ぼくの歩く、まんが道。矢部太郎さんと糸井重里の、漫画談義。 ぼくの歩く、まんが道。矢部太郎さんと糸井重里の、漫画談義。

お笑い芸人の矢部太郎さんが描いた
漫画『大家さんと僕』が、
20万部突破の大ヒットを記録しています。
なぜこの漫画は、ここまで多くの人に
読まれているのでしょうか?

かつて漫画家にあこがれていた糸井が、
漫画家デビューした矢部さんと、
作品の制作秘話や、
日本の漫画が持つ可能性について、
ほどよい熱さで語りあいました。

作品の中では語られなかった矢部さんの
葛藤や苦悩などにも迫った、全6回。
どうぞごゆるりとおたのしみください。

第5回
土屋さんと僕。
糸井
お話をうかがっていると、
いろんなことが
ちょうどいいタイミングで
交わった感じがしますね。



大家さんとの出会いがあり、
漫画をすすめてくれた倉科さんがいて、
漫画を描く道具が
ラクになったということもそうだし。
矢部
あと、ぼくが暇だった(笑)。
糸井
うん(笑)。
矢部
あと、大家さんのところに引っこした、
おおもとの原因は、
日テレの土屋敏男さんの番組なんです。
糸井
あ、そういえば、
うちの会社に来たことあるよね? 
土屋さんの番組で。
矢部
そうです、そうです! 
覚えていてくれたんですね。
糸井
もちろんですよ。
CSの『電波少年的放送局』の企画で、
ぼくが監禁されたときですよね。
ほぼ日でテキスト中継もしましたから。
矢部
糸井さんが監禁されているスキに、
勝手にオフィスに行って
バカラのグラスを、
もらって帰るっていう(笑)。
糸井
あれは、まだオフィスが
魚らん坂にある時だから、
2002年くらいじゃないかなぁ。
矢部
あの企画は1日ですか?
糸井
ちがうちがう、3日ですよ。
矢部
えぇーっ! 
その間、ずっとカメラで
見られてるわけですよね。
起きてから寝るまで。
糸井
そうそう、そうでしたね。
いやぁ、なつかしいですね。
矢部
ぼくは、土屋さんの番組のロケで、
当時すんでいた部屋が使われて、
その放送を見た前の大家さんが
「もう更新しないでください」って。



それでいまのところに
引っこしすることになったんです。
糸井
そっか、この話は土屋さんの番組だ。
矢部
だから、土屋さんには
「俺のおかげだな」って。
糸井
土屋さん、そのパターン多いですよね(笑)。
「俺のおかげ」というのは、
「俺のせい」でもありますから。
矢部
この間も、土屋さんに
「俺のおかげなんだから、
なんかごちそうしろ」って、
いっしょにごはんを食べに行ったんです。



もうすでに意味がわからないんですけど。
糸井
はい(笑)。
矢部
そのとき土屋さんが、
「いままで、お前もいろいろあったな。
もう、1冊分くらいのネタはあるだろう。
だから、次は『土屋さんと僕』を描け」って。
糸井
なんて身勝手な(笑)。
矢部
ほんとですよ(笑)。
だから「もし本当のこと描いたら、
土屋さんを告発するような内容になるから、
たぶん描かないほうがいいと思います」って、
お断りしておきました。
糸井
ほんと悪い人だなぁ(笑)。
そういえば、土屋さんの番組で
アフリカにも行ってましたよね?
矢部
はい、行きました。
コイサンマンの村に、
現地の言葉を覚えるという企画で。
糸井
あっ! そういえば、
あの時も描いてたね、絵。
矢部
あ、描いてました!
糸井
ねぇ、子どもたちに。
矢部
そうです、そうです。
言葉を覚える企画だったので、
近くにないものは、
絵を描いて伝えたりして‥‥。
糸井
そうだ、そうだ。
あの経験もちゃんといきてるね。
矢部
あぁ、ほんとだ‥‥。
似顔絵とか、描いてましたね。
糸井
そう考えると、すごいなぁ。
ぜんぶつながってるんだねぇ。
矢部
‥‥これ、ますます土屋さんに
「俺のおかげ」っていわれるパターンですね。
糸井
まずいね(笑)。
矢部
はい、まずいです(笑)。
(つづきます)
2018-02-06-TUE