しりあがり寿 原作・宮藤官九郎 初監督作品
映画『真夜中の弥次さん喜多さん』
〜映画館へ行こうぜベイべー〜
今日の宿(映画の紹介)  

映画『真夜中の弥次さん喜多さん』の
原作者であるしりあがり寿さん、
脚本・監督の宮藤官九郎さん、
そしてこの映画のサポーター、糸井重里による
スペシャル座談会をお送りします!
(この座談会は、公開直前の3月某日に行われました。)


第1回
サルがずっと目の前にはりついているような映画。

糸井 どう、ですかね、手応えは?
宮藤 いやぁ、わかんないですね。
じぶんでは完成した映画を見すぎて。
途中で何回も見ちゃったんで、
まだまったく達成感がないんですよ。
糸井 そういうものですか。
宮藤 初号って、スタッフが見てるから
あんまり笑わないんですよね。
それでちょっと落ち込んだりして。
糸井 まだお客さんが映画を見てるところは
見てないんですね。
宮藤 見てないです。
試写を見終わった後のお客さんの顔は
見たことあるんですけど、けっこう、
グッタリしてましたね(笑)。
あ、そんなこと言っちゃいけないですね。
糸井 いや、そういうところも含めて、
おもしろいよ。大丈夫!
宮藤 あ、ありがとうございます。
最近の映画って、
恋愛映画です、と言われて見に行くと
本当に恋愛映画だったりしますよね。
それがまぁ、あたり前なんですけど、
かならずしも
そうじゃない映画があっても
いいかなぁって思うところもあるんです。
糸井 この映画にかんしては
白黒はっきりせい! って
言いにくいものがありますよね。

たとえば、
上野動物園のサル山を見に行って、
サルがこっち向いてないからと言って
怒る人はいないですよね。
手を振ってくれなかった! って。
宮藤 あ(笑)。はいはい。
糸井 この映画には
サルがお客の目を盗んで交尾してたりね、
そういうことが満載ですよね!
宮藤 サルは好き勝手ですからねぇ(笑)。
そうですね、そういう意味では
サービスしすぎて、
結果的にサービスできてないような。
糸井 そういう印象があるかもしれないですね。
宮藤 ええ。近くにずーーっといる感じ。
サルが(笑)。
ぜんぜんありがたみがないっていうか。
ずーーっと、顔の前にサルがはりついてて
「お前、もういいよ!」みたいな。
糸井 そうそうそう!
視界をさえぎっちゃう、みたいな。
宮藤 はい。ふははは。
試写を見たお客さんたちは
見終わった後、ホント疲れてたんですよ。
だから、2回目からは
お客さんに
「見終わった後は
 クタクタになると思います。
 すいません」ってことを
上映前に言うようにしました。
糸井 お客さんには「ゆるく見てくれよ」って
言っておきたい感じだよね。

今のアメリカ映画って、
話の内容、超単純につくってますよね。
その都度どっかんどっかん盛り上がればいい、
というようなつくり方になってますけど、
それって、映画館を
みんなで集まってたのしもうぜ、
というような場所のひとつとして
とらえているような観客を
相手にしているってことらしいですよ。
いつもの飲み屋に集まるみたいに、映画館に集まる、
っていうような場所になってるって、
ま、ごく一部の情報通の話なんですけどね。

この映画を、そういうふうに
アメリカの映画館的に見てくれた日にゃぁ、
100回くらい見られますよね。
宮藤 あははは! たしかにそうですね。
だいたいぼくの書くドラマは
録画して好きなシーンを
何回も見るタイプのものが
多いですからね、そういうのがいいかも。
ぼく、ひょっとして向いてるのは
アメリカかもしれないですね(笑)。

原作のしりあがりさんの漫画も
わけがわからないままに展開していく
ゆるさがいいですよね。
糸井 あれ、まともに真正面から向き合ったら、
ちょっとつらいですよ。
宮藤 ええ。だから原作の漫画を読むときの
ゆる〜い気持ちで
映画も見ていただきたいと
思ってるんです。
それでいて、そのゆるさのなかにある、
「一寸先は闇」のようなところで
四苦八苦する若者を描きたい
という気持ちもあったので
そのあたりも見ていただきたいですね。
 
