ニューヨークで生活していたとき、
通勤の途中に
アイポッドでよく聴いていたスピーチがある。
有名なスピーチのひとつに数えられているので、
触れたことがある人も少なくないだろう。
2005年6月、
アメリカのスタンフォード大学の卒業式でのことだ。
ゲストとして招かれたスティーブ・ジョブズが、
卒業生たちに向けて、
感動的なスピーチを行った。
スティーブ・ジョブズについては
もう説明する必要はないだろう。
大学を中退後、スティーブ・ウォズニアックとともに
20歳でアップル社を設立、
歴史を変える画期的な
パーソナル・コンピューターを開発した。
アップルのパソコンは何より美しいことで知られ、
クリエーターなどから熱狂的に支持され続けているほか、
最近ではアイポッド(iPod)や
アイフォン(iPhone)が世界的なヒットになるなど、
常に革新的な製品を世に送り出している。
スピーチの中でジョブズは、
彼自身が人生で経験した3つの出来事を語っていく。
最初は、彼の生い立ちと大学を中退したことが、
後の人生にどうつながっていったかという話だ。
未婚の母の子供として生まれたジョブズは、
すぐに養子に出される。
産みの親が養子に出す条件として提示したのが、
将来ジョブズを大学に通わせるというものだった。
子供が欲しかった育ての親はそれに同意し、
後に約束通りジョブズを大学に通わせる。
ところが彼は、大学に価値を見いだせず、
育ての親がなけなしの金を
学費につぎこむのに我慢できなくなった。
そして大学を中退。
ジョブズは大学を辞めたのは、
人生において“最良の選択”だったと語る。
その理由は、カリグラフィ
(アルファベットを美しく見せるための
様々な字体の研究)との出会いだった。
中退したことで、必須科目から解放され、
好きな授業だけ聴講することができたという。
授業でカリグラフィと出会ったことで、
美しいフォント機能を備えた
パソコンの開発につながっていく。
「もし私が大学を
ドロップアウト(退学)してなかったら、
あのカリグラフィのクラスには
ドロップイン(寄り道)していなかった。
そしてパソコンには
今あるようなすばらしいフォントは
搭載されることはなかっただろう。
もちろん大学にいた頃の私には、
まだそんな先のことまで考えて、
点と点をつなげることなんてできなかった。
でも10年たって振り返ってみると、
はっきりとわかる。
つまりこういうことだ。
点と点を将来に向けてつなげていくことはできない。
できるのは過去を振り返ってつなげることだけだ。
だから今はただの点であっても、
将来は何らかの形でつながっていくと
信じなければならない。
自分の根性でもいいし、
運命、人生、カルマ(業)でも何でもいい。
とにかく信じることだ。
信じることで確信を持って歩んでいける。
人生を変えることができるんだ」
アップル社を設立し
若くして億万長者になったジョブズは、
ある日突然、解任される。
これがスピーチのふたつ目の話だ。
自分で作った会社をどうやったらクビになるっていうんだ、
とジョブズは自嘲ぎみに語っている。
それは、ジョブズが雇った優秀な経営陣に
反旗を翻されるという、
まるで映画のような解任劇だった。
ジョブズはひどく落ち込むが、
じきにアップルをクビになったのは、
人生で“最良の出来事”だったと考え始める。
成功者であることの重みから解放されて、
ビギナーであることの軽さに変わる、
第1歩から新しいものを
生み出す喜びを感じるようになっていく。
それからジョブズは
「NeXT」というコンピューターの会社をたちあげ、
「ピクサー」というアニメーションの制作会社を
スタートさせる。
そこから、世界的なヒットとなった
アニメ映画「トイ・ストーリー」が生まれることになる。
「アップルをクビになっていなかったら、
こうしたことは何ひとつ起きなかったと断言できる。
それはひどく苦い薬だった。
でも患者にはそれが必要なんだろう。
人生では時にレンガで
頭をぶん殴られるようなひどいことがおきる。
だけど信念を放り出してはいけない。
私がやってこられたのはただひとつ、
私のやってきたことが好きだったからだ。
君たちも好きなことを見つけなければならない。
それは仕事でも恋愛でも同じこと。
仕事は人生で大きなパートをしめるだろうけど、
心から満足が得られるただひとつの方法は、
自分が素晴らしいと信じる仕事をすることなんだ。
そして素晴らしい仕事をするただひとつの方法は、
自分の仕事を愛することだ。
まだ好きなことが見つかっていないのなら、
探し続ければいい。
落ち着いてしまってはだめだ。
心の問題と一緒で見つかったときにはピンとくるものだ。
素晴らしい恋愛のように、
年を重ねるほどよくなっていく。
だから探し続けること。あきらめてはいけない」
スピーチの3つ目の話は、
ジョブズが死に直面したときの経験だ。
ジョブズには17歳のときから、
ひとつの日課があるという。
それは毎朝、鏡で自分に問いかけることだ。
「もしきょうが、人生最後の日だとしたら、
きょうやる予定のことを自分は本当にやりたいだろうか」
それに対する答えがノーという日が続くと、
そろそろ何かを変える必要があることを悟るという。
「自分が死と隣り合わせであることを
絶えず意識すること。
これは私が人生で大きな決断をするときに
最も大事な手がかりだった。
なぜなら、ほとんど全てのこと、
たとえば周囲からの期待、プライド、
屈辱や失敗に対する恐怖、
こういったものの全ては、
死ねば消え去ってしまうだからだ。
残るのは、本当に大事なことだけ。
自分もいつか死ぬ、
そのことを思えば、
自分が何かを失ってしまうのではないか
という思考に陥らずにすむ。
あなたたちは素っ裸なんだ。
自分の心の赴くままに
生きてはならない理由など、何ひとつない」
ジョブズは2005年にすい臓ガンと診断され、
余命3ヶ月から6ヶ月と宣告される。
いったんは死を覚悟するものの、
結局、手術で直せるガンであることがわかり、
ジョブズは奇跡的に回復する。
死に近づいたことで、
彼は人生で大事なものをさらに確信する。
次のフレーズは、
このスピーチの中で私が最も好きなところだ。
「君たちの時間は限られている。
だから他の誰かの人生を生きて
時間を無駄にしてはダメだ。
定説にとらわれるな。
それは他の人々が考えた結果にすぎないからだ。
自分自身の内なる声を、
他人の意見によってかき乱されてはいけない。
最も大事なのは、
心の声、直感に従う勇気をもつことだ。
内なる声、直感は君が本当になりたいものを、
なぜだか知っているんだ。
だからそれ以外のことは、すべて二の次でいいんだ」
マンハッタンで、仕事場からの行き帰りに、
毎日のようにこのスピーチを聴いた。
通勤途中の様々な人種の人々とすれ違いながら、
時にメトロポリタンオペラハウスに飾ってある
大きなシャガールの絵を眺めながら、
ある時はマイナス10度の寒さに
体を丸めて足を進めながら、
このスピーチを聴いた。
仕事で少々きついことがあったとき、
孤独を持て余したとき、
どう生きていけばいいのか先が見いだせないとき、
このスピーチを繰り返し聴いた。
そして自分の内なる声に耳をすませた。
スピーチの最後を、
ジョブズは次の言葉で締めくくった。
「Stay hungry. Stay foolish.
(ハングリーであれ。愚かであれ)
私は常に自分自身そうありたいと願ってきた。
今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、
それを願ってやまない。
Stay hungry. Stay foolish.
(ハングリーであれ。愚かであれ)」
このスピーチから5年、
わずか15分のジョブズの言葉は
今では世界で聴かれているという。
それはこのスピーチの中に、
生きることの本質とでも
言うべきものがこめられているからだろう。
私自身も4月から、仕事が変わる。
何があろうとも、
内なる声に耳をすますことだけは忘れまいと思う。
(終わり)
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