- ──
- 今回の展覧会には、
若いころの写真も選ばれてるんですか?
- 上田
- これとか、そうですね。
- ──
- いつごろの‥‥?
- 上田
- 24歳のとき、1982年です。
- ──
- まさに、デビュー直後の写真ですね。
- 上田
- 『流行通信』という雑誌から
はじめていただいた仕事なんです。
- ──
- おお、はじめてのお仕事。
でも『流行通信』といえば
「アート色の強いファッション誌」という
イメージですけど‥‥
ファッションの写真ではないですよね?
- 上田
- はい、これは
「トロカデロ・デ・モンテカルロバレエ団」
という、
男性が「白鳥の湖」なんかを踊るバレエ団。
彼らが日本で公演をするというので、
モノクロページで
ポートレイトを撮影させていただきました。
- ──
- この写真を選んだのは、なぜですか?
- 上田
- はじめての仕事だということもありますが
何より「写真として好き」なんです。
こんなの、撮れないなあとも思いますしね。
- ──
- それは「今、撮れない」ということですか?
- 上田
- ええ、撮れないですね。二度と。
- ──
- デビューしたての若者だったころより
キャリアを重ねて、
撮影やプリントの技術も磨いて、
世間的な評価も得てきたわけですけど、
それでも、撮れないですか。
- 上田
- うん‥‥いや、撮れないですよ(笑)。
そういったこととは関係なく、
二度と同じものを撮ることができないのが
「写真」ですから。
- ──
- 同じ写真は二度と撮れないって
今日、何度かおっしゃっていますけど、
それほど、強い思いなんですね。
- 上田
- 写真って「瞬間的」で「永遠」だからです。
似た写真を撮る「技術」なら、ありますよ。
でも、「この写真」は絶対に撮れない。
抽象的な言いかたをして
ケムに巻いているわけじゃなくて
写真って、
同じものを撮ろうとしたって無理なんです。
- ──
- 似て非なるものに、なってしまう?
- 上田
- この写真が持っている
ドキドキする感じ、ワクワク感、緊張感を
真似しようとしても
見る人をダルくさせてしまうだけだと思う。
- ──
- ダルく。
- 上田
- ええ。だって
「似たようなものの連続」を見せられたら、
つらいじゃないですか。
何かを押し付けられてるみたいで。
- ──
- たしかに。
- 上田
- 同じように撮っても、同じに撮れない理由は
二度目は、僕自身がドキドキしていないから。
逆に、
「同じような被写体を撮っているのに、
どうしてこんなに
ずーっと、見続けられるんだろう?」
という写真があったら、
たぶんそれって、少なくとも撮った人が
ずっとドキドキしてるからだと思う。
- ──
- ここに選ばれている写真は
どれも印象深いものだと思うんですが、
上田さん的に
中でも「これは」というものは‥‥?
- 上田
- そうですね、たとえばこの写真などは
スコットランドの風景ですけど
シャッターを切った瞬間、
「今、そうとう変なものを撮ったな」
と思ったんです。
- ──
- 変なもの‥‥でも、たしかに目につきます。
風景写真ですけど
いや、どうしてだろう‥‥なぜか。
- 上田
- 一見、何でもないような風景なんですけど
ファインダーをのぞいたときに
「何だ、何だ?」と心がザワザワしました。
快感の要素、しびれる要素が凝縮している、
そんな風景なんだと思います。
- ──
- それって具体的には、何なんでしょうか。
- 上田
- ミケランジェロやダ・ヴィンチの絵の、
「遠景に描かれている風景」に
どこか、似ているような気もしてます。
何かのリズムが完全に整っている風景、
それを「絵のような」って
よく形容したりすると思うんですけど‥‥。
- ──
- ええ。
- 上田
- でも、 どうしてこの風景が気になるのか、
本当のところは
未だに自分でも解決していないんです。
でも、ひとつのヒントがあるとすれば
あとから聞いたんですが
左に見える木が「日本の松」らしいんです。
- ──
- ああ、ほんとだ。
たしかに初見で、ここってどこなんだろう、
日本なのかなあと思いました。
- 上田
- それが、きっと「違和感」なんですよね。
もし、この松がなかったら、
「ああ、きれいな風景」と思うだけですが
この松のおかげで
一見、完全に整った調和的な世界のなかに
違和感、ノイズが混じり込んでいる。
- ──
- で、その違和感に対して
「おかしい、何か変だぞ!?」って感じて
惹きつけられるんでしょうか。
- 上田
- そうなんだと思います。
こっちの写真も、そうです。
築地にあるお宅に広告写真を撮りに行って
ぱっと目に入った風景なんですが。
- ──
- 記念日か何かですか?
- 上田
- お子さんの誕生のお祝いをする日でした。
そのようすを撮影したんですが
待ち時間、この部屋の前を通ったときに
この場面が見えたんです。
- ──
- そこで、広告とは関係なく、撮った?
- 上田
- そう、説明しづらいんですけど
このときも「何か写っちゃったな」と。
- ──
- 何か‥‥?
- 上田
- やはり「調和」というか、「全体」というか。
今回の僕の展覧会のために、
ハンス・ウルリッヒ・オブリストという人が
「上田義彦は
断片を撮っているにもかかわらず
全体を表現しようとしている」
ということを、書いてくださっているんです。
- ──
- ええ、読ませていただきました。
- 上田
- 読んで、すごく腑に落ちたんです。
- ──
- あ、ご自身でも。
- 上田
- 写真って、常に「断片」だと思うんです。
観念的な意味という以前に、
まず具体的なフレームが、ありますから。
- ──
- どの部分を写すかというのは
どの部分を写さないか、
どの部分で切るかという選択の結果、
ですものね。
- 上田
- でも、その「断片」に
「世界全体」が写り込んでいなかったら
「残る写真」には、ならないです。
- ──
- なるほど。
- 上田
- なぜなら、ただの「断片、かけら」だと、
「運動」が起こらないんです。
断片から
世界全体を想像できるような「運動」が。
- ──
- それって、
フレームの外側に漂う気配が想像できる、
みたいなことでしょうか?
- 上田
- そう言っても、いいかもしれませんね。
残る写真って、みんなそうです。
- ──
- いま「運動」という表現がありましたけど
どういうことなのか、
もう少し、具体的に教えていただけますか?
- 上田
- まるで、生きているように見えるんです。
断片に世界が写り込んできて、
もう‥‥処理しきれないくらいの情報が
表面にブワーッとうごめいていて、
まるで生き物みたいに見えることがある。
- ──
- へぇー‥‥。
- 上田
- 科学的な根拠なんかはありませんけど
なぜ感動するんだろう、
ぼくは、どうして、この写真のことを
「わあ!」「いいなあ」って
思っちゃったんだろうかって考えると、
いつも、そういう理由なんです。
ですから、もし写真や絵を見ていて
どうしてもやめられなくなっちゃったときは、
「断片」のなかに
「世界全体」が写り込んでいる、
そのことから
目が離せなくなっているんだと思います。
<つづきます>
(2015-05-06-WED)