みなさん。
矢野顕子さんがつくった気仙沼の歌を
聴いたことはありますか?
タイトルは「気仙沼においでよ」といいます。
もしよろしければ、この歌を聴きながら、
このページをお読みいただけるとうれしいです。

↓こちらから、聴けます。


立川志の輔さんの「気仙沼さんま寄席」のときも、
「気仙沼のほぼ日」ではたらいているスタッフも、
この歌をテーマ曲のようにくちずさみながら
励んでまいりました。

歌ができたときの
矢野顕子さんと糸井重里のやりとりと
いきさつはこちらのページでお読みいただけます。

そして、あれからおよそ1年がたちました。

糸井重里とわたしたちほぼ日乗組員は、ずっと
矢野顕子さんといっしょに
気仙沼でなにかやりたいですね、と
お話ししてきました。
矢野さんと、ほかでは体験できない、
スゴイことをしたい。

糸井は、まず、
ニューヨークに住む矢野さんが
東京にやってきたときに
2度ほどお会いして話し合いをしました。
そのあとは、ふたりで
Twitterとメールを利用して、往復書簡。
そして、やっぱり話さなくちゃ、と
しめくくりにSkypeで
オンライン会議もしました。

「まず体力づくりからはじめます」
矢野さんはTwitterで、
この「稽古場」開催に向けて
書いていらっしゃいました。

これから数回に分けて、
矢野顕子さんと糸井重里が
気仙沼でなにをしようとしているのか、
お伝えしていこうと思います。

そこにあるものは、会場と、ピアノ。
近い場所にいる、お客さんと、矢野さん。
糸井重里の手伝い。
三陸じまんのおいしいごはんと海の幸
(みんなで食べましょう)。
そして、みなさんからあつまった言葉。

わくわくしながら、お待ちいただければありがたいです。
では、ふたりの打ち合わせを兼ねたお話をはじめます。


アッコちゃんはさ、なにかと
「じゃあ、やるよ」っていう時期でしょ?
そのすごみを、このごろ感じています。
そうかね?
だいたいのことは「やるよ」と
引き受けている感じがする。
ただ、断れないだけのかな(笑)。
いや、違う。
少し前は「こんなことやんなかったよ」
ということも,
いまはやってる気がするよ。
そうかなぁ?
5年前とかに、
去年や今年の仕事を、やった?
5年前に‥‥うーん、
やんなかったかもね。
「嫌でやらない」というより、
あんまり興味がなかったのかもしれない。
そうだよね。
自分のことに精一杯でね。
うん、うん。
このごろはなんでも、
「いいよ」「いいよ」と(笑)、
確かにそういうふうになってきました。
めぐり合わせ、ということもあるよね。
気仙沼の歌をつくってくれたのも、
気仙沼をすぐに訪れたのも、そうです。
だから、
「矢野顕子が来たらなにかがある」
という期待があります。
アッコちゃんにそれを、
最近ものすごく感じます。
あんまり自分ではわかってないんだけどね。
おれも、そういう時期なのかもしれない。
でも、アッコちゃんよりもっと慎重かな?
慎重なの(笑)?
うん(笑)。
ま、わたしはほら、
「出す」のが仕事だからね。
「そこで出してナンボ」というところが
ありますので。
だから思い切りよくやれるのかもしれないね。
今回、気仙沼でワークショップをやるにあたって
(このときは、まだ「稽古場」という言葉が
 生まれておらず
 「ワークショップ」という言い方をしていました)
いちばん大切なのは、やっぱり
「なんでこれをやりたいのか」
というところだと思うんだけど。
そうねぇ。
やりたいことはね、
もう、これひとつだけです。
気仙沼の人たちも、遠くから集った人たちも、
「来てよかった、
 ここに来なきゃこういうことなかったよね」
と、うれしくなってくれること。
うん。
しかもこれはワークショップだし、慰問じゃない。
そうだね。
「お客さんだけど、仕事してもらいますよ」
ということだってあるかもしれない。
気仙沼の人たちだって、遠くから来る人を
「もてなす」たのしみも、実はあるみたい。
そうなんだ。
そういう交流ができるといいなぁと思ってて。
それはとてもいいね。
でも‥‥そこで我々が
なにができるか、ということなんだけども。
実は最初、矢野顕子がお料理つくっても
いいじゃないか、と思ったんだけどね。
いいよ。
でも、やっぱりピアノがないとね(笑)。
こういうのどう?
「あなたも矢野顕子になれる」ってのは?
あ‥‥!
あったんだよ、こういう企画。
一同 (笑)
なんだか昔、俺が言い出した企画だって
聞いたんだけど。
そうだよ。
びっくりしちゃった(笑)。
でも、そのコンセプトはいまの時代でも
生きていると思いますよ。
例えば、18歳の若い人たちが、
みんな大学に行けるという社会よりも、
18歳も50歳も3歳もなく、
みんなが大学に行って
たのしめるような社会のほうが、
子どもみんなを大学にいれることよりも
大事なんじゃないかな。
ピアノを習った覚えのない人が
バンドで弾いたりするでしょ?
うん、うん。
それは、音楽学校がこんなにいっぱいあって、
みんな入ってるんですよ、
というよりも、音楽的じゃない?
そうねぇ。
でもさ、「矢野顕子」というもので
どこまで一般の人たちを引っ張れるかは、
ちょっとむずかしいとこだと思うんだ。
誰でもができる、ノウハウでいけるところって
あるにはあるんだけど、
それをわたしがやってみせるというのは
すこし違うのかもしれない。
魅力を感じるもの、表現できること、
人によってそれは変わるから。
そうだね、ノウハウ的なものを
やりたいわけじゃない。
アッコちゃんがやるとしたら、もっと、
音楽にまつわる、音楽の本質‥‥
希望とかかな?
そっちだね。
「だいたい、なによ、音楽は」
「なくたっていいじゃない」
矢野顕子ならそんなこと言い出す。
私ね、本来はみんな
自分の生活が音に囲まれていると思う。
音には楽音と生活音とがあって、
ふつう、音楽と言ったら、
それは楽音を扱うわけです。
つまり、メロディーの高低差が
ある程度わかる音。
だけども、実はいろんな音を耳は聞いている。
生活の中で聞いてる音も
音楽の一部になるんですよね。
ほう。そういうことを
言葉でも、できないかなぁ。
あ、いいと思う。
(明日につづきます)
2012-10-25-THU

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