僕らは、合宿所のようになっていた 編集室にずっといました。 食事に困るから、結局ほとんどが自炊。 あらゆる料理を作りましたし、 鍋もいっぱいやりました。 最初に桜井さんが教えてくれたのが 白菜と豚を具材にして、 お酒で仕上げる鍋です。 シンプルでうまいから、みんなずっと その鍋を作ってたんですよ。 しまいには酒入れすぎて、 もうみんなベロンベロン。 |
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一同: | (爆笑) |
だんだんバリエーションが増えてきて、 しゃぶしゃぶやすき焼き、 あんこう鍋もやりました。 渋谷の地下であんこうの材料を買って(笑)。 |
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何が仕事なんだかわかんなくなって(笑)。 | |
ホットプレートでお好み焼きもやったし、 「ステーキをやろう!」とステーキを焼いたら、 ブレーカーが落ちちゃいました。 ほかの編集室の電気も落ちちゃったりして、 もう大謝りしましたけどね。 |
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アニメーターとか声入れる人だとか、 いろんな人たちが、その合宿所に集まるわけ? |
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入れ替わり立ち替わり いろんな人がやってくるんです。 メインの僕やADなど、 5、6人はずっといました。 CGの人が納品という形で来たりして、 そのままずっといたりとか、 週の後半になると音を入れる人が来て、 そのままずっといたりとか。 |
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何かと「ずっといる」んだ(笑)。 | |
まぁ、中心メンバーは みんな合宿状態ですよ。 |
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中心メンバーは、いわゆる 「ハブ」の役割だったわけですね。 その外側の輪っかに 森川くんとかがいるわけだ。 |
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そうそう、そうです。 | |
傍目で見てて思ったのは、 彼らはやっぱりウゴウゴルーガで 鍛えられたんだろうなぁ、ということです。 ウゴウゴルーガに関わった人たちって、 いい意味で、いまでも 安売りができるようになっているんですよ。 「球投げてくれたら打ちますよ」という 体勢でいるんです。 |
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ああ、そうかもしれませんね。 | |
こういうアーティスティックな 仕事をしてる人たちって、 そのうち作家性がついてしまうから、 「その球は打てないな」とか 「ちょっと考えさせてください」とか 言ってしまうものなんですよ。 でも、そう言っていると 錆びてくる部分もあるんです。 でも、あの人たちは、 年をとっても名前が売れても 投げたら打つでしょう? |
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そうそう、それは本当に すばらしいですよ。 岩井俊雄さんも、うるまでるびさんも、 巨匠になられたにもかかわらず、 やっぱりボールを投げたら打ってくれる。 |
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人が最も陥りやすい罠を 逃れる唯一の方法ですよね、 「来たら打つ」。 |
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大事ですね「来たら打つ」。 | |
毎日やってた番組だから いわば毎日発注があるわけですね。 |
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しかも、どんどん変えていきますからね。 飽きたら、 「もうちょっと別のないですか?」 とか言っちゃいますから。 |
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どんどん変えていくのは、 福原さんの個性? |
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そうかもしれないです。 DVDになることになって、 僕は改めてウゴウゴルーガを見たんです。 そうしたらやっぱり、 放送が進んでいくにつれて、 どんどん袋小路へ入っていることが わかりました。 「変えなきゃ変えなきゃ」という、 強迫観念が見えてくるんです。 「なんでこのまま行かないんだろう?」 と、いまの僕は思ったりして。 |
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いまの年齢の自分がそこにいたら、 「そこはそのままで行け」と 言うかもしれないんですね。 |
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「そこで変えるのは違うだろう、 もう1週2週、続けたほうがよかったね」 なんていうふうには思います。 とにかく「変えなきゃ」という 思考になってましたし、 最後のほうは、番組としては壊れています。 はじまって半年ぐらいはまだまともで、 その先は強迫観念の塊みたいに なっていました。 |
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私はまわりからよく言われました。 「子ども番組のプロデューサーになったら、 少なくとも10年は安泰に 会社でメシが食えるはずですよ」と。 |
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ふつうはそうなのに。 | |
たいていは長寿番組になって、 いろんなコーナーも焼き直しでいけるだろうし、 キャラクターを着ぐるみにして 全国をショーで回るとか、 そんな仕事がいっぱいあるだろうと 言われていました。 「それで10年間行けるのに、 なんで1年半で番組が終わるの?」 と言われたとき‥‥私はこう答えました。 「もう全員が 前のめりに倒れました。 これ以上できません」 |
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一同: | (爆笑) |
(続きます) | |
2008-05-19-MON |