吉本 |
これはしかたないって思うし、
よく説明ができないことなんですが、
子どものときからの習慣で、
訊きたいことや知りたいことがあっても、
抑えて、出していかないんです。
それが性格みたいになっちゃった。
それは子どものときからの性格でもあるし、
育ち方でもあるし、人との関係でもあります。
こういうことまで説明して
人に理解してもらうのは
億劫なことだなと思います。
だから、ぼくは昔からよく
「あいつは黙ってて、偉そうだ」
なんて言われてきました。
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糸井 |
誰かとおしゃべりしたり、
ものを訊いたりすることは、
物怖じしないということとも
かなりイコールだと思います。
子どものときには特に、
「そんな権利はないんだ」と
思って生きてた時期が、ぼくにはあります。
「子どもは黙ってなさい」って言われたし。
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吉本 |
ええ。それは、ぼくにもあると思います。
どう言ったらいいか、
なぜそうなのかはわかんないんだけど、
人間は怖いものなんだ、という感じ方は
子どものときからありました。
これは、貧乏性のひとつの象徴かもしれない。
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糸井 |
貧乏性。
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吉本 |
ええ、そうです。
ですから、ぼくは
物怖じしないってことはないです。
物怖じは物怖じで、
放っておいてくれればいいのに、
先生たちも親も意図的に
ぼくを訓練しようとしました。
ぼくの性格から言えば
無茶苦茶じゃないかというようなめに、
ずいぶん遭ってきました。
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糸井 |
ええ、ええ。
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吉本 |
先生は、人が集まってるところで、
突然名指しで、
「おまえ、これをどう思ってるのか」
と質問し、発表させようとしました。
そういうことで、
物怖じしないでおしゃべりする訓練を
していたつもりなんでしょうけども、
ぼくのほうは、ますます負担に感じて、
「これは訓練されてるんだ」と
よけいに自分でわかるようになってしまいました。
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糸井 |
そのやり方では、学べなかったんですね。
だけれども、吉本さんは、
結果的には、言いたいことは言うぞ、
というふうに
自分を作りかえていかれたわけでしょう。
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吉本 |
それは、結局、
「書く」ということがあったからです。
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糸井 |
ああ、「書く」があったんですね。
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吉本 |
ええ。「書く」ことをはじめて、
自分でそうなっていったんじゃないでしょうか。
しゃべることとか、返答すること、
質問すること自体を
文字に書いちゃえばいいんじゃないか。
それがぼくの、物怖じを避けられる方法でした。
だけど、相変わらず
しゃべることはあまりしない。
寮でもどこでも
「おまえ、偏屈だなぁ」って
みんなに言われてました。
何が偏屈なのか、ちっとも自分では
わかんないんだけどね。
きっと、バランスが取れてないんでしょうね。
学校時代は特に、書いたものなんて
滅多に人の目にふれないから、それはつまり
「黙ってる」ということになるんでしょう。
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糸井 |
学生の頃なんて、特に、
「オレは歌はうたわないよ」
「スポーツしないよ」
というだけでも、変わり者になっちゃいますね。
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吉本 |
そうなんでしょうね。
ぼくは、学生時代、山形にいました。
そのとき、最上川の上流で
米沢織の職人さんが
よく布を洗ってたんです。
川の浅いところに入って、
布を揉むようにしながら水に流してました。
いつでも見かける風景でした。
いまでも、思い浮かべます。
ああいうふうな職業なら、
何もしゃべらなくても、
おかしくないんじゃないかな、と思って。
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糸井 |
そうか、そうか。それでいいんだ。
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吉本 |
そうとう長い時間、
黙って、川の水に布をさらしていました。
ぼくは、川のほとりでそれをよく見てました。
しゃべることが職業だ、ということは、
糸井さんもそれに入るわけだろうけど、
ちょっと驚異的ですね。
すごいなぁと思います。
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糸井 |
うーん‥‥。
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吉本 |
できるだけ黙って、
聞いたり見たり観察することが
自分では自然だと思ってるから、
それは驚異なんです。
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糸井 |
ぼくも、自分では
放っときゃ黙ってたと思います。
しょうがなくしゃべってたんでしょうね。
なぜなら、みんなが黙ってると困るから。
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吉本 |
うん、うん。
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糸井 |
ですから、おそらく
自分の言葉のはじまりは
「しょうがなく」だったと思います。
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吉本 |
よくわかります。
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糸井 |
吉本さんがペンを持ったときの役割と、
たぶん根は一緒です。
ペンを持つかわりに、ぼくはその場で
窓を開けて風を入れる役割をするために
口を開いたんじゃないかなと思います。
どっちにしても、根は悲しいものなんですが。
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吉本 |
悲しいもんですよね。
いや、ほんとうに思うんですが、
自分がしゃべっても、鼻歌をうたっても、
やっぱり、なんとなく、悲しいです。
悲しみじゃないことは、
なんでもないことと同じだって、
そういう感じもします。
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糸井 |
そうですね。
笑いにしても、根っこにあるのはきっと、
吹き飛ばしたかった悲しみだという気がします。
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吉本 |
だから、極端に言うと、
喜劇的なことやたのしいことは、
必ず、悲しいものなんだと思うし、
悲しいものがどこかになければ、
それはそういうふうにはならないはずです。
なんだって、全体の雰囲気を言えば、
それは悲しいことだよと
要約されてしまいます。
だから、社会というのは、
漠然とした悲しみみたいなものが
満ち満ちてるところなんです。
それをなんか、
ちょっと変えたいな、と思うときに
言葉が発せられるんであって。
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糸井 |
それで、吉本さんは詩を書いたんですね。
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吉本 |
そうなんですよ。
ぼくなんかは、
それが自分の詩を書きはじめる
もとだったと思っています。
(不定期連載で、つづきます) |