みんなでやってみよう。  土屋耕一ゼミ  「ことばの遊び」夏期集中投稿講座
 
  第2回  

わかりやすい募集でありませんでしたし、
大喜利のように、なにしろ笑わせればいい、
というようなものでもありませんでしたから、
それほど届かないのではないかと思っていたのですが、
いや、たくさん、いただきました、
「ニセ夏休みの日記」。
みなさん、どうもありがとうございました。

あらためて、ご紹介いたしますと、
第一回目の募集内容は、
「ニセ夏休みの日記の文章。
 どんな日の日記としても
 絶妙に当てはまるようなアイマイな文面」
というものでした。

いかにそれっぽく、しかもアイマイに書くか
というのが遊びのポイントでした。
純粋におもしろいホラ話のようなものとか、
いかにも小学生らしい文面の日記も
たくさん届いたのですが、
今回は、土屋耕一さんの「ニセ旅人」にならって、
「どうとでもとれるアイマイな日記」という面から
いくつか選んで掲載いたします。

そのあとは、
次回の投稿のテーマも発表していますから、
最後まで読んでくださいね。

それでは、のんびり紹介していきましょう。
「ニセ夏休みの日記」です。
いま、慌てて、夏休みの日記を
まとめて仕上げている小学生諸君は参考にしてね。

 