糸井 原作者としては、この映画はどうですか?
しり
あがり
ひとことで言うと
「わけのわかんない映画」ですよね。
あ、それはぼくの原作のせいか(笑)。
糸井 わけわかんない、っていうのが
おたがいのほめ言葉に
なっちゃってる感じだね。
しり
あがり
宮藤さんが監督をしてくれるというだけで
うれしかったし、楽しみでした。
このわけわかんないものを
どう料理してくれるんだろうって。
できあがったものを見て、
もう、ほんとうにおもしろかったですね。
原作の辛気臭いところが
若返った感じもあって。
宮藤 しりあがりさんの描く『弥次喜多』は、
漫画でしかできないことを
やってらっしゃるので、
それをそのまんま映像にしたら、
ぜったいかなわないだろうって
思ってたんですよね。
『弥次喜多』を映画でやるって言ったら
いろんな人から
アニメですか? とか
オールCGですか? と聞かれました。
糸井 映像にできるかい? っていうような
原作ですもんね。
しり
あがり
原作を描きはじめたのは
10年くらい前なんですけど
その頃は、世間が
「リアルが足りない」ということを
悩んでたような感じがしてたんです。
だからぼくは
リアルじゃなくてもいいじゃないか、
わけがわからなくてもいい、という物語を
描きたかったんですよね。
わけのわからない物語を描くのに
(十返舎一九の)『弥次喜多』って
すごくいい入れ物だなって思ったんです。
糸井 『弥次喜多』のもつ暗さって、
江戸時代のいろんな文化に
なんとなく匂っている感じですよね。
浮世絵にしてもなんにしても。
美人画の向こう側には
じつはとても好色なものが隠れていたり。
なにか裏側を感じさせるものが
ありますよね。
宮藤 男同士がつき合うということも、
今とはまた意味が違いますよね。
奥さんがいても平気でよそに男がいたり。
今ちょっと考えられないですけど、
うまいことできてるなって思いましたね。
しり
あがり
映画の『弥次喜多』もそうですけど、
暗いところも明るいところも両方あって
どっちも切り捨てないで
ごっちゃに受け止めてるあたりが
すごくいいですよね。
宮藤 ぼくがしりあがりさんの原作を読んで
とくに衝撃を受けたのが
三途の川を挟んで
生と死が別れてるところなんです。
「死」の世界から
「生」の世界に戻るために
「川を渡る」んじゃなくて
「さかのぼる」という発想です。
そこにいちばんしびれました。
なんてすごいこと考える人なんだと思って。
それを映画でも
どうしてもやりたかったんですよ。
糸井 あのシーンは圧巻ですよね。
映画館で見て、「おお〜!」と思った。
しり
あがり
映画でああいう解釈をしたのには
驚きましたね。
原作ではぼかしてるんですけど。
宮藤 生と死、
夢と現実の境目がわからなくなる、
男と女もそうですけど、
ぜんぶ間があやふやな世界のなかで、
最後にリアルっていうのはなんだ?
っていうのを、
弥次さん喜多さんの2人が
1個見つければいいや、
って映画にしたかったんですよね。

もうひとつ原作を読んで思ったことは、
弥次喜多の2人は、
離ればなれになったとたんに
急にドラマチックになるんですよね。
2人そろってるとドラマが起きない。
映画でもそれを意識しました。
しり
あがり
そうですね。
2人ともドラマの傍観者みたいに
なっていっちゃうんですよね。
糸井 ああ、そうだね! たしかにそうだ。
ってことは、
この2人がただ「いる」状態というのが
もう完成された‥‥。
宮藤 「幸せ」っていうことなんですよね。
  (つづきます)

※この連載は、TBS『NEWS23』、
 TBSラジオ『ザ・チャノミバ』でのトークと
 「ほぼ日」での座談会をまとめたものです。



全国ロードショー。
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2005-04-13-WED

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