第2回 これ以上できません!

福原 僕らは、合宿所のようになっていた
編集室にずっといました。
食事に困るから、結局ほとんどが自炊。
あらゆる料理を作りましたし、
鍋もいっぱいやりました。
最初に桜井さんが教えてくれたのが
白菜と豚を具材にして、
お酒で仕上げる鍋です。
シンプルでうまいから、みんなずっと
その鍋を作ってたんですよ。
しまいには酒入れすぎて、
もうみんなベロンベロン。
一同: (爆笑)
福原 だんだんバリエーションが増えてきて、
しゃぶしゃぶやすき焼き、
あんこう鍋もやりました。
渋谷の地下であんこうの材料を買って(笑)。
イトイ 何が仕事なんだかわかんなくなって(笑)。
福原 ホットプレートでお好み焼きもやったし、
「ステーキをやろう!」とステーキを焼いたら、
ブレーカーが落ちちゃいました。
ほかの編集室の電気も落ちちゃったりして、
もう大謝りしましたけどね。
イトイ アニメーターとか声入れる人だとか、
いろんな人たちが、その合宿所に集まるわけ?
福原 入れ替わり立ち替わり
いろんな人がやってくるんです。
メインの僕やADなど、
5、6人はずっといました。
CGの人が納品という形で来たりして、
そのままずっといたりとか、
週の後半になると音を入れる人が来て、
そのままずっといたりとか。
イトイ 何かと「ずっといる」んだ(笑)。
桜井 まぁ、中心メンバーは
みんな合宿状態ですよ。
イトイ 中心メンバーは、いわゆる
「ハブ」の役割だったわけですね。
その外側の輪っかに
森川くんとかがいるわけだ。
福原 そうそう、そうです。
イトイ 傍目で見てて思ったのは、
彼らはやっぱりウゴウゴルーガで
鍛えられたんだろうなぁ、ということです。
ウゴウゴルーガに関わった人たちって、
いい意味で、いまでも
安売りができるようになっているんですよ。
「球投げてくれたら打ちますよ」という
体勢でいるんです。
福原 ああ、そうかもしれませんね。
イトイ こういうアーティスティックな
仕事をしてる人たちって、
そのうち作家性がついてしまうから、
「その球は打てないな」とか
「ちょっと考えさせてください」とか
言ってしまうものなんですよ。
でも、そう言っていると
錆びてくる部分もあるんです。
でも、あの人たちは、
年をとっても名前が売れても
投げたら打つでしょう?
桜井 そうそう、それは本当に
すばらしいですよ。
岩井俊雄さんも、うるまでるびさんも、
巨匠になられたにもかかわらず、
やっぱりボールを投げたら打ってくれる。
イトイ 人が最も陥りやすい罠を
逃れる唯一の方法ですよね、
「来たら打つ」。
福原 大事ですね「来たら打つ」。
イトイ 毎日やってた番組だから
いわば毎日発注があるわけですね。
福原 しかも、どんどん変えていきますからね。
飽きたら、
「もうちょっと別のないですか?」
とか言っちゃいますから。
イトイ どんどん変えていくのは、
福原さんの個性?
福原 そうかもしれないです。
DVDになることになって、
僕は改めてウゴウゴルーガを見たんです。
そうしたらやっぱり、
放送が進んでいくにつれて、
どんどん袋小路へ入っていることが
わかりました。
「変えなきゃ変えなきゃ」という、
強迫観念が見えてくるんです。
「なんでこのまま行かないんだろう?」
と、いまの僕は思ったりして。
イトイ いまの年齢の自分がそこにいたら、
「そこはそのままで行け」と
言うかもしれないんですね。
福原 「そこで変えるのは違うだろう、
 もう1週2週、続けたほうがよかったね」
なんていうふうには思います。
とにかく「変えなきゃ」という
思考になってましたし、
最後のほうは、番組としては壊れています。
はじまって半年ぐらいはまだまともで、
その先は強迫観念の塊みたいに
なっていました。
桜井 私はまわりからよく言われました。
「子ども番組のプロデューサーになったら、
 少なくとも10年は安泰に
 会社でメシが食えるはずですよ」と。
イトイ ふつうはそうなのに。
桜井 たいていは長寿番組になって、
いろんなコーナーも焼き直しでいけるだろうし、
キャラクターを着ぐるみにして
全国をショーで回るとか、
そんな仕事がいっぱいあるだろうと
言われていました。
「それで10年間行けるのに、
 なんで1年半で番組が終わるの?」
と言われたとき‥‥私はこう答えました。
「もう全員が
 前のめりに倒れました。
 これ以上できません」
一同: (爆笑)
 
(続きます)
2008-05-19-MON
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