今日は自転車で遠くに行きました。
本当は海を見たかったけど、
水とうの水がなくなったので、
途中の公園で休んで帰って来ました。
川がきれいだった。
(双極熊)
いいですね。
「自転車で遠くに行きました」。
距離感がまったくつかめません。
近いようでも、遠いようでもある。
どこに行ったかわからないということは、
どこに行ったとしても成り立つということです。
海、水筒、川、と散りばめられた「水」も効果的。
朝起きて、
「今日はいいことがある気がする」と思いました。
きっといい夢を見たせいだと思います。
内容は覚えてないけれど、いい夢だった気がします。
そして本当に、わたしにとっては、
いいことばかりの日でした。
どれも大事な思い出になりました。
夏休みが終わるまで、
こんな日がたくさんあるといいなと思いました。
(手風琴)
ああ、これまた見事になにも言ってません。
具体的な事実は皆無です。
しかし、それでいて、現状を大いに肯定している。
そう、土屋さんの「ニセ旅人からの絵ハガキ」にしろ、
「ニセ夏休みの日記」にしろ、
ただ、曖昧なだけではなく、読み手を気分よくさせる、
という根本的な姿勢が必要ですね。
今日も夏休みです。
お父さんがいつもうらやましいと行ってお仕事に行きます。
たいてい酔っ払って帰ってきます。
お父さんは夜が夏休みです。
(手乗りマンモス)
冒頭の「今日も夏休みです」は、
夏休みの日記のフレーズとしてあまりにも万能。
当たり前といえば当たり前なのですが、
永遠に続くかと思える夏休みの気だるさが
ことばの裏側にうっすらと
漂っているのがいいですね。
ただ、最後の一行は完全に大人のことばです。
今日は宿題をがんばろうと思ったけど、
友達が来たので遊んでしまった。
明日は宿題をやるぞと思いました。
(ビルビイ)
宿題をやってないけど
宿題をやる気はあるんだよ、という言い訳に終始し、
けっきょくなにも言ってない日記。
毎日この文面でも成立しなくはない。
今日は図書館に行きました。
私のように宿題を片付けるためか、
同じ位の学年の子が何人かいました。
外よりも涼しくて過ごしやすかったです。
今度は目当ての本が借りられるといいなあ、と思いました。
(折りたたみ日傘)
図書館は外よりも涼しくて過ごしやすい。
当たり前のことも落ち着いてきちんと書くと、
「当たり前だろ」とは思われないものですね。
あと、ペンネームもよいですね。
ラジオ体操から帰って、
アサガオの観察日記を書きました。
大きな変化はないけど、
毎日少しずつ成長してるんだなぁと思いました。
(博多撫子)
アサガオもキミも、
大きな変化はないけど
毎日少しずつ成長しているんだなぁ。
朝起きて温度計をみたら、びっくりする気温でした。
ことしの夏はすごいです。
きょうはドリルをがんばりました。
苦手なところもやりました。
冷たいスイカが美味しかったです。
(けい)
全体にアイマイでありながら、
感情の動きが表現されているのがいいですね。
おばあちゃんの家に来た。
うちに比べると涼しいけど、夏だからやっぱり暑い。
畑には色鮮やかな夏野菜がたくさんなってて
その野菜でおばあちゃんが料理をつくってくれた。
あんまり食べた事がない、珍しい料理がならんで
いつもと違って楽しかった。
(凡慕盆)
「うちに比べると涼しいけど、
 夏だからやっぱり暑い」。
ものの見事になんにも言ってません。
「あんまり食べた事がない
 珍しい料理がならんで
 いつもと違って楽しかった」も、
同じことを3回言ってるようなものですが、
読んでるとなぜかリアリティがある。
今日もセミがうるさいです。
宿題を少ししました。
そしていっぱい遊びました。
あとはぐっすり寝るだけです。
ぐっすり寝て、明日もいっぱい遊びたいです。
(サルサ)
「少し」「いっぱい」「ぐっすり」といった
たたみかけるようなボリュームの形容が
なぜか全体の輪郭をぼんやりさせていきます。
それでいて、ぞんざいに殴り書いている感じが
なんとも「夏休みの日記」っぽい。
今日は遠くのプールに行きました。
学校のプールとはちょっと違う感じでした。
天気と気温はちょうど良かったです。
楽しかったです。
(こげつ)
遠くのプールは学校のプールとはちょっと違う。
「ちょっと違う」は森羅万象に有効なフレーズ。
だって、まったく同じものなんて
この世にないからね。
今日は待ちに待った日だったので、
早起きででかけました。
太陽がギラギラしてまぶしかったです。
(だい)
「待ちに待った日」という表現が
読み手をグッと引き込みますが、
それっきりその日のことには触れられず、
すべてを太陽のせいにして放り出す。
今日は、いつもより暑いので
絶対にアイスを食べようときめました。
それなら、スイカも食べたいな。
とか、色々と考えた一日でした。
(圭草)
食べたとも食べてないとも言ってない。
「とか、色々と考えた一日でした」は
締めに困ったときたいへん重宝しそうなフレーズ。
夏休みなんてもうあきてきた。
道に落ちてるセミを踏みそうになって、
あわててよけた。
早く学校に行きたい。
(福太朗)
夏休み後半なら、どの日にでもつかえそう。
ここで宿題の話を持ち出すと
「わざとらしい日記」になってしまいます。
プールに行った帰りに公園で
セミの抜け殻を見つけました。
観察してから草の中においてきました。
(ひっか)
