し、発表させようとしました。
そういうことで、
物怖じしないでおしゃべりする訓練を
していたつもりなんでしょうけども、
ぼくのほうは、ますます負担に感じて、
「これは訓練されてるんだ」と
よけいに自分でわかるようになってしまいました。
糸井 そのやり方では、学べなかったんですね。
だけれども、吉本さんは、
結果的には、言いたいことは言うぞ、
というふうに
自分を作りかえていかれたわけでしょう。
吉本 それは、結局、
「書く」ということがあったからです。
糸井 ああ、「書く」があったんですね。
吉本 ええ。「書く」ことをはじめて、
自分でそうなっていったんじゃないでしょうか。

しゃべることとか、返答すること、
質問すること自体を
文字に書いちゃえばいいんじゃないか。
それがぼくの、物怖じを避けられる方法でした。
だけど、相変わらず
しゃべることはあまりしない。
寮でもどこでも
「おまえ、偏屈だなぁ」って
みんなに言われてました。
何が偏屈なのか、ちっとも自分では
わかんないんだけどね。

きっと、バランスが取れてないんでしょうね。
学校時代は特に、書いたものなんて
滅多に人の目にふれないから、それはつまり
「黙ってる」ということになるんでしょう。
糸井 学生の頃なんて、特に、
「オレは歌はうたわないよ」
「スポーツしないよ」
というだけでも、変わり者になっちゃいますね。
吉本 そうなんでしょうね。
ぼくは、学生時代、山形にいました。
そのとき、最上川の上流で
米沢織の職人さんが
よく布を洗ってたんです。

川の浅いところに入って、
布を揉むようにしながら水に流してました。
いつでも見かける風景でした。
いまでも、思い浮かべます。

ああいうふうな職業なら、
何もしゃべらなくても、
おかしくないんじゃないかな、と思って。
糸井 そうか、そうか。それでいいんだ。
吉本 そうとう長い時間、
黙って、川の水に布をさらしていました。
ぼくは、川のほとりでそれをよく見てました。

しゃべることが職業だ、ということは、
糸井さんもそれに入るわけだろうけど、
ちょっと驚異的ですね。
すごいなぁと思います。
糸井 うーん‥‥。
吉本 できるだけ黙って、
聞いたり見たり観察することが
自分では自然だと思ってるから、
それは驚異なんです。
糸井 ぼくも、自分では
放っときゃ黙ってたと思います。
しょうがなくしゃべってたんでしょうね。
なぜなら、みんなが黙ってると困るから。
吉本 うん、うん。
糸井 ですから、おそらく
自分の言葉のはじまりは
「しょうがなく」だったと思います。
吉本 よくわかります。
糸井 吉本さんがペンを持ったときの役割と、
たぶん根は一緒です。
ペンを持つかわりに、ぼくはその場で
窓を開けて風を入れる役割をするために
口を開いたんじゃないかなと思います。
どっちにしても、根は悲しいものなんですが。
吉本 悲しいもんですよね。
いや、ほんとうに思うんですが、
自分がしゃべっても、鼻歌をうたっても、
やっぱり、なんとなく、悲しいです。
悲しみじゃないことは、
なんでもないことと同じだって、
そういう感じもします。
糸井 そうですね。
笑いにしても、根っこにあるのはきっと、
吹き飛ばしたかった悲しみだという気がします。
吉本 だから、極端に言うと、
喜劇的なことやたのしいことは、
必ず、悲しいものなんだと思うし、
悲しいものがどこかになければ、
それはそういうふうにはならないはずです。

なんだって、全体の雰囲気を言えば、
それは悲しいことだよと
要約されてしまいます。
だから、社会というのは、
漠然とした悲しみみたいなものが
満ち満ちてるところなんです。
それをなんか、
ちょっと変えたいな、と思うときに
言葉が発せられるんであって。
糸井 それで、吉本さんは詩を書いたんですね。
吉本 そうなんですよ。
ぼくなんかは、
それが自分の詩を書きはじめる
もとだったと思っています。

(不定期連載で、つづきます)



吉本隆明さんは
第19回宮沢賢治賞を受賞されました。
本日2009年9月22日、
宮沢賢治賞の主催である
岩手県花巻市にて、授賞式が行われています。
おめでとうございます。

《第19回 宮沢賢治賞》
 宮沢賢治の考えと所業を「わたしの思想にとっても永続的な課題のひとつ」ととらえ、永年にわたり賢治研究、評論活動を続ける。戦後最大の思想家とよばれる知的活動は、時代と社会と人々に多くの影響を与えている。『吉本隆明 五十度の講演』(2008年)刊行を機に、その業績に対して。
吉 本 隆 明 氏

2009-09-22-TUE

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