矢吹申彦さん、仲畑貴志さん、浅葉克己さんに訊く 土屋耕一さん の 食・顔・文字。
 
浅葉克己さんに訊く、土屋耕一さんの「文字」  後編 ふうせんのような人。
── 土屋さんは、広告を考える人としては
どのような人だったと思われますか?
浅葉 やっぱり、時代を読んでいた人だね。

「今は、これがおもしろいんだ」って
いつも、おっしゃっていたから。
── なるほど。
浅葉 なにか「深いところが、新しい」
みたいなことを
ずっと考えてた人だと思います。
── 浅葉さんが、土屋さんの回文「快晴盛夏」を
ご自分の展覧会のタイトルにしたのは‥‥。
浅葉 和田(誠)さんが装丁した土屋さんの回文の本を
持ってたんですよ。

で、何かいいのないかなあと思って
めくってたら、
あ、この作品いいじゃないと思って、
土屋さんに電話して
「快晴盛夏、使っていいですか?」と聞いて。
── ええ、ええ。
浅葉 そしたら、「いいよ」って言ってくれたの。
その展覧会‥‥何年だっけ。
── 2009年とあります。
浅葉 土屋さんが亡くなったのも、2009年かな。
── たしかそうです。
浅葉 ‥‥亡くなるちょっと前だったんだね。
── これまで、矢吹申彦さんや仲畑貴志さんから
「土屋耕一像」をうかがってきたんですが
やはり、共通していたのは
「おしゃれで品の良い人」という印象でした。
浅葉 うん、そうだろうね。
── そこでおうかがいしたいのですが、
土屋さんって、女性にはモテたんでしょうか。
浅葉 モテましたよ。うん、モテたと思います。

もちろん、浮気するようなタイプじゃあ
なかったですけどね。
── 写真とか拝見しても、カッコいいですものね。
浅葉 だって、ライトでも映画俳優みたいにしてさ、
机に足を投げ出してるんだよ、革靴のまんま。

そういうカッコよさ、あったよね。
── へぇー‥‥。
浅葉 俺なんかとは、ちょっとちがうよね。
── いや、でも、お若いころの浅葉さんも
すごくカッコよくてらっしゃいましたよね。
浅葉 んー、まあ俺は、どっちかっていうと
土屋さん風というより、
もっと、品が良くないタイプというか‥‥。
── ‥‥と、おっしゃいますと?
浅葉 まあ、その、ねえ。若いころは‥‥さ。
── あ、失礼しました(笑)。
浅葉 でもね、そもそもさ、
当時のライトってモテる人ばっかりだったよ。

なにしろ、
村越(襄:アートディレクター)さんが
まずモテるでしょ?
早崎(治)さんていうカメラマンが、
またモテるでしょ?

で、土屋耕一さんがモテるわけですから。
── 土屋さんのファッションについては
これまで
いろいろおうかがいしていまして、
いつもスーツなイメージで、
カジュアルなときでもジャケット姿で‥‥と
そういう人物像が浮かびます。
浅葉 うん、いつもパリっとしてた。
── その点、浅葉さんは、どのような格好を‥‥。
浅葉 ヒッピーでした。
── ジーパンに長髪、というような?
浅葉 当時、アメリカに行って帰ってきた奴らは
みんな、そういう格好してたよ。

俺は「ピンクのキリスト」って言われてた。
── ピンクのキリスト。‥‥とおっしゃいますと?
浅葉 怪しくていいでしょ?
── どのような意味なのか、参考までに
おうかがいしてもよろしいでしょうか?
浅葉 キリストってのは「長髪」だからだけど
「ピンク」というのは、
「モテ」ばっかり考えてるだろうという。
── つまり、比喩的な意味での「ピンク」と。
浅葉 それ、京都の芸者さんに言われたんだよ。
いまでも、強烈に残ってるなあ。
── まるで、キャッチコピーかのようですね。
浅葉 その芸者さんも、センスあったよなあ。
── 本日のパーカーも、ものすごい金色です。
浅葉 うん、これ、三宅一生さんのところので
これから売り出すパーカーなんだ。
── あ、そうなんですか!
浅葉 これをデザインした人が
「こんなキンキラキンなもんつくって、
 誰が着るんだ!」
と怒られたらしいんだよね。

そしたら「浅葉さんが着ます」と。
── で、実際、着られて。
浅葉 このまえ、このパーカー着て中国に行ったら
みんな、拝んでました。
── はー‥‥。

ちなみに、浅葉さんと土屋さんと糸井さんが
3人でいる場面というのは、あったんですか。
浅葉 んーーー、ないんじゃないかなあ。

ちょっと世代がちがうしさ、
ライト(パブリシテイ)を出ちゃってからは、
土屋さんは「伊勢丹」だし、
われわれは「西武百貨店」だったからね、
いちおう競合というかな。
── ようするに、ライバル的な。
浅葉 年間キャンペーンでやってましたから。
向こうはどう出るか、みたいなことで。
── 10年以上、東レでごいっしょだったのに
今度は別々のチームになられた。
浅葉 でも、『流行通信』なんかで
俳句をお願いしたりとかしてましたしね。
── 交流は続いてらっしゃったんですね。
浅葉 うん‥‥でも、糸井さんや仲畑貴志くん、
南伸坊なんかとは
いっしょに中国に行ったりしたんだけど。

「ピンポン外交」でね。
── ピンポン外交‥‥というのは
浅葉さんが
「人生よりキャリアが長い」とおっしゃる
卓球の試合で、
中国遠征に行かれている件ですね。
浅葉 来年で40周年になるんだけど
「東京キングコング」という卓球チームで、
毎週土曜日に練習しているの。

それが、中国で試合をするっていうので
18日間、いっしょに行ったんですよ。
── 18日間‥‥そんなに。
浅葉 それがもう、そういうメンバーだから
言わずもがなの珍道中で、
いっとき東京が静かになったっていう。
── あははは(笑)、なるほど。
浅葉 結果としては、
4勝1敗で勝ち越してきたんだけど‥‥。
── 圧勝ですね。
浅葉 そういう場面には、土屋さんはいなかった。
── ああ‥‥。
浅葉 そういうおかしな場所には「いない」のが、
土屋耕一らしいというか。
── それでは最後に、
あらためて、土屋さんがどのような人だったか、
教えていただけますでしょうか。
浅葉 そうですね‥‥。

なんとなく、こう、まんまるでさ、
地面に足がついてないような気がするんだ。
── そういう印象ですか。
浅葉 宙にふわっと浮いてるような、
ふうせんみたいな存在‥‥というかな。
── それは、土屋さんの醸し出す雰囲気が。
浅葉 うん、その雰囲気は、だから、
文字やコピーにも、にじみ出ていましたよ。

ふわっと軽く、やわらかく‥‥という感じ。
── なるほど。
浅葉 どこか、ふうせんのような人だったと思う。
<おわります>
 
2013-05-30-THU
 
 
 
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN