福田 | 脇阪さんの作品のイメージと、 お宅のインテリアが よく合っていらっしゃいますよね。 自然をよくモチーフによくされてるので、 そういう草花がたくさんある感じとか、 かわいいものが、そこかしこにおいてある感じ、 ベランダにはきっと春にたくさん お花も咲くんだろうなというようなところが。 けれども、脇阪さんの作品は、 あまり表に出されていないんですね。 |
▲拾ってきたものも多いという、部屋のなかの飾り。手づくりのものもたくさん。 |
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脇阪 | はい、プレーンな中にいた方が 次に新しいものがつくりやすいと思っていて。 福田さんはどうですか? |
福田 | 僕も実はそうなんです。 自分の描いた絵は飾らないです。 デザインしたものとかも‥‥。 |
脇阪 | 同じですね。人によると思いますけれど。 きっとそういうふうに自分の作ったもので 埋め尽くされてるような方もあると思います。 |
福田 | ぼくの場合、ひとつ、理由としては、 終わっちゃった絵はもういい、 と思っているからなんです。 |
脇阪 | ああ、そうですね。 僕もそうですよ。 |
福田 | 脇阪さんのインタビューを以前拝読して、 昔のマリメッコ時代のテキスタイルが、 当時はそんなに好きじゃなかったって おっしゃっていて。 けれども年を重ねるにおいて、 今は少しよかったなって思えるようになったと。 ちょっと僕はまだそこまで 至っていないんですが、 それって、どんな気分なんでしょうか? |
脇阪 | 若いときは、嫌でしたね。 マリメッコで自分がつくったものを 誰かが飾ってたり、着てたりするのも、 すごく嫌でした。 |
福田 | そこまで!(笑) |
▲脇阪さんのマリメッコ時代の代表作、「BOO BOO」。 |
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脇阪 | 取材されても、取材されたその記事を 読むことも嫌だったし。 |
福田 | えぇーっ! |
脇阪 | やっぱり自分を見るようでね、 恥ずかしいんですよ。 |
福田 | はい、はい、はい。 |
脇阪 | けれども今は、そういうことは全然ありません。 結局、自分を受け入れられるように なってきたと思うんですよ。 でも若いときは劣等感があるから、 そういう自分を見るのが嫌だった。 |
福田 | ということは、マリメッコ時代のデザインは 脇阪さんそのものだったわけですね。 もちろんその時代のものでもありますが。 |
脇阪 | うん、そうですね。そうだったと思うんですよ。 |
福田 | マリメッコって、ほんとに自分を出すことを 要求されるっていう話を聞きました。 |
脇阪 | そうです。 |
福田 | じつは僕はマリメッコのディレクターに 作品を見てもらったことがあるんです。 わりと気には入ってもらったんですけど、 「あなたの絵は繊細過ぎる」と言われました。 |
脇阪 | ああー。 |
福田 | もっと大胆な、ほんとに自分のわき出るものが、 ダイレクトに表現されているものができたら、 もう1回見せにきてくださいって言われて(笑)。 |
脇阪 | ああ、なるほど。 |
福田 | 実は少し、コンチクショーと思っちゃったんですけど、 でもやっぱりマリメッコは すごくリスペクトしているので、 なるほどなって思い直して。 |
脇阪 | うーん、僕、福田さんの描くものは、 じゅうぶん福田さんらしいと思いますよ。 ただ、僕も経験がありますけれども、 「どこで描くか」も重要なんです。 というのは、マリメッコを辞めてから、日本で、 マリメッコ用にデザインを描いたことがあるんです。 いまから10年以上前のことです。 新柄だし、結構自分としては 大胆なものをつくったつもりだったんですけども、 採用はされたものの、 あとで商品になってみたら、 フィンランドで見ると、非常に地味なんですよ。 フィンランドというあの土地で、 あの空気の中で見るデザインとしては、地味なんです。 僕らは叫んでいるのに、彼らにしてみたら つぶやいているくらいにしか見えない。 そんな感じがするんです。 だから彼らにしてみると、福田さんの絵も、 「もっと自分の大声で叫んだら? もっと爆発したら?」 ということになるのでしょう。 けれどもフィンランドにいたときつくったものを、 日本で見たら、ものすごい大胆なんですよね。 |
福田 | フィンランドって、 夏の喜びみたいなのがすさまじいですよね。 冬の暗さと、対称的で。 デザインにもそういうものが 要求されてるってことですかね。 風土とデザインに関わりがあるといいますか。 |
脇阪 | あります。 |
福田 | 冬は冬で、冬の家を明るくする デザインがちゃんと出てきますし。 僕は3回ぐらいしか行ってないんですけど、 行って思ったのは、 じつは僕は冬の方が好きだなっていうことでした。 |
脇阪 | ああ、そうですか! |
福田 | みんな、夏、夏って言うんですけど、 次また行くんだったら冬に行きたいなと。 もちろんずっと住んでれば そんなことは言えないと思うんですけど。 |
脇阪 | ああ、どういうところが? |
福田 | 夏は、人の熱量が多過ぎて ちょっと大変ていう感じがしました。 けれども、冬、わりとこう、黙って静かに コーヒーを飲んでいるフィンランド人と接してる方が 僕は落ち着くっていう感じがありました。 |
脇阪 | なるほど。 |
▲これまでに3回訪れたフィンランド。 福田さんがいつか住んでみたい国のひとつ。 |
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福田 | ところで、脇阪さん、あちらに、 旧暦の、七十二候でしょうか、 手書きのカレンダーを貼ってらっしゃって。 これはデザインにおいて 何かヒントになっていったりするものですか。 |
脇阪 | そうですね。 日本の情緒とか、気候とか、 そういう季節感であったり、言葉であったり、 京都の行事を詳しく書いておけば 何となくそういうものっていうのが 目に入ってきますよね。 |
▲自宅の作業スペースの横に貼られた手描きの暦。 おなじものが、SOU・SOUにも飾られている。 |
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福田 | ずっと、海外の生活をされて、 今京都に落ち着かれてるということなんですが、 今でもご旅行とか、そういうのはされますか? |
脇阪 | あんまり‥‥というか、 あまりにも、しないですね。 ふたりとも、じつは、 旅行がそんなに好きじゃないんですよ。 |
福田 | 海外生活がこんなに長くていらっしゃるのに(笑)。 |
脇阪 | 1カ所にいるのはいいんですよ。 だからフィンランドにいたら フィンランドにいるだけなんです。 そこの日常を生きて、10年近くなってくると その環境に飽きてくるんです。 そしたらもう違うとこへ行ってしまうみたいなね。 |
福田 | そしてまたデザインも変わるというような? |
脇阪 | そうそう、その繰り返しなんですよ。 |
福田 | お生まれになったのは京都ですよね。 戻ってらっしゃったという感じでしょうか。 |
脇阪 | そうです、60歳になって戻ってきました。 それまで、京都が嫌だったんですよ。 すごく嫌だったんです。 誰でもそうじゃないですか。 自分が生まれたところ、故郷って、 何か、こう、恥ずかしかったり、 裏腹な気持ちがすごくありますよね。 ほんとは好きなんだけれど、落ち着かない。 それが60近くになってきて、 京都に帰ってこられたというのは、 たぶん自分を受け入れられるように なってきたんでしょうね。 (つづきます!) |
2012-12-20-THU