吉本 |
戦争では、いやな思いもしたし、
奇妙な思いもしました。
動員先から汽車で帰ってくるとき、
ぼくらのほかに兵隊さんたちも乗ってきました。
きっと軍隊の蔵に残っていたものを
山分して持ってきていたのでしょう、
兵隊さんはみんな、大きな荷物を持っていました。
列車の中の通路も通れないほどでした。
ぼくら学生は身軽なもんだから、
なんだ、こんちきしょう、
こんなのが兵隊のざまか、と、
心の中で思いました。
自分たちは戦闘に参加したわけでもないのに、
内心では「なんだこいつら」と軽蔑したんです。
向こうは向こうで
ただ動員学生だってだけじゃないか、
学生がぐうたらだったから戦争に負けたんだ、
と思ってたでしょうね。
兵隊さんが列車の通路で大きな荷物を持って、
どうってことない顔して帰ってくるのが
おもしろくねぇなぁ、なんて思いながら
自分たち学生も帰っていく。
それは、なんとも言えない感じですよ。
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糸井 |
吉本さんが学生時代に持っていたのは、
とても純粋な気持ちですよね。
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吉本 |
ええ、純粋だけは、まちがいなく純粋でした。
戦争が終わったときだって、
「なんだ、勝手に降参して。
俺が降参したわけじゃねぇぞ」
と、思っていました。
もしも「もう一回やるぞ」という
反乱軍ができたら、
そこへ行って俺は死ぬと思っていました。
生きてたってしょうがない、
そのくらい大真面目でした。
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糸井 |
はい。
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吉本 |
だけど、だんだん事実が経過していくうちに、
平静さが出てきました。
平静さというか、生きるずるさというのか、
そういうことを覚えていきました。
だいだい反乱する軍隊なんてもの、
ほんとうはいないわけですよ。
鉄砲ひとつ撃たないうちに
大臣みたいな人が2人か3人死んで、
戒厳司令官というのが、
ものすごく滑稽なことを言うんです。
「おまえたちは陛下の軍隊に背いて、
反乱しようとしてる。
父母が聞いたら泣くぞ」
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糸井 |
ああ。
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吉本 |
それがいかにも日本的でね。
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糸井 |
そういう言い方は、のちに
全共闘のときにもありました。
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吉本 |
ええ、おんなじですね。
日本人というのは、そういうときに、
「父母はおまえたちの振る舞いを泣いとるぞ」
みたいな布告をやるわけですよ。
へぇえ、これが日本人なんだなぁって、
ぼくは思いました。
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糸井 |
そうかぁ。
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吉本 |
いくら身を投じて反乱したって、
自分自身があてになんねぇよ、ということも、
だんだんわかっていくんです。
それは、自分でもいやな感じでした。
気持ちの行き場を失って、
ほんとうに俺なんか、何にもできなかったです。
そうしたら、軍も、
「おまえたちの父母は泣いとるぞ」
なんていう馬鹿馬鹿しいことを言う。
公のことに、
父母が泣くもへちまもねぇじゃねぇか。
これで戦争しようなんていうのは、
大間違いだったんだ。
まるで「なんじゃ」という感じです。
これがいちばん心に残っていることです。
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糸井 |
その、いちばんまちがっている、
いちばんしょうもない言葉が、
ある意味では
何かを変えたんですね。
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吉本 |
そうなんでしょうね。
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糸井 |
「父母が泣いてるぞ」か‥‥。
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吉本 |
ヘンなもんですね。
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糸井 |
終戦の、8月15日の放送にしても
みんなの印象に残ってるのは、
「たえがたきをたえ、しのびがたきをしのび」
という言葉だと思うんですが。
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吉本 |
そうそう。
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糸井 |
つまり、心情の吐露のところが、
ぼくらにはいちばん響いています。
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吉本 |
そこですね。
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糸井 |
「気持ちはこうである」というところで、
天皇も兵隊も民衆も
みんなが重なったわけですね。
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吉本 |
だから、日本人って、
奥底まで考えると、
まぁ、わかんないですよ。
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糸井 |
わかんない。
「歌」と言ったらいいのか、それは‥‥
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吉本 |
だから、負けそうだったら降伏すればいいんだ、
さっさと家に帰ってくればいいんだ、
そういうふうにはならないです。
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糸井 |
すべてがそういう感性で。
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吉本 |
時代によって、
右翼もいるし、左翼もいるわけですけど、
みんなそこですよ。
これをまだ、日本固有のいい感性と
言う人もいるかもしれないです。
ダメだなって思う人もいるかもしれないけど、
それは、なかなかそうは思えないわけで。
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糸井 |
きっと両方、ありますよね。
一本足じゃ立てないです。
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吉本 |
ぼくにも無理ですよ。
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糸井 |
うーん‥‥
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吉本 |
これまで、何かあるごとに、
日本式の情感の現れ方を
つぶさに感じました。
60年安保で、品川駅で
線路の上で座り込みしてたときもそうです。
学生さんたちと一緒にやるなら、
俺もどこまでもやって、
それでいいや、と思ってました。
そこでいちばん心に残ってて、
いまでもものを反省する
材料にしている出来事があります。
どこからどう、誰が歌いだしたのか、
ぜんぜんわかんないんですけど、
座り込みの連中が、
「夕焼け小焼けの、赤とんぼ」
って、歌を唄い出したんです。
そしたら、それが合唱になっちゃった。
歌は歌でも「インターナショナル」なんて、
出てこないですから。
赤とんぼ、あの歌が、
大合唱になっちゃったんですよ。
自分も「おや?」と思いながら、
歌ってました。
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糸井 |
ああ、そうなんですね。
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吉本 |
きっと指導者ってものは、こういうときに
「インターナショナル」とか、
そういうものを唄ってもらいたいでしょう。
そういうもんかな、と思ったら、
そうじゃない。
そういうときは「赤とんぼ」なんですよ。
やっぱり、おんなじじゃないでしょうか。
お前たち、お父さんお母さんは、泣いとるぞ、
ということとおんなじです。
その「赤とんぼ」を唄っているとき、
ああ、やっぱり俺も、
こういう人なんだ、
これ以上のものではないんだ、
ということを、ほんとうに自覚しました。
それは、いまでも、何と言われても、
弁解なしです。
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糸井 |
「何を言うか」じゃなくて、
心を動かすものがある。
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吉本 |
そうなんですよ。
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糸井 |
父母の話と同じく、
結局は感情がうねって動かすものに
持っていかれるんです。
そしたら、理屈ってなんだろう(笑)。
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吉本 |
それで、たしかに負けたんですね。
そのことは、いまもそうで、
アメリカだって中国だって、
みんなとっくにお見通しなんですよ。
(日曜日に、つづきます) |