吉本隆明の ふたつの目。 ──ほんとうの考えを探し出す──  これまでたくさんの著作を生み、講演を行ってきた 吉本隆明さんが、ずっと気にしてきたことのひとつは、 「ほんとうのこと」についてなのだそうです。 「ほんとう」を探すために 吉本さんが持つようになった視点について、 糸井重里との話をお届けします。 * 吉本隆明さんの講演集は、 7月9日(水)に販売がはじまります。 おたのしみに。
吉本隆明の ふたつの目。 ──ほんとうの考えを探し出す──  これまでたくさんの著作を生み、講演を行ってきた 吉本隆明さんが、ずっと気にしてきたことのひとつは、 「ほんとうのこと」についてなのだそうです。 「ほんとう」を探すために 吉本さんが持つようになった視点について、 糸井重里との話をお届けします。 * 吉本隆明さんの講演集は、 7月9日(水)に販売がはじまります。 おたのしみに。



吉本 教養については、
学校や学歴がどうだということとは
全然関係ないよ、と思います。
今の現実と、昔の現実を
よく考えあわせられる人、
そういう人がいたら、それが教養のある人です。

それだけの教養があれば、
これから先どうなるかということを、
そんなに長い未来のことは言えなくても
少なくとも数年間の、
まあ、景気が良くなるか悪くなるかとか、
そういう問題についてならば、
見通しはつけられるんじゃないでしょうか。

今の知識人がダメなのは、
どちらか一方がないからです。
一方しかない、ということは、
それじゃ全部もない、というふうになります。

知識がある人はたくさんいるし、
専門家というのもたくさんいます。
その人はある分野について
よく知っていることはわかりますが、
それは、日本の社会の全体や大多数が
どうなっていて、
どう展開し、どうなっていくかを
わかる人でしょうか。
昔はどうだったのかということについて、
その場にいたに近いぐらい
正確に言える人でしょうか。

今と昔をできるだけ正確に心得ている人を
探せといったら、
そんなにいないと思います。
だから、教養のある人というのは、
なかなかいません。

だからべつに
東京大学の先生だから、教養があるかというと
それは全然違うことなんです。
東大の先生は、知識はあるに決まっているわけで、
それは「専門的に」あるということです。
教養があることとは、違います。

まず、今のことを知ることです。
そして、専門的なことを
その場にいるかのように知ることです。

えらい人が埋葬されるときに
生き埋めになっている人がいた時代に
自分を置いて、
その場にいたらどう思うかということと、
それから今の場所から、
「ひどく野蛮なことをやっていたものだ」
ということの両方が
ちゃんと見えるということが必要なのです。
糸井 いま、吉本さんは
過去と現在について
おっしゃいましたけれども、
それは距離についても
言えることなんじゃないでしょうか。
つまり、極端に言えば、
隣について考えるときにも。
吉本 そうですね。
しかし、隣人が、親友が、親と子が、
という関係がどうなっているかは
今の時代、難しいことになってきています。

これは文明のお陰でもあるわけですけど、
人工衛星やらのお陰で、
だいたい1時間ぐらいあれば、
世界中どこで何がどう動いているかを、
ちゃんと見られるようになっています。
隣人と、いちばん遠いところ、という
ふたつの対極が
成り立たなくなっているんです。
糸井 たしかに、区別がなくなってきていますね。
これまでの人間が
捉えたことのない世界です。
吉本 そうなんです。
それをどういうふうに
考慮したらいいのかが、
現在の難しいところなんじゃないでしょうか。

隣人や親友と、
一度も会ったことのない異国人が
同じようになることも、たやすいのです。
遠い地域の住人がまるで隣にいるように、
そのようすを知っていたり、
知らされたりしています。

そのことは、今の問題として
考えなくちゃいけない、
根本のところにあると思います。
糸井 「汝の隣人を愛せよ」の時代は
きっと、足で歩く範囲の話を
していましたけれども。
吉本 そうですね。
糸井 それに比べると、今は
目玉や耳だけは
どこまでも遠くに行ってしまい、
すべてが隣人になってしまいます。

そうやって、すべての人が
隣人になった時代に
「自分がそこにいたらどうするだろう」
という発想でまかなえたものは、
追いつかなくなっていくのではないでしょうか。
無数の他者と、
想像力の交換を
しなければならなくなります。
吉本 そうですね。
難しいところです。

(続きます)

2008-07-09-WED

(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN