第2回
守ってほしいことは、ふたつだけ
守ってほしいことは、ふたつだけ
糸井 |
「自然塾」で、 子どもには、何を教えたいのですか? |
小野田 |
そうですねぇ。 ・・・まずは夢を見てほしいですね。 そして、夢をみたら希望、 希望を持ったら目的、と、 どんどん絞る力をつけてくれると、 いいなあと思っています。 |
糸井 |
夢から希望、希望から目的かぁ。 |
小野田 |
だいたい、夢というのは、 自分の頭のなかにあるから 見るんですよね。 |
糸井 |
ないものは、見ないですよね。 |
小野田 |
そして、夢は、 自分で意識したからといって 見られるものではないんです。 自分にとってはじめてのことでも 夢で見ることがあるけど、 あれは潜在的に 自分のなかにあるものなんですよ。 |
糸井 |
「こう見よう」と思っても そういうわけにはいかない。 コントロールできないものですよね。 |
小野田 |
子どもどうしで触れ合ったり、 木や、川、雨などの 自然現象に触れて、生活していく。 そのうちに、自分が感動するものや、 興味を持つものが出てくるんです。 それがその子どもの おおまかな本質の部分じゃないか と思います。 何も感じないことには 興味を持たないと思う。 そういう漠然としたものでもいいから 自分の将来に、ひとつ 「夢」を見てほしいんですよ。 |
糸井 |
自分の核に触れるものを 見るということ、なんですね。 |
小野田 |
夢から具体的に「まと」を絞っていくと、 今度ははっきり「希望」になってきます。 現実性が出てくるんですよ。 |
糸井 |
自分の興味を目覚めさせて、 それから「まと」を絞るんだ。 |
小野田 |
もっともっと「まと」を絞りこんで それが「目的」になると、 「必ず到達したい」、 または「しなければいけないもの」ぐらいに 自分が覚悟するようになる。 そういうことをしていれば、子どもたちは 「自主性がない」とか、 「創意工夫がない」とか、 「忍耐がない」とか、 そんな、枝葉末節のことを いわれなくてすむと思うんですがねぇ。 |
糸井 |
おとなたちは、枝葉のところばかり つっついてるわけで。 |
小野田 |
17年前、名古屋でキャンプをしたときのことです。 中学生の子どもたちに 「君たち、何になりたいんだ?」って、 訊ねてみたんです。 みんながヤーヤーヤーヤーいっているときに、 雑談みたいにして、聞いたんですけどね。 そのとき、 「ぼくはジャンボのパイロットだ」 といった子どもがいたんです。 その子が昨年、 ほんとに日航のパイロットになったんですよ。 そういうのを聞くと、 ああ、よかったなぁと思いますね。 |
糸井 |
うれしいですよねぇ。 |
小野田 |
ええ。 そう簡単になれるものではないですから。 |
糸井 |
小野田さん自身が 子どもたちと関わる、 そういう現場にいることを とっても楽しんでいるようすですね。 |
小野田 |
そうなんです。 自分が極端に子どもっぽいからね。 悪くいうと、ただの「向こう見ず」 なんです。 |
糸井 |
ああ、ほんとはね。 |
小野田 |
何をしでかすかわからないのが 子どもというものなんです。 子どもはね、善悪なんて物差し、 持ってないですもん。 だから、お母さんが一生懸命育てた花を ポキッと折っちゃったりするんだなぁ。 「いけないでしょ!」って叱られたら、 「だって欲しかったんだもん」 と、いい返す。 それで終わりでしょう。 洗濯物に泥をかけたりしても、 「だっておもしろかったんだもん」で 終わりですもん。 それが子どもなんですよね(笑)。 |
糸井 |
そして、ご自分は子どもであると・・・。 いまでもそうだと、おっしゃる(笑)。 |
小野田 |
そうです。 |
糸井 |
教育というものは、 何かを少しずつ矯正することだと、 一般的には思われがちでしょう? 左ききは右ききに直されちゃうし、 歩きかたが悪ければ直されちゃう・・・。 つまり、さっき小野田さんがおっしゃった 「ほとんど枝葉末節のこと」 ばかりを教えるわけですよね。 |
小野田 |
そうですよ。ぼくなんか、 左ききなものですから、 右ききに直すように ずいぶんしかられたもんです。 |
糸井 |
それ、嫌だったですか? |
小野田 |
ええ、嫌でしたねぇ。 親はこう考えるんですよ。 「社会から外れては、生きていけない。 だから、社会で生活できる最低のルールは、 身につけておく必要がある」 とね。 だけど、ぼくにしてみたら 右でも左でもどちらでもいいものを、 「みんなが右だから右にしよう」 といわれても・・・。 それはちょっと 説得力がないんだなぁ。 |
糸井 |
小野田さんの考える 「最低限の社会とつき合う約束ごと」って、 かんたんにいうと、何ですか? |
小野田 |
たとえば、ですね。 キャンプに来た子どもたちに、 ぼくは最初にこういうんです。 「お父さんか誰かが申しこんで、 しぶしぶここに来て、 こんな顔ぶれと一緒に 1週間もいたくないよ、と思ったら、 いまここで手を挙げて、帰ったらいいよ。 無理することない」って。 |
糸井 |
最初に、そう聞くんですか。 |
小野田 |
ええ。 最初に集合したときに。 |
糸井 |
それで、帰ったやつはいますか。 |
小野田 |
ひとりだけ(笑)。 |
糸井 |
わぁ、その子ども、 勇気ありますね。 |
小野田 |
勇気ありますよ。 だから 「あっ! ほかにもいないのか? 彼みたいに、勇気を出して手を挙げてみろ」 なんて、おだてましたよ(笑)。 とにかくぼくは、最初に 「嫌だったら帰れ」というんです。 自然のなかですごすのは、 常に危険と背中あわせだから。 集中して行動しないと、けがをする。 「君たちのかわりを、 デパートで買って返すことは、 できないんだから。 代わりを買えるなら、 3人や5人、死んだっていいんだよ。 返せないから困るんだ。 世界じゅうに君は、君ひとりしかいないんだから。 ぼくたちは 君たちの命まで預かっているんだから」 |
糸井 |
命がかかった、大切な決断を せまるんですね。 |
小野田 |
それに続けて、最初の約束ごとをします。 「君たちに向かって、ぼくたちスタッフが 注意事項などをいうことあります。 そのときには、よそを向いて聞かないこと。 人が何かを言っているときには 顔を見て、話を聞いてください。 それを約束できるか?」と。 |
糸井 |
危険がいっぱいだからこそ・・・。 |
小野田 |
その次に、 「自分がされて嫌なことを 人にしないようにしてもらいたい」 と、約束するんです。 「もしも自分が殴ってほしいんだったら、 人を殴ってもかまわない。 誰かを殴った人がいたら、 “自分が殴られても構わないから 人を殴ったんだな” と思うことにします。 だから、スタッフがみんなで うんと殴ってやるからな」 「意地悪なんかをしたら、そいつを今度は みんなでうーんと意地悪してやるから。 “意地悪は、決して嫌なことじゃないんだろ?” って、そう思っちゃうからね」。 そういわれたら、誰もやりませんよね。 自分がされて嫌なことさえしなきゃ、 集団というのはだいたい保っていけるんですよ。 |
糸井 |
その自信が・・・ すごいです。 |
小野田 |
簡単で、いいでしょう(笑)。 衝動的に、バッ!と、殴りたくなったときは、 「殴られちゃ、おれ、嫌だからやめとこう」 そう思ってもらうようにする。 まあ、そういうことなんですよね。 |
糸井 |
そのふたつの約束さえ守れば すべてが大丈夫だと 実践してわかったんですね。 |
小野田 |
ええ。 ぼくたちは、 子どもの自主性を尊びたいから、 はっきり原理原則を教えておくことが 大切なんです。 まあ、こんなふうに 「相手の顔を見てきちんと話を聞く」 「自分が嫌なことは人にもしない」 キャンプの前に、そのふたつを 子どもたちと約束するんです。 |
糸井 |
あとは、もう枝葉であると。 |
小野田 |
そうです。あとは、枝葉。 そして、子どもたちも 約束を守るだけの 知恵はあるんですよね。 誰だって 自然のなかでのケガは避けたい。 そして、 いじめられたくないし、 殴られたくないんだから。 |
2015-05-08-FRI
タイトル
どんな子供に育ってほしいかを、ざっくばらんに。
対談者名 小野田寛郎、糸井重里
対談収録日 2001年12月
どんな子供に育ってほしいかを、ざっくばらんに。
対談者名 小野田寛郎、糸井重里
対談収録日 2001年12月
第1回
第2回
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