前半2行はわりとありふれていて、
「日記帳の行を埋めた」という感じなのですが、
「観察してから草の中においた」という
抜け殻の処理がたいへんリアルです。
先生も、これが大人の書いたウソだとは思うまい。
ミンミン蝉が鳴いていてそれがどこだかわからない。
こっちかな? と思って行ってみると抜け殻があった。
抜け殻のそばには短い夏を終えた蝉の死骸もあり、
よく見ると蟻さんがせっせと死骸を運んでいた。
この暑いのにご苦労なことだと見ていたら、上の方から
ジジッと音がして蝉が去っていった。
(シイタダカナ)
日本全国津々浦々、昭和の昔からいまに至るまで、
セミとぼくらの関係ってだいたいこんな感じだよね。
今日、庭であさがおがさきました。
とてもきれいな色でさきました。
同じ色の、かき氷がたべたくなりました。
(とまと)
アサガオが咲くのとかき氷が食べたくなるのは
夏のどの日においても当てはまる。
きょうは親せきとたくさんのことをして遊びました。
きょねんの夏とおなじくらい楽しかったです。
さいごはみんな汗だくでした。
(剃刀の柄)
おお、アイマイ。遊んだ内容も人数もアイマイ。
そして、さいごはみんな汗だく。
カルピスを自分でつくって飲みました。
ちょっと濃い目につくったので、
おいしくってごくごく飲みました。
くるくるっと回すと、
カランカラーンと氷のいい音がしました。
(頬白)
効果的な擬音のつかい方が、
先生に好まれそうです。
今日うちにお中元が来ました。
サラダ油でした。
カルピスがよかったです。
(しずく)
あるある、お中元。
くるくる、サラダ油。
フルーツカルピスを送ってくる
気の利いた関係者はいないものか。
妹と母が昼寝をしている。
僕はこのすきをついて、
濃いめのカルピスをつくることに成功したのである。
(ひまわりばたけ)
もいっちょ、カルピス。
どうも大人の考える子どもの夏休みには
カルピスがうれしいものの象徴としてあるが、
いまどきの子どもにとってはそうでもないかもよ?
ゆうれいがでた!
ともだちとはしって逃げました。
サンダルをなくして、お母さんにおこられました。
明日さがしにいきます。
(花太)
おお、なんと断片的な!
しかし、読み手が勝手に場面を補足して
脳内で日記を仕上げてしまうのがポイント。
今日、道の上に死にかけたセミが
落ちているのを見つけました。
ああ、今日で終わりの命があるんだ、と思いました。
なぜだか、むしょうに学校に行きたくなりました。
(BAKA凡)
いい詩情です。
子どもの日記って、
こういうエッセンスが紛れ込みますよね。
そしてそれはそのまま大人になっても
残っていたりする。
今日は公園にいきました。
いつも誰かいるのに、今日は誰もいなかった。
砂場に落ちた影の色が黒かったです。
(めぐ)
そう、夏休みにそういう瞬間、あるよね。
ふとした一瞬を見事に切り取ったようだが、
じつはウソである。
ひるねをしたらおもしろいゆめを見ました。
よるに見るゆめはだいたいおもしろくないです。
どんなゆめかはおぼえてないけど。
夢の話ですから、
どう書いてもアイマイになりますが、
夢の話としてはそのアイマイさがリアリティ。
「おぼえてない」が現実的とはこれいかに。
今日空を見上げていたら、
とても面白い形の雲がありました。
すぐに、変わってしまったけれど、
この雲に気がついた人は、どのくらいいるんだろう。
明日も、空を見てみようと思います。
(久)
夢と雲は似ている。
どちらも自由でどうあってもかまわない。
つまり、日記に困ったら夢か雲の話を書けばいい。
今日の夕方、すずしい風が吹いていました。
空を見たら飛行機が小さく飛んでいました。
暗くない空に月がはっきりと出ていました。
月の前を飛行機が通って行きました。
ずいぶん離れているなぁ、と思いました。
(たかたか某)
こちらはおもに空について。
平安の人なら、一句詠んだのかもしれない。
今年は、今までで一番暑い夏だ。
と言ったあと、
去年も同じように言ったことを思い出しました。
「人間は忘れる生き物です。」
国語の先生の言葉は本当でした。
(綿毛のきもち)
足かけ2年分のことを書き表しながらも、
その日のことはまったく言ってない。
どこかに格言めいたものが出てくると
それだけでよい日記のように思えますね。
そんなふうだから、だめなのよとおかあさんが言うから、
もう一度自然の中でじっと耳をすませていました。
(ひと滴)
おい、なにがあった。
今日は朝からフラフラしていて、
たぶんこの学年で一番フラフラしていた。
しばらくは裏の物置で何かないか探していたけど、何もなくて
お母さんにナイショでこっそり空き地に自転車で行きました。
そしたら、空き地におおきな猫か犬みたいな動物がいて、
よく見たらネズミみたいだった。
かまれそうになったのでウワーって言って
石を投げたらすばやく逃げたみたいでした。
僕もすごいスピードで逃げました。
クマから逃げるときは目を見てじりじり下がれって
テレビで言ってたけど、ダダダダダッて逃げました。
それぐらいこわかったし、先生もきっとこわいと思います。
大丈夫?
昨日の夜、明日は一日を有意義に過ごそうと
気合いを入れてベッドに入ったのに、
結局なにもしないで一日が終わってしまいました。
明日こそは一日を有意義に過ごしたいです。
(渡)
そのようにして、夏休みは過ぎていく。

以上、「ニセ夏休みの日記」でした。
みなさま、ご投稿ありがとうございました。
じゃ、つぎのテーマを発表しましょう。

  募集  

それでは、テキスト、
『土屋耕一のことばの遊び場。』の
『回文の愉しみ』のほうを出してください。
そう、和田誠さんが編集されたほうです。
その217ページを開くと、
「舌の体操」という章がありますね。
これをつかってみんなで遊んでみましょう。

土屋耕一さんは、この章で、
「早く滑らかにしゃべることが
 不可能なように仕組まれている言葉」
について語っています。

例として挙げられているのは、
「癖湿地(ひしつち)」
「尿流量(にょうりゅうりょう)」
「主治医は手術中(しゅじいはしゅじゅつちゅう)」
といった言葉。

ま、一般的にそれは「早口言葉」と
呼ばれているのかもしれませんが、
土屋さんはそれを「早口言葉」と呼ぶと
「早口でしゃべる競争のよう」だとして、
早口言葉というよりも
「舌の体操」くらいの表現が
いいのではないか、とおっしゃってます。

たしかに、そういう
「滑らかにしゃべりづらい言葉」を
わざわざつくる遊びは、
早口でしゃべれるかどうかやってみる、
ということとは、ちょっと違いますもんね。

そういうわけで、募集するのは、
「こりゃあ、いいづらいなぁ」という言葉です。
といっても、早口言葉のように、
「意味は通らなくてもいいから
 とにかく言いづらいもの」じゃないほういい。

「カエルぴょこぴょこみぴょこぴょこ
 合わせてぴょこぴょこむぴょこぴょこ」は
たしかに言いづらいけど、
そんな言葉を実際に言ったりしないでしょう?

たとえば土屋耕一さんは
「主力出力の小出力化
(しゅりょくしゅつりょくの
 しょうしゅつりょくか)」という言葉を、
「新聞の経済欄に出てきたっておかしくない言葉」
というふうに表現されています。
そう、実際に使ったり
言ったりするかもしれないからこそ、
「舌の体操」であるわけですね。

そこで、今回の課題は、
このようにしてみたいと思います。

「ドラマの台本に書かれていてもおかしくない、
 『舌の体操』的なセリフ」

どんなドラマのどんな場面かは知りませんし、
そこはわざわざ書かなくてもOKです。
実際のセリフとしてありそうな、
意味の通っている「舌の体操」的セリフを
つくっておくってくださいね。
そう、その台本をもらった俳優さんが
思わず頭を抱えてしまうような、言いづらいセリフを。
たとえば、そうですね‥‥。

「親が見誤ったね」
「車掌の表彰は少々尚早だ」
「四六時中手術室で施術する職種だぞ?」

土屋さんもおっしゃってるように、
「見かけは、なんということもない
 平凡な一語のフリをしている」というのミソです。
その意味では、「四六時中施術室‥‥」は、
ちょっと作為的すぎるかもしれませんね。

ま、気楽に、気軽に送ってください。
また、何日かしたら、集計して発表しますね。
どうぞよろしくお願いします。

2013-08-20-TUE
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(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN
ようやくお目にかかることができました。『アンパンマン』の生みの親である、やなせたかしさん、94歳の登場